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《第3話 是鷹おじさんとイセカイテンセイのケン》(3)‐2
エレガンディアの森。周辺の村人たちはその森を「闇の森」と、呼んでいる。理由は現在でも未開拓部分が多く、深部が明らかになっていないからだった。森の中は昼間でも高い木々が光を遮断し、薄暗く鬱蒼とし、ひんやりしていた。また野生動物たちの棲家もたくさんある森だった。草食動物だけではなく、それを餌にする肉食動物も生活をしている。その為、人間が安易に森へ入っては、後者に襲われる可能性もあった。だから猟師など狩りを生業とする特別な知識を持った経験者以外は、森へ侵入することが大変危険とされていた。周辺住民にとって、命の危険と引き替えにしてまでの用も無いので、ずっと放置されてきている。
一方で、そんな「中が分からない危険な森」であったから、奇妙、奇怪、恐怖を伴う「噂」も絶えず立てられていた。その中のひとつが、森の奥には怖ろしい魔術を使う魔王が住む城がある、というものだった。これは昔から、周辺の村の寓話として伝わっていた。よくある、子供が悪い事をすると、森の中の魔王に攫われて、悪事をはたらいた子供を食べてしまう。だからいい子になりましょう。その程度のお話であった。
魔法使いさん、こと、カルスも幼少期にそう聞かされ育った。三〇年以上経った今、それを思い出した。
(しかし当時、魔王に攫われ食されてしまった、などという子供。実際には誰一人としていなかったですけどねぇ)
と、子供の頃を振り返りながら周囲を見渡した。
「まったく。それをこのような形で、現実にやってしまうとは」
闇の森の深部。そこはあと少し進めば、この世界、中央大陸と呼ばれる場所の最大連峰ファルセンのひとつ、エレガンディ山脈へ入って行ける所だった。
この場所は、本来、背の高い樹木が大地から伸び一帯を覆っているはず。けれどカルスらが立っている場所は、あるものを中心に半径一〇メートルほど真っ黒な焦土と化していた。木の一本どころか草の根ひとつとして生えてはいない。しかも、正確にいうと地面は焦土などではない。真っ黒ではあったが炎で炭化したのではない。
地面は『呪い』に覆われていた。強力な呪詛。円状に憑りつかれていたのだった。
カルスは、自分と、なぜか一緒に来てしまった別の人間界の若者を、呪いの影響を無効化する結界術の膜で包んだ。その状態で呪いの掛かっている大地の上に立ち、一方、隣の天使はこの程度の呪いが効かないので、普通に彼はその場に立っている。
「う……わぁ。ど…………どうなってるんスか。これ」
人間の若者、宮澤賢一という名前だった彼の顔は完全に血の気が引いていた。無理もない。
呪いの中心には一本の杖が立っていた。その後ろには人間の背丈ほどある薄紫色の繭玉のような物体が、地面から数センチ浮かんで立っていた。実際にそれは人なのかも知れないが、頭部に当たる場所はフードによって顔が包み隠されている。全身も紫の布がまるで赤ん坊を包んでいるように見えた。胸の辺りの黒い宝石の留め具から、真っ黒な鎖が全身を蜘蛛の巣状に巻き締めていた。
だが問題はその布に包まれた存在ではない。
少なくともカルスはそう思う。そして隣に立っている天使もある物を注視していた。
「今すぐに浄化をすれば間に合うかも知れません。私がその役目を担いますので、天使さん。貴方は陰影の方をお願いしますね」
「承知しました」
カルスは右手に杖を喚んだ。先端にピンク、白、緑の宝玉が付いていて、杖そのものは紫水晶で出来ている。人に言わせると「三色団子みたい」なのだそうだが、威力の強い魔法を「安定させる力」を持っている。大地の恩みそのもの、と言ってもよい神具なのだ。
「では我が恩恵により」
カルスは喚び出した杖を足元に力強く突き立てた。
「この地よ、蘇り、更にはその真価で、悪しき邪法を打ち砕きたまえっ」
外腕を左右に広げる。すると彼は胸の辺りで自分の中に眠らせておいた力を感じる。感知。すなわちそれは力の覚醒。雄々しい動ぜずの力。生命を育み支える安定の力。それを全身で感じた瞬間、自分自身が黄金色の光に包まれた。同時にその光を湛えたまま、自分の杖の先端にある宝玉を両手で包み込んだ。杖はカッと大きく黄金色に輝き、彼から放出している力を真っ黒になっている地面へと注ぎ込んだ。
「す…………すっげーーーーっ」
背後で立っている若者は叫んでいた。
一方で、天使は剣を喚び、それを使って繭玉の鎖を細切れに切り裂き「清浄聖光破(リステ・フィレメ)」と剣へ術を乗せた。剣の刃に白い清らかな光が溢れると、その切っ先で繭玉の中心、黒い宝石を突き刺した。
「聖導地包術(トーラ・ルカ・インゼ)」
カルスは天使のその行動を見計らい、更に強い神力を自分の中から解き放ち、杖を通して浄化力を大地へ注ぎ込んだ。これで天使が砕いた悪しき呪詛に掛かっていたモノが、大地へと倒れ込んだ時。呪いで苦しめられていた者は、労わりと安穏でしっかりと包み込まれるはずだった。
目算通り天使の剣が黒き石を粉々に粉砕する。それに伴って繭玉のような物体は、そのまま黄金色に輝く大地へどさりと倒れ落ちた。そして紫色の布もほどけ、繭の形を崩した。
「大丈夫かっ」
背後で叫び声がした。直後、浄化術を継続させているカルスの脇を、たったったったっと何かが駆け抜けていった。宮澤青年だった。
「近づいてはいけないっ」
天使が厳しい口調で彼の行動を制止する。だが人間の若者は留まること無く、紫色の繭玉だった物の方へと駆け寄っていく。
「マリアなんだろうっ」
しかし彼の問いかけに返事をする者は誰もいない。代わりに、若者が天使の脇をも抜き去ろうとした時。「近づいてはいけない」と、天使によって若者は右腕を引っぱられ、それ以上、紫の繭玉だった布の所までたどり着くことは出来なかった。あと三メートルくらいの距離があった。
「何でなんスかっ。あれはぜってーマリアなんですっ。一緒にパーティー組んでたっ」
「そうかも知れないが、現在は違う」
「どういう意味なんスかっ」
「そのままの意味としか言えない。近づくと危険だ、と言わざるを得ない」
「何でなんスかーっ。オレはマリアに、マリアにひと言っ。一言だけ伝えたいことがっ」
宮澤青年はなんとかして目の前に倒れているものへ近づこうと、掴まれている腕を振り、天使の手を必死に退けようとした。だが天使の力は決して緩まず、簡単に振り払う事が出来ない。
天使も、決して宮澤青年を倒れているものへ近づかせる訳にはいかなかった。
カルスも同感だった。今はまだ、地面に倒れているものへ近づくことは危険だった。完全にそれの浄化が完了できたか確認できるまでは危険。そう考えるべきだった。そういう状況なのだ。
そうでなければ人間の若者も、繭玉にされていた者と同じ目に遭わされる。
つまり。
「落ち着きなさい。そこに居る者は、もう君と会話が出来る状態ではない」
「な、何言ってんだよっ。そんなワケねーしっ。少しでいいからっ。一言だけでいいから」
「いいや。会話はもうできない。いつかの時分とは全く別の状態になっている」
「言ってる意味、わかんねーよっ」
と、宮澤青年は左足を軸にふんばり、右足を思いきり振り上げ、天使の腹部を思いきり蹴りとばした。
予想外の出来事に不意を突かれた天使は、一瞬怯み、掴んでいた人間の手の力を弱めてしまう。自分の身を守る為、サッと退けるしかなかった。
その隙を宮澤青年は逃さなかった。一応、勇者として喚び出された人間である。彼も機敏な動きで、薄紫色の布に包まれている何かへ、本人は知り合いと主張する人物の方へ、駆け寄った。
「マリアッ」
彼は紫色の布の元へ辿り着くと、彼はその人を抱き起そうとした。
だがそれは彼の主観だった。宮澤青年が布をそっとめくる。
「ちょ……ウ、ウソだろ」
布から露わになったもの。それは真っ黒で干乾びている球体の何か、だった。その球体の上部左右に小さい窪み、そのすぐ下にも穴があいている。
「こ、これは……」
彼にはこれがなんだか分からない。たじろぐしかできないようだった。理解もできず、やがて全身が硬直してしまった。
だが。金縛りに掛かってしまった状態のような宮澤青年の傍で異変が起こった。黒い干乾びた物体から突如、ぶわーーーっと漆黒の風が吹き上がった。
「うわーっ」
近距離にいた青年はあっという間に吹き飛び、投げ出される形で地面に背中から落下した。
「いけませんっ。彼の、ニンゲンの、強い感情に触れた為、陰影の引き金が強く呼び起こされました」
カルスは自分の神力を更に強く放出した。邪悪な力がさっきよりも大きく感じられる。それを抑え込まなければ、浄化し掛けた大地が再び邪悪な力によって浸食されてしまう。
「人間の負の感情が餌になってしまった。だから彼が近づくことは止めさせたかったのだが」
天使は態勢を素早く調えて、手には愛刀の大剣を喚んだ。黄金の刃に、美しい装飾が成されている剣。これこそ天上の王の傍に仕える証。それとして認められ、真に選ばれし者だけが賜われる事の許された英雄者の剣(ノアル・ディゼン・ジャ)だった。彼はそれを両手で握り、目の前の黒き邪悪なものへと立ち向かっていった。
天使の目の前には、噴き上がる黒い風と共に、高さが三メートルほどの漆黒色をしている得体の知れない存在が現われた。頭部があるが首は無く、目、鼻、口の部分は黒い穴が空いている。肩から背中にかけて無数の腕が生えていて、針金のように細く、肘の所で全て、くの字に曲がっている。下腹部から下は裾の長いローブのような黒いヒダになっていて、足などは見えなかった。単純に怪物としか言えない存在。但し、怪物自体からもかなり強い邪悪な力が発せられている。
彼はそれに向かって短い助走をつけ、間近で大きく舞った。そのまま両手で握った大剣を怪物の頭部へ振り落すつもりだった。
だが怪物の腕がざざざっと一斉に上へと伸び、天使へと無数の手が掴みかかった。彼は襲い掛かるそれらを剣で斬りつけ、時に術でも応戦した。攻撃力の高い神術も、大きな威力と的確さで襲い掛かってくる腕にダメージを与えている。幾つもの腕が短く千切れ、焼かれ、そして当然、ばっさり斬り落とされて消滅していった。
「しかしキリが無い」
いくら襲ってくる伸びた腕に攻撃をしても、別の腕がすぐに再生してくる。
カルスはそれに応戦をしたいが、今、自分の浄化術を止める訳にもいかなかった。自分の大地の神の力を用い、この地面を浄化しているからこそ、怪物もあの程度の動きに抑え込まれていると言えた。もしも浄化をここで止めてしまったら、怪物は、手近な所から――風圧で飛んでいった宮澤青年――彼の抱く強い負の感情を吸い上げ、それを糧にし、強力な邪悪へと変化をとげるはず。むしろ手当てが必要かも知れない宮澤青年をいち早く診てやりたい。だがそれすら出来ない状況だった。
「くっ。本体を狙うしか……」
天使は腕が伸びてくる速度より早く、空へ上昇し、その間、剣を消し去った。その直後、神力で出来た碧色の光玉を作る。それはあっという間に直径一メートルほどの大きな神力弾となる。
「光弾神聖術(リステ・カリトメント)っ」
両手から神力を注いだ大きな光玉を、更に神力で加速と威力をつけ投げ放った。
天使を追い求め伸びた無数の怪物の腕は、獲物の寸前で彼が撃ち放った碧い力に飲み込まれる。それらは次々と霧散するように蹴散らされ消えていった。
「いけませんっ。まだ来ていますよっ」
大きな神術を放ち、さすがに力が多少消耗した天使は、様子をうかがいながら上空で留まっていた。だがその背後には、彼を狙っていた怪物の腕がもうすでに幾つも伸びていた。
彼はサッと身をひるがえし、再び剣を喚び、それらを切り刻んだ。しかし怪物から伸びるその腕は、容赦なく天使を狙い数も増す。
「これならどうだっ」
天使は自分を狙う怪物の腕から素早く逃れ上昇する。
「輝光爆裂破(リス・テ・クォート)」
そして昇る間に今度は大きな黄金色の光玉を作りだす。それが完成すると身をひるがえし、術を投げ放った。襲い掛かる腕を次々と消し、地上に到達すると大きな爆発を起こした。ドンッという轟音。空気や地面すら揺れた。怪物の本体に神術はおそらく当たった。あの術は、邪神を討ち滅ぼすために生まれた神々の力。その中で光の源を司る光神から力を借りた術。威力は大変な強さがあった。
地上で浄化術を使い続けるカルスも、ゴゴゴッと大地が揺らされた瞬間、両足を浮遊術で浮かせた。おそらく立ってはいられない。それほどの大きな力が怪物へと撃ち込まれた。これで形勢は逆転するはず。ここで一気に怪物を剣で討ちとってしまえば。戦闘は終了する。
カルスはそうなるはずと思い空を見上げた。今にも黄金色の刃を携えた天使が猛烈な速度で急降下をしてきているはず。
「どういうことですか……」
しかし信じられない光景が上空にはあった。
ぱらぱらっと。カルスの頬や額に水滴が掛かった。何かと思って手で拭う。薄い赤い液体だった。その後に、幾つもの白い羽がふわふわと舞い落ちてくる。
空の上の信じられない光景。それが原因だった。
天使の背中を数本の腕が貫いていた。彼は天を仰ぐ形で、そのまま留まっている状態になっている。
「こ、これは……」
カルスは一瞬、言葉を失う。だが、最早、地上で浄化術に専念している場合ではない。
天使を助けようと浄化術を停止し、掛けていた浮遊術で飛翔しようとした瞬間。怪物の腕が彼の方へもビュンッとものすごい速さで幾つも襲い掛かってきた。
「輝光爆裂破(リス・テ・クォート)」
カルスは浮遊術を解き、両手に黄金色の神力を一気に集中させた。それをすぐさま撃ち出す。しかも一つを放つと、またすぐに次を撃つ。が、奴の腕もやられるたびに次々と新しい物が生えて、入れ替わり伸びてくる。
「これは一体……」
本当にキリが無い。だがそれにしても、これほどまでに怪物が、継続的に力を保ち攻撃を繰り出せるとは。いいや。やはりこれが邪神の陰影だからなせる事なのか。自分たちが甘く奴の事をみていたのか。
「……マ……マリ……ア……」
そんな中で呻き声が聞こえた。宮澤青年の声。彼はカルスから少し離れた焦土の上で、うつ伏せに倒れている。
「まさか、彼が心に抱く執着に……」
若者が心に囚われているもの。マリア、という女性に相当強い気持ちがある。その気持ちは『執着』。そして執着は部類として負の感情に属する。だからであったのか。それが心から溢れれば溢れるほど、邪悪が強くなってしまっている。彼がこの場でその思いを強めれば強めるほど、この目の前の怪物は強くなってしまう。
「六源神として。大地を司る三代目の神として」
カルスの選択はふたつ。一つは邪神の糧を滅ぼし、己が本懐を遂げ、真なる邪悪を滅ぼすための役に立つ者を救う。つまりあの若者の「存在を諦める」。そうすれば、怪物はこれ以上、強くはならず、天使を救うことも出来るだろう。
そしてもう一つ。だがもう一つの方法など、やる意味があるのだろうか。
自分が死力を尽くして、それでも陰影の怪物と攻防を続ける。しかしそれで自分が負けてしまっては、天使を助ける事も、地面に倒れ込んだ若者を助ける事も出来ない。ただの犬死。大地の神という存在も滅ぶ事になり、邪神にとって都合が良い事しか起こらない。
冷静に判断をするとすれば。やはり不要な選択は。大勢の生命と個人の生命を天秤に掛ければ。大地の神として。
「行くしかありませんっ」
カルスは杖を強く握り、そこへ神力を込めて「動止結界術(トラス・トフィデイン)っ」と、その杖を思いきり打ち放った。それから「清浄聖光法(リステメ・イス)っ」と両手に黄金色の神力を宿し、その黄金の力も杖の後から放った。
「間に合ってくれれば」
杖は宮澤青年の頭部。その間近の地面を突いて立った。同時に、青年の全身を白い光の膜がパッと包み込む。そしてすぐに黄金色の光も追いつき、彼の全身を金色の半球体が覆った。
カルスはそれを目の端で確認できると「応急処置になれば良いのですが」と、正面へ向き直った。が、もうそこには無数の黒い手が彼の身にまで迫っていた。
今更考えても仕方がない事なのだが、もう少し思慮を持って挑むべきであった。陰影の引き金、如き、と思い向かって行った。そんな油断がそもそも間違いだった。誰かも油断は禁物、と言っていたはず。しかし、陰影。つまり、邪神そのものではなく、それから分離した欠片のような存在。だから邪神と戦うほどの大掛かりな準備も必要無ければ、自分のような邪神本体と戦う事の出来る力を持つ神と、天上界の武人がいるのだから。問題無い。負ける事など想像もしていなかった。それこそ油断だった。
結果は。
「……こ……これは……不味いですね」
カルスの体にも怪物の複数の腕が巻き付き、それから逃れる事が出来ない状況だった。強い圧迫感は勿論だが、この怪物の腕はカルスの魔法力をも吸収していた。彼は、底無しの魔力を持つ、と言われるほどの膨大な力を有している。自覚もあった。このペースでいけば、あと五分くらいでその魔力も吸い尽くされてしまう。
後は大地の神を継承した時に宿った神力のみ。それで応戦するしかない。邪神と対なる力。陰影の引き金(シャドウ―・トリガー)もさすがにそれを吸収し、我がものへとは出来ない。
だが先に吸収された自分の魔力が、奴の力となってしまっては神力だけでそれに勝てるか。疑問だった。それだけ彼の魔力は、質、量ともに特別である。自覚があった。
「魔力が……強いというのも……。自慢だけでは……すまないものですね」
ならばこれ以上、魔力を吸収される訳にはいかない。
「……我が身命と……神名を以って。今ここに大地の力を解放せんとすっ」
カルスは己の心底に呼び掛ける。
普段は鎮めている自分の生命力と大地の神の力。自分を生かしている力と邪悪を滅ぼす力。
「――神命解放術(エキ・アルファ・ンディ)」
その呼び掛けに。
心臓が一度だけ。
「うぅぅっくぅっ」
ドッと跳ねた。
大きな鼓動の衝撃が全身を震わせる。
「さあ、大地の力。命の力。共に……邪悪を……滅ぼしましょ……う」
同時に、自分自身が凄く消費された。その感覚と共にカルスの体が黄金の光を放った。
『オオォォンンンーーー』
真っ黒な怪物が吠えた。声とも音とも言えない不気味な感覚が耳に届いた。おそらくカルスの黄金の光に触れ、しかもそれを彼の魔力と共に怪物は吸収したのだろう。彼はそのつもりで、自分の生命力を使って神力を解放した。言葉だけではなく、命で力を起こし、覚ます。それを用い、自分に鎮められていた大地の神の力を全て解放できる。この神聖で雄々しい力を陰影に浴びせれば、さすがに滅せられるはず。
彼の思惑通りカルスに巻き付いた腕の部分から、黒い怪物は悉く黄金の光の中で溶けていく。彼自身も真っ黒な呪縛から解かれると、地面の上にどさりと転げ落ちた。
「……しかし……もう動くことはできませんけどね」
自分を黄金色に輝かせながら、彼はふーっと息を吐いた。仰向けに倒れた彼の目には全てが金色に見えた。どれだけの生命力を使って神の力を解放してしまったのかは分からない。しかしこれで邪悪は撃退が出来ただろう。
「みなさんの安否までは……確認できませんが……」
天使の方はおそらく深手を負っている。生死すら確認が出来ない。
そして地面に倒れている宮澤青年。彼には神力で浄化の術と癒しの術を掛け、神力の結界も張った。応急処置ではあるが、彼の邪念がこれ以上、陰影の引き金へ影響を与えないようにはした。
自分も命は助かった。命さえ残っていれば、後は時間が少し経てばカルス自身も魔法が使えるくらいに回復する。それまではこの大地が皆を支え護ってくれるだろう。
「……マ……マリ……ア」
彼が自ら恩恵を与えるものへとその身を預けようとした瞬間だった。突然、大地が揺れた。そして間近で巨大な邪悪の力が爆ぜた。
「い、一体。何が」
なんとか目を凝らして見ると、彼から少し離れた場所の地面から真っ黒な太い触手が生え、そのまま天へと伸びあがっていた。
「まさか……地に潜り込んでいた部分が……あったとでも……」
何が起こったのか。黒い邪悪な怪物は滅ぼしたはず。大地の神力をあれほど喰らったのだから、最早、邪神の陰影であっても滅せられたはず。それともまさか、もっと強大な邪悪がどこかに潜んでいたとでもいうのか。しかし、だとしたならばそれこそ、天上界の風神辺りがいち早く感知し対処に乗り出しているはず。
「ど……どういうことなのでしょう……」
黄金色に包まれているカルスは、その中で気が遠退いて行く。正直、死力を尽くすほどにもう力を解放してしまった。小さな火の玉すら作れない。こんな状態で、悪しきものをどうにかするなど。一体、どうすれば良いのか。
「……万策が尽きてしまいましたよ」
これから先がどうなってしまうか。もう一度、神力を放出させるにしても、自分自身が回復しなければ、もうどうにもならない。それとも。今度こそ、本当に死力を尽くして。
ありったけの死力を尽くせば。
「我が身命と……神名を以って。最期に残った我が力を以って……大地の力を解放せんと」
彼は両方の手のひらを地面へと当てた。わずかに感じる土の感触。温かい。それを感じながら、自分の中に残っている力で神力の解放を呼び掛けた。これで邪悪が滅ぼせなかったら、もう――
「光弾神聖術(リステ・カリトメント)っ」
命と引き換え。その寸前。聖なる力と、聞き覚えある声が轟いた。
「……やはり見ていたのですね……」
しかしだからこそ。カルスはそれによって救われた。
「ちょっとちょっとちょっとっ。もうっ。こんな所まで往診させないでよねっ」
そしてダダダダダッと何かが地面に落ちる音。それから「清浄聖光法(リステメ・イス)っ」という呪文の声。
「あのさ。君、莫迦なの? どうして死体なんかに執着するのさ。お陰で陰影が、叩いても斬っても八つ裂きにしても復活しちゃうでしょっ。そんなことしてると、君を殺すのが一番いいってことになるよ」
ついでに。今までカルスも当然、思いついた中で〝一番イイホウホウ〟をペラッと言ってしまう天上界一の術使い、つまりは史上空前最強の術使いルートヴィッヒ・ランベルセ。是鷹医院長のお小言が周囲に響いたのだった。
** ** ** ** **
エレガンディアの森。地元民は闇の森と呼ぶ広大な森林地帯は、元の平和で穏やかな薄っ暗い森へと戻された。針葉樹がきれいに生えそろい、地面も普段通りの茶色い土になった。
そんな場所にニホン人風医師と、西欧風の天使、ゲーム内風魔道士、それからワイシャツにスラックスを着ている純ニホンのサラリーマンが、ある物を前に一堂に会していた。
「……あの。マリアは……」
「だからさ。死んでたの、このミイラは」
サラリーマンの若者は、紫色の布を上から被せられた物体を前に、ぺたりと地面へ座り込んでいた。その後ろには白衣姿の是鷹医院長が足元に黒い医療カバンを置き、腕組みをして立っている。
「父上。どうしてそうはっきりと言い過ぎるのですか」
「まあ、でも本当のことではありますよねぇ」
天使と魔道士も元気な姿に戻った。是鷹医院長のお陰だった。その二人もサラリーマンの隣に立って、足元に横たわっている紫色の布に覆いかぶされた物体を見ていた。
「ったくさぁ。どうして言っても分からないかなぁ」
是鷹医院長はスタスタスタと全員の横を通り、紫の物体の前までやって来ると、被されていた布をバッと剥ぎ取った。そこには成人よりひと回り小さい人型の真っ黒な干物が、仰向けで横になっていた。宮澤青年がはじめにめくって見たのは頭部だけだった。その下の全身、四肢は、くの字に曲がり、前に突き出ている。丁度、犬が腹ばいになったままミイラになったような形というべきか。そして頭部は初めに見た時と変わらぬ状態で、目と鼻の部分がぽっかり穴になっている。衣服は何も身に着けてはいなかった。
それを目にした是鷹医院長以外の全員は、臆し、退き、小さく悲鳴を上げた。
「どう? 分かった、これが遺体だってこと。抜け殻だし、心が入っていないから当然動かない」
「で、でも……。じゃ、じゃあマリアは」
「この遺体は、乾燥壊死している状態で、生前は大地の神を祀る神殿にいた神官の家系、カシュフィート家の者だね」
「それってやっぱりマリアのことだ。マリアの本名はマリア・カシュフィート」
若者は医院長が挙げた名前を聞くと「マリア……」と呟き、真っ黒な物体を見ながらうな垂れた。
「カシュフィート、という名ですか?」
「そうだよ。あ、君なら知ってるか。カシュフィート一族の顛末を」
「まあ。この中央大陸の近海にロファという島があります。そこには大地の神を祀る大きな神殿が建っていて、大勢の神官や巫女たちが、日々、大地の神に祈りを捧げ、世界の安穏と平和、それから世界に齎されている大地の恵みに感謝の念を奉じていました。カシュフィート一族はその神殿を興した神官長を司っていました。しかし数年前。この世界自体が邪悪な者によって侵された時。その島にも邪悪な魔手が伸びました」
「へー。詳しいと思ったら、あの三人組で出向いて行ったのって」
「私です。だって一番適任でしょう? 自らが加護を与えている人間達の、しかもその中で一番、大地に対して強い親愛と敬愛をしている生命を抹殺する。大いなる裏切り。今ならそれがどれほど残酷で惨いことであるかわかります。しかし当時は私自身が大地の神を忌んでいました。ですから、私が自分で志願し、島の神殿を滅ぼしました」
「反抗期と重なったんだね~」
「当時の私は十七歳。そうかもしれません。大地の神であるのに、その資格が無いと言われ継承が成されなかった。それに腹を立てました。その結果といえます」
「最悪な反抗的態度だね、それって。うちの子よりひどい」
「そうでしょうねぇ。誰よりも何よりも実力と才があり、私以上に相応しい正統継承者はいない。そう信じていましたから。なので。大地の神継承を一時的に反故されたことは、私のプライドが大いに傷つきました。
そんな隙だらけの私の心に、邪神は一陣を吹かせ、レゼッタ君同様に私の心の負の感情を引き熾しました。そして邪神側についた私は、そこでの立派な働きをするべく、負の心を人々に熾させるための行動をしました。負の感情は邪神の最も好む糧ですから。
だからまず、大地の神を敬愛していると嘯く連中を思いきり痛めつけてやろう、と乗り込んでいきました。そんな連中は私にとってはとても忌々しくも憎く思えたので。だからロファを滅ぼしに行ったのです」
「何事も個人の感情で世界は変わる。まさにだね」
「ロファの神殿は、特にカシュフィート族は激しく抵抗しました。神殿を守る為、大地の神を共に信奉する仲間の為に。ですから余計に私は気に入りませんでした。そこで一族全てを信者の目の前で血祭りにあげました。トーラの姿、初代六源神大地の神の姿に変えて。あの時の、絶望感に満ちた神官や巫女たちの顔は、今でも悪夢に見ます」
「君も役者だね。そんな襲撃なんてレゼッタ・ガレジィートェがやればよかったのに。そしたら、アイツなら〝覚えていないんだよ〟で済んでるからねぇ~」
「はい。そう思います。しかし私は覚えていますし、これこそが邪悪な神が齎す怖ろしい福音です。今でも苛むばかりです。
そしてそんな残酷な目に遭わされた方も、それに巻き込まれた者も、尋常な心では生きて行けないでしょう」
「だろうね」
「カシュフィートの生き残り。私は一人、残しました。わざと。一番信仰心の篤そうな少女がいました。彼女も多感な時期だったでしょう。神に感謝し、お仕えすることが人生そのもの。そう信じていたような熱心な少女です。私はその子の前で神の冒涜を晒しました。トーラの姿で両親を殺害。彼女の弟も殺してしまいました。それを見せ、神というものは、所詮、その御心に在るものだ。祈ったところで己が以外を救いはしない。そう説いて聞かせてやりました。少女はそれは大きな衝撃を心に受け、心神耗弱な状態に陥り、その中で私の言葉を何度も何度も聞かされました。さて。そんな目に遭えば結果、どうなるか」
「さあね。うちのクリニックで診られる範囲の状態ではないかもね」
「歪んだ心に陥った少女。私はそんな彼女を島に一人残しては、『勿体無い』、と思いました。負の心に満ちた者が一人、このまま朽ちていっても、負の心の力は一人分です。ですから、それを感染源に、もっと多くの人々から負の心を搾取する為、彼女をもっとたくさんの人間がいる場所へ連れて行きました。少女の持った負の心がどのような行動を取り、どれだけ多くの人を負の心へと導けるのか。実験です。その為に中央大陸の、同じくトーラの信仰を熱心にやっている大都市の神殿へと放った」
「君もなかなか考えて行動するね」
「はぁ。あの当時は、あちら側で軍師、と呼ばれる立ち位置に居ましたから。彼女がそれからどんな行動を取るのか。人は自然にどのような動きをするのか。神に復讐をするのか。それとも何か別のものに対し、憎しみを、悲しみを抱くのか。もちろん、私に対して憎悪するのか。興味深くもありましたから。放置しておいたのです。ですが、その途中で、我々、第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)側が天上界から遣わされた五輝神に打ち負かされましたから。同時に、私も邪神の呪縛から解放され、少女がどうなったのか。構ってはいられなかった、というよりも、忘れていました。今の今まで」
「なんだ。君も、結局、レゼッタ・ガレジィートェと一緒じゃない」
「はい。自分のことで精一杯でしたから」
魔法使いは黒い遺体の脇までやってくると、その前へしゃがみ込んだ。
「ですから。六源神などを信仰すべきではないと。私は思います」
彼はそう言って「浄き祝福を。我が福音の下。今ここに邪悪からの解放を」と、黒い物体の、おそらく左手であろう物を両手で包み込んだ。すると黄金色の強い光がパァァッと輝き始めた。
「何してんだよ……これ以上、彼女をっ」
ずっと顔を伏せ話を聞いていた宮澤青年は顔を上げた。その目には涙。表情は歪んでいた。唇を噛み、正面の魔法使いを強い憤怒の視線で睨め付けた。
「触んなっ」
彼は目の前の魔法使いへと掴みかかった。
「はぁ? 莫迦じゃないの、君」
しかしそんな若者を是鷹医院長は制止した。右腕を伸ばし、グーでパンチした。憤った宮澤青年の左の頬へそれはモロに入り、そのまま後ろへ倒れ込んだ。
「ち、父上っ。他人へ手を上げるとは」
後ろで見守っていた天使が若者へと駆け寄って、ノックアウトされた若者を抱き起こす。
「本当にさっきから、君。何やりまくってんのさ。とりあえず、よく見なって」
魔法使いが放った術は、黒い物体の全体を包み込み、それから強い黄金色の光がカッと煌めいた。それからすぐに光はゆっくり収まっていく。
そして光が完全に消えると。四人の目の前には横たわる人の姿が現われた。
「これ、君の言うマリアって女の人なの? 確認してから魔道士君を殴りたいなら殴りなよね」
確かに是鷹医院長の言う通りだった。そこに倒れていたのは。
「マリア――じゃない」
「男性のようだな」
若者が思っていた人物とは違っていた。倒れていたのは少年だった。
「この遺体を憑代にした邪神の力が、杖、となって世に現われたのでしょう」
魔法使いは倒れている少年の手を腹の上に重ね合せた。
「遺体は心が抜けるとただの物体だからね。ただ執念が遺体に残存していた。そこへ邪神が力を注ぎこみ、人を喰い物にする道具へと変えた。そして、この道具を一番上手に扱えると白羽の矢が立ったのが」
「マリアだってことですか……」
「そう。それを持たされていたのが君と一緒に活動していた魔法使いの女性。この遺体が生前に抱いていた負の感情と共鳴するだろうから。邪神もそこんところを利用して、杖と彼女で負の心を集めようと目論んだ。伝説の剣とやらも、その時の彼女が抱いていた負の心を具現化させ現われた物のひとつだろうね。
でも、奴の目論見が外れるような出来事があったんじゃな~い? だ、か、ら。今、彼女と杖は分断され、挙句、杖も遺体へと戻った。心当たり、ある? 君」
医院長はなぜか少し意地悪そうな顔を宮澤青年へと向けた。
「それは」
そんな顔を向けられ、若者は口ごもった。
「君の執着も、おそらくそれでしょ? マリア」
「じゃ、じゃあ彼女は……」
「その行方はこの国に在る大地の神の神殿だよ」
「じゃ、じゃあ……この男の子は」
「だから彼女の肉親。弟だよ。数年前にこの魔道士君に殺された」
「へ……」
「君ってさ。こ~んな異世界へ勝手に付いてっちゃって暴れてくれてるけど。事情も状況も確認しないで色々やらかすの。止めた方が良いと思うよ~」
「は、はぁ……。でも」
「ウチの子。そういう他世界へ侵攻、侵蝕、他世界の生命同士の争い、揉め事を取り締まる役人でもあるから。その目の前で色々やらない方がさ。無難、だよ~」
しかし。ここに居る全員が「じゃあ、さっきのグーでパンチはいいの?」と、思ったのだが。誰も何も言わなかった。それこそ無難だった。
(3)‐3へ続く