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《第2話 春人さんがやって来た》
数多ある空間に、妖魔という種族が棲んでいる世界があった。そこに棲息している彼ら、彼女らは、根明で陽気、非常に楽観的、といわれる妖精族の次くらいに大らかだった。そこへ容姿端麗さと非常に高い妖力、戦闘能力が加わっている生命だった。
中でも妖魔界の王族は、その全てが群を抜いていた。だから同種族からは尊敬と憧れの的であった。現王は、少し歳を重ねたように見えはするが、その生きてきた年月の積み重ねから滲み出る厳格さに大いなる庇護を感じ、その後継者たる王太子には、彼の若々しい溌剌さと聡明さに周囲は活力を与えられている。
そして。王族の中で最も光り輝く存在は、現王の兄である王兄殿下。レゼッタ・ガレジィートェであった。彼は並々ならぬ美しくも優れた容姿をし、頭の良さは頭脳明晰という言葉を飛び越える叡智の持ち主であり、なにより温厚でどんな生命にも親切で平等に接する素晴らしい人柄の人物だった。又、剣技も妖魔の中で一番の達人で、つまりそれは各世界の剣豪の頂点を意味していた。誰も彼の足元には及ばない剣の使い手。加えて、緻密で絶大な妖術を甚大な妖力を以って操ることができる術使いでもあった。
ゆえに。王兄殿下、レゼッタ・ガレジィートェは、妖魔界の誰もから慕われ、尊敬され、絶大な人気があった。
天界に居を構えているルートヴィッヒ・ランベルセ元天界公爵大閣下は、そんな〝大人気者妖魔〟であるレゼッタ・ガレジィートェと旧知の間柄だった。
ある日。レゼッタ・ガレジィートェは、そのお友だちのおうちへと遊びに出かけた。
「レゼッタ様、大変申し訳ございません。大旦那様は、現在、所用で天上界を離れておいでです。……え? どこへ行かれたか、でございますか? ええと、ニンゲン界へと赴きまして。……はぁ、そちらへ行かれるのですか? ま、まあ。場所はニンゲン界のニッポン国、ド田舎の……」
しかし、お友だちがおうちにいなかったので、彼が今、行っている場所を教えてもらった。だから早速、そっちへと向かったのだった。
ピンポーン。
「は? 何の用? 私はお前みたいなヤバい奴に、もう、金っ輪っ際っ。接触したくないんだけど」
その場所に赴くと、確かにお友だちのルートヴィッヒはいた。
「ん。YA、BA、I??? どういう意味の言葉だい? ルートヴィッヒ・ランベルセ」
「は? そーゆー発音とかしちゃったり、お前そのものみたいなのをヤバいっていうのっ。大体さ、今、何時だと思ってるの? まだ午前三時っ。夜なんだか朝なんだか分からない時間なんだよっ。そんな時間に来ないでくれるっ」
「うーん。すまないねっ。しかし……ニンゲン世界には、夜と朝ではない時間があるのかいっ。昼間でもなさそうだし。うんっ。スゴイ事だよっ」
妖魔界の至宝。とまで言われるレゼッタ・ガレジィートェ王兄殿下。たしかにスゴイ大物だった。なんといってもルートヴィッヒ大閣下を「お友だちだ」だと、思うことが出来るのだ。
「ところで先日、天界王陛下の主催された晩餐会で、君と囲碁をやろうとしたけれど。君は急に不機嫌になって帰ってしまっただろう? あの時は僕も配慮が足りなくてすまなかったね。僕は気づかなかったんだよっ」
「は? 何言ってんの? っていうか、今も何にも気づいてないだろう、お前の脳味噌は。こんな謎の時間に他人様の所に押し掛けてきて、玄関先で〝イゴイゴ〟言ってるのは」
「そうなんだ。囲碁ではなく、将棋。そう、君は将棋の方が良かった。でも僕がそれに気づかなかった。自分本位で囲碁を始めようとしたから君の機嫌を損ねてしまったんだろうっ!! だからそのお詫びをするため、今日、ここにこうして参上したんだよっ」
「は? 何言ってんの? この状況、どこら辺が御詫びなのさっ」
「と、いう訳で。将棋盤と、あとはね、前回の事柄から反省をし、他のボードゲームも用意したんだっ。チェス、だよっ。もしも将棋でもなく、チェス、の方だった場合を慮ったんだっ。どうだろうっ」
「何を慮ってるんだよーーーーーっ」
妖魔は永い寿命を生きる。と、言われるほど長寿だった。そのため時間間隔も大らかであった。又、自然界の力を利用して生活したり、性格も温和で温厚な種族のため、妖精とともに他世界への往き来、移住も認められている。例えばニンゲン界でも時として、欧州などの森や湖、史跡や古城などで不思議な存在が現われた、といった伝説や民話などがある。その多くは、移住したり遊びに行った妖精や妖魔の可能性が高い。
このニッポンにも幽霊や妖怪伝説が数多くある。それも然り。今もまた、こうして根明で陽気、非常に楽観的、といわれる妖精族の次くらいに大らかな種族・妖魔が現われたのだ。ニッポンの俗に言う丑三つ時、の次の時刻寅四つ時に、妖怪・僕と遊ぼう、の出現。
全ては彼らに与えられている権利が施行された結果なのである。
「それにしてもルートヴィッヒ。少し寒さを感じるから中へ入れてもらえないかい?」
「は? だったら帰ればいいだろうっ。妖怪を入れてやる義務は無いんだよ~」
「ん? 妖怪は入れないのかい? ふむ……それなら失礼するよっ」
しかしさすがに妖魔界の王族。他種族扱いを受けたため若干、癇に障った……訳もなく。レゼッタ・ガレジィートェはスタスタと玄関の中へと入っていった。しかも靴のまま、一段高くなっている廊下へ登ろうとしている。
「もーーっ。クツは脱ぐのっ。そこでっ」
「んんん??? なぜだい?」
「そーゆー文化なんだよっ」
さすが大らかな種族の妖魔。その王族ともなれば、大らかさが他の妖魔などとは段違い。比べものにならなかった。
「ほらほら、ルートヴィッヒも寒いだろう。ここは君の滞在先なのだから、遠慮せず、君も中へ入った方が良いよっ」
そして大変に親切で、他の生命に対し気を配ることの出来る素晴らしい人物だった。
ルートヴィッヒ・ランベルセはそんな親切に対し「ずかずか他人の家に入ってくるなっ。極悪妖魔っ」と罵詈雑言を浴びせた。しかし妖怪、基、妖魔が言う通り寒かったので、彼は玄関の戸を閉め、高貴な妖魔に靴を脱がせ、仕方がないから居間へと連れて行った。
「で? 本当になんなのさっ、お前の用件は」
「だから三種のボードゲームをやろうと思ってね。来てみたんだ」
「本気でそんなことのためにここへ来たのっ。お前って」
「勿論さ。ささ、どれがいいかな。やっぱり将棋かい?」
するとレゼッタ・ガレジィートェはきょろきょろ見回し、横長で足の低いテーブルの上に将棋盤、囲碁盤、それからチェスセットをぼん、ばん、こと、っと並べた。
「ちょっと、こたつが潰れるだろう。こんな重いものを乗せたら」
「コタツ???」
「もう、いいよ。とにかく、そんな物をここに並べても、無駄だね。私はね、今、医療活動をする為にニンゲン界へやって来てるんだよ。お前みたいな、無駄に長い寿命を、無駄にただただ生きるテイタラクとは違うんだよ」
「ん? 医療活動? 君は、つまりニンゲンを救う為、わざわざやって来ているのかいっ」
「そ~~ですよぉ~~。わーるーいー」
するとレゼッタ・ガレジィートェは急に顔を俯いた。それから沈黙する。
「は? 急にどーしたのさ、お前」
「……しいよっ」
「は? なに?」
「素晴らしいよっ。ルートヴィッヒ・ランベルセ!!」
と、レゼッタ・ガレジィートェはルートヴィッヒ閣下の両肩をガシッと掴んだ。ちなみに、レゼッタさんの身長は187㎝ある。ルートヴィッヒ閣下は少しミニの163㎝だった。まるで、部活動などで暑苦しい監督が「よくやったーっ橋本っ」と、中坊相手にガシッと両腕を掴みかかるようなあんな感じ。なので閣下は、レゼッタ・ガレジィートェのこの行為が非常に不愉快だった。もともとムカついていたのに。
何なんだよーーーっ。お前はーーーっ」
「わかったよ。僕はその尊い活動を手助けし、そして、時に余暇で将棋、囲碁、チェスの相手をしてあげるよっ。君の慰めになるだろうっ」
「はぁーーーっ!?」
「うんうんうん。僕は決めたよっ。たしかに僕ら妖魔は寿命が長く、君には無駄に生きるテイタラクと見えてしまうかも知れない。寿命が短い天上人には、命の有限さがより身近に感じられ、ゆえに、その尊さを感じざるを得ない。ましてニンゲンの寿命なんて、刹那のように見える。そんな儚き者へ救いの手を差し伸べるなんて……ルートヴィッヒ。本当に君は素晴らしいっ。偉いっ。感服するっ。慈悲深い生命だよっ」
「肩から手を退けろっ。離せっ。妖魔になんて触られたら腐るでしょっ」
「そんなことはないよっ。わかった。僕も君の活動を手助けする為に、今日から共に行動するよっ。決めた。誓うよっ。君の貴い活動の手助けをする。テイタラクな妖魔であっては駄目だからねっ」
「は?」
「遠慮は要らないよっ」
「お前が遠慮しなよっ」
尚。妖魔、妖精は、その種族の特性から、他世界で自由に暮らす権利を与えられている、と先程ご説明申し上げた。しかも最高神であり創造を司る神から与えられているのだ。
尤も、あくまでそれは他世界を侵略したり過干渉したり、もっと平たく言うと、迷惑をかけたりしないで、みんなと仲良く共存が出来るのであれば、という条件の下である。他人へ、他種族へ迷惑をかけない。余所で迷惑行為を行わない。勝手に領土を広げない。他にもいろいろ細かな禁止事項がある。しかし妖魔と妖精にその細かな禁止事項は果たして必要なのか、というほど彼らは大らかで陽気な生き物。その頂点に立つのが妖魔の王族、レゼッタ・ガレジィートェ。皆の良き鑑である。
「あのねっ。再三言ってるけど、私はニンゲン界へ遊び来てるんじゃないんだよっ」
「勿論、分っている。ニンゲンを疫病や惨事の苦しみから救う、尊い行いをするためにわざわざ天上から降りてきたんだろう。僕はその心に感銘し、君と共にその道へ準じたいと思ったんだ。だからもう安心だろうっ」
「安心なんかしないっ。不安しか、ううん、不満しかないよっ。そんな御託を並べてないで、その遊び道具を持って帰れっ。妖魔界にっ」
「それはできない。ここで君を見捨てたら、妖魔王族の名折れとなる行動だよっ」
「だっから。お前なんかいたところで邪魔でしかないんだよっ」
「そんなことはないよっ。僕も微力ながら、君の手助けをしてみせる。妖魔王族の名に懸けて」
それから二時間。この問答をやった。その間に夜が明けた。さすが、三昼夜、天上界で戦いを繰り広げた二人。普通の生き物では二秒でどちらかが屈するものである。
しかし。
「あーーーもーーーっ。これだから、一度、妖魔に憑りつかれると、厄介なんだよーーーっ」
「ん? 憑りついてはいないよ。では、これで話がついたね。ルートヴィッヒが言うように、僕は医療活動そのものはできない。だから、君の世話をする。これでいいんだね」
「いくないっ。私は、お前みたいに医者じゃない奴は何もできないからとっとと帰れ、っつったのぉぉーーーー」
これが更に二時間続いた。外も次第にラッシュアワーになり、騒がしく、車通りも人通りも増えてきた。だが解決の兆しが一向に見えなかった。
「うんうん。では、僕も君が滞在している場所で寝食を共にする。君が医療活動をしている間、僕は滞在先を暮らしやすくする。そうすれば君の助けになる。僕が医療活動が出来なくても、後方の支援ならできるよっ。まかせて欲しいっ」
「まかせないっつーーーのっ。なんで人の話を、ちっとも、全っ然っ、理解しないんだよっ。私は一人で気ままに暮らして、寝食は適当にするからいーーーんだよっ。お前のは侵蝕っ。侵略なんだよっ」
「大丈夫っ。侵略者がやって来ようとも、僕の妖術と剣術でやっつけてあげられるからねっ。君は僕の実力も知っているだろうっ」
「んっっっもおぉぉぉぉぉーーーーーーーっなーーんーーなーーのーーさぁぁぁーーーっ」
ルートヴィッヒ・ランベルセ元天界公爵大閣下。彼は400年前の大きな戦いにより、現状は老化してしまった。
一方。その時、天上界の敵として邪神側に大妖魔レゼッタ・ガレジィートェはついていた。しかし彼はその時、邪神に心を乗っ取られていて、悪に染まり、悪い事をしていただけなのだ。そんな憐れな彼も、今では邪神の呪縛から解かれ、元の心清き妖魔に戻っていた。別に年老いたとかの後遺症も無い。すっかり元気で元通り。若くて麗しい素晴らしい妖魔。
だからそんな妖魔と、ルートヴィッヒ大閣下が、現在、三昼夜、言い争うことはきつかったのだった。
「ちょっと。失礼だな、君はっ。違うよっ。不毛なんだよ、不毛っ。もう妖魔に憑りつかれるとしつこいの。決して実力で劣ってるワケじゃ無いのーーーっ」
おっと。それは大変申し訳ございませんでした。閣下はこのように場外まで発言権を持っていらっしゃる実力者。
しかし。それ以上に妖魔の王族たるレゼッタさんは……。
「それじゃ、よろしくっルートヴィッヒ。ああ、僕も久しぶりに妖魔として、他世界で生活をすることが出来てとても嬉しく思うよっ。妖魔の権利を施行できるなんて、自分が妖魔であることを改めて実感するねっ。とても晴れやかな気持ちでいっぱいだっ。ありがとうっ」
妖魔の中の大妖魔たる実力を大きく発揮。その絶大な力は、天界最強の神術使いや、単なる普通人の作者なんて、あっという間にかわし、打ちのめすことが出来るのだ。
「では。今日からここに住まわせてもらうよ。改めてよろしく、ルートヴィッヒ・ランベルセ」
「くぅぅぅぅっ。どうしてそうなるんだよーーーーっ」
さて。同居をすることになったのはよいが。まずはいきなり、レゼッタさんはきょろきょろと周囲を見回した。
「なんなのさ」
「この掘っ建て小屋で生活をするのかい?」
「は?」
「うーん。小屋全体が僕の部屋ということなのかな?」
「はっあぁぁ~~っ!?」
やって来たのは一つの空間を統治している王族だった。
「ルートヴィッヒ・ランベルセ。君はどこに住んでいるんだい? 出来れば同じところの方がすぐに将棋や碁が打てると思うのだけど」
「あのね。私はここに住んでるの。お前風に言う、この、掘っ建て小屋、に」
「しかしこんな手狭な場所に、天上界の高階級者が住んでいるのは、不都合をするのではないのかい? 君はいつも甲斐甲斐しく大勢の屋敷使いに囲まれ、妻たるソフィアに面倒をみてもらって生きていたろう」
「んっもぉぉーーーーっ。さっきから言ってるだろうっ。私だってね、自活できてるんだよっ。自っ活っ。米を炊いたり、野菜を刻んだりして料理くらいは作れるのっ。掃除も洗濯も出来るんだよっ」
「そうなのかい? 立派になったね、ルートヴィッヒ・ランベルセは」
「むっっおぉぉーーーーっ。出ていけっ。阿呆妖魔あぁぁ~~~っ」
「ん? 阿呆な妖魔は妖魔界にもいないよ。妖魔のみんなは、とても聡明で陽気で明るいっ。良い子たちばかりだよ」
ひとつの空間を統治している王族の方。であるのだが、少々感性や文化面で、天上界の人とは異なる点があるのだった。無論、ニンゲンである作者、読者とも異なるであろう。
その為、前途は多難。その辺は理解をしておいた方が無難。そう作者は早々に心得ることにした。
「ん? ニンゲン界に住む事にしたから、その事を弟や甥に知らせておかないとねっ」
外、本人が自白しているように妖魔族はとても陽気で明るいので、早速、前向きな行動をとり始めた。紙と筆記具を喚び出し『新たな場所で生活を始めるよ。是非、遊びに来ると良いよっ。レゼッタ』とさらさら書いて、それを妖力を使い自世界へ転送した。
「これで、僕は晴れてニンゲン界での生活を始められるよっ。ルートヴィッヒっ。今日からよろしく」
ほんの数分で、西園寺家には完全に同居人が居憑いた。
「ン前ぇね~~っ。なんなの、なんなのっ。なっんなのっすっっっあぁぁーーーーーっ」
天上界では、世界で二番目に起こりん坊、として通っていたルートヴィッヒ・ランベルセ元大公爵閣下は、もちろん、怒りの大爆発が断続していた。しかし感性と文化の面が異なる美しくも微笑みの絶えない妖魔は、ニコニコと明るく「毎日が充実しそうだよっ。ありがとう」と、大変に御悦びになっているのであった。
これは王族と、一貴族の違い。そう理解するしかない。
さて。こうして、妖怪に、いや、妖魔に、いやいや、最強の大妖魔に憑りつかれてしまったルートヴィッヒ・ランベルセ大閣下は遂に折れた。だから今度は、早く帰ってもらえる作戦、へと路線を変更した。
「いーい? お前が自分の部屋として使っていいのは、この仏間」
「ブツマ?」
「そっ。前の住人が置いてっちゃった仏壇がある部屋。線香の臭いが染みついてるけど、別にいいでしょ? 嫌なら外で野宿して……」
「うんうんっ。すごくいいねっ。薄暗いし、ひんやりもしているっ。とても快適に過ごせそうだよっ。ありがとうっ」
完全に「これってイジメじゃない?」的な部屋を案内されているよう感じたのは、作者の被害妄想だったのかも知れない。
レゼッタさんはこのボロ家の北西に位置している六畳間へと案内された。
古い作りで、出入口になっている一枚の襖を開けると、西側の磨りガラスが嵌め込まれた窓が目に飛び込んでくる。北側の端には、完全に部屋の面積を脅かしているでかでかとした仏壇がどんっと置かれていた。成人の背丈よりもかなり大きいし、金ぴかな装飾で縁どられているケースに、金キラ金の仏像が中に収められていた。それから出入り口の隣に押し入れ。あとは天井からぶら下がっている蛍光灯の照明。畳は黄色になっているし、古い土壁は所どころが剥げてもいる。
「なんだい? この凄い像はっ。黄金の人型が入っているねっ」
「あ、それは、お前みたいな救いがたい生命を善い生命に導いた人だよ。立派な功績を上げたから像になって飾られてるの」
「そうなのかい? なるほどっ。像になっているくらいのヒトなら、毎日、僕もそんな善い生命になるよう、目が覚めたら挨拶をして過ごすことにするよっ」
「あー、そうしなそうしな」
それから是鷹医院長は、押し入れまで移動し、そこを開け上段に詰まっていた布団セットの一式を紹介した。こっち掛布団、こっち敷布団、これ枕。
「そうだっ。ルートヴィッヒ・ランベルセ。こちらの世界では、物を手に入れる際にはこれが必要だ、と甥に言われたんだよ」
「は?」
説明の途中ではあった。しかし高貴な妖魔レゼッタさんは、いきなり銀色のトランクをぼんっぼんっぼんっ、と出した。縦36センチ横45センチ、そして厚さは14センチ。彼はそれをパコッと開ける。中には茶色の紙幣がぎっしり詰まっている。ついでにすべて新券だった。
「お、お前……銀行強盗でもしてきたの?」
「ギンコーゴット? 何だい? それは。そんなものではなくて、甥っ子がね。さっき手紙を書いたら、すぐに術で送ってくれたんだよ。叔父さんも他所の世界へ行くなら何かと物入りでしょう。これがあれば色々な物を手に入れることができて便利ですよ、とね。良い子だよね、ミルトス君は」
「莫迦な子だよ、お前の甥って」
尚。甥、おい、オイ、と二人は言っているが。とある事情により、その甥はレゼッタさんの実の息子さんでもある。しかし長年、息子さんはそのとある事情で、レゼッタさんのことを叔父さんと思って生活をしていた。だから今さら甥でも息子でもどちらでもいいや、とレゼッタさんと甥というか息子というか(名前はミルトスさん)は大らかな気持ちでいた。これは何度も言っているとおりの妖魔の特性で、根明で楽観的。細かい事は気にしない。そういう種族だからである。他に理由は無い。
そんな甥が、銀色のケースに茶色い札束をどっさり詰め込んだ状態のものを、父であり叔父と思っていた人へと送ってくれたそうだ。それを是鷹医院長は「莫迦な子」と言った。しかしレゼッタさんはそんなとこは特に気にせずに、ニコニコしながら、むしろ嬉しそうに「本当に良い子なんだよ、ミルトス君はっ」と自慢している。
「ルートヴィッヒ。僕も新しい世界の、様々な物をまずは手に取り、香りを嗅いだりして、ふれ合ってみたいんだよっ」
「は? 絶対ダメっ。いーやーだーねっ。お前なんかを外に出したら、どーせロクなことを起こさないっ。火を見るより明らかだねっ」
「そんな事は無いよっ。慣れていない場所へ僕が出向いて行っても、勝手がわからない。だから特に問題は起こらないよ」
しかし、そんなセリフが嘘であることは是鷹医院長でなくても、むしろどこの誰だって八割の人には分かることだった。だが残りの二割の人(本人やおそらく息子さんなんかも、を含む)はそれが分からないため、レゼッタさんは「頼むよ、ルートヴィッヒ。外の世界を見てみたいんだっ」と10回以上言い続けた。すごくうるさかった。ので、医院長は屈するしかなかった。
「もーっ。絶対、私の傍から離れないでよっ」
「了解っ」
是鷹医院長はとりあえずレゼッタさんをニンゲン界の服装に術を使って替え(元々のレゼッタさんは、ツヤツヤでふわっふわの長い紫色の髪を白色リボンで一つに結わえ、服装は赤が基調の詰襟ジャケット、白いズボン、ブーツ、襟元に真っ白なスカーフを蝶々結びにしていた。だから髪は茶色にし、着ている物はなぜか深蒸し色の作務衣と黒いサンダルに替えて)色々な物をいっぺんに遭遇出来る場所、スーパーマーケットへとやって来た。
「絶対に私から離れずに、うろちょろしない。分かった?」
「了解したよ、ルートヴィッヒっ」
しかし。店内に入るや否や、やはりレゼッタさんの言葉が嘘になってしまったのは言うまでもない。
「ちょっとちょっとちょっとっ。おっ前、何やってるのさーーーーっ」
医院長は他世界の生き物と瞬時にはぐれ、発見には三分の時間を要した。しかし。その三分の間に。
「この肉。一つひとつがきれいに精肉加工されていて、実に素晴らしいんだっ。しかし……ニンゲンの肉は無いんだね」
レゼッタさんは「これはトリのようだし、これはケモノかな?」と、鶏肉コーナーと豚肉コーナーの境界で首をかしげていた。
「ンなもの、あるワケないだろっ。ここはニンゲン界んだよっ」
「では夕食は何を食べればいいんだろうね……。自分でニンゲンを捕縛に行かなければならないのかな」
「そんなことする訳ないだろーーーっ」
こうして。レゼッタさんは初日から、食文化の違いを感じることが出来た。ちなみ、お会計の場面で、いきなりアタッシュケースを妖術で出し、それバコッと開いて店員さんへ「何枚必要なんだい?」という事案も引き起こした。是鷹医院長が一瞬、目を放した隙だった。
なので。騒然と店内をさせてしまった彼らは、医院長のカード払い一括で買い物を済ませ、そそくさとスーパーから撤収したのだった。
「お前ねっ。問題行動を起こすなって、あれだけ言ったのにっ!!」
「うーん。何か問題が起こっていたのかい?」
「起こりまくりだよっ。大体、妖術は使わないっ。他世界へ来たら、妖術も神術も魔法も使っちゃダメって言われてるんじゃないのっ!?」
「そういえば……そうだったねっ。うっかり忘れていたよ。しかしそうすると、あの茶色い紙が入った箱は毎日持ち歩かないとねっ」
「だから、あの中から使いそうな分だけ、財布に入れておけばいーんだよっ」
「どうすればいいのだろうね」
レゼッタさんは助手席でハテ? うーん。と、悩み出した。
「だーからっ。財布に入れておけばいいんだよっ」
「サイフ?」
「そうっ。小分けにして入れておくケースだよっ」
「ルートヴィッヒ……君はなんて頭が良いんだっ」
「お前が莫迦過ぎなんだよーーーーっ」
こうして。一日目にして、お金の使い方の知恵を授けられたレゼッタさんは「有意義なニンゲン界生活が始められたよ」と、たいそう喜んだ。一方、そんな妖魔界の王族の方の取り扱いに、想像以上に苦慮することが判明した是鷹医院長は「なんなのさーっこの阿呆妖魔っ」と、キレた。
翌朝。
「ヒナリ。とにかくこの莫迦を監視しながら、ニンゲン界の生活を指南してやってよ」
「こ、この莫迦……ではなく。この方は妖魔界の王兄殿下、レゼッタ・ガレジィートェ様じゃないのかい?」
今日もなぜか作務衣姿(本人は気に入っているようでニッコニコ)の高貴な王族を、是鷹医院長は知り合いに紹介した。
「いいから。貴方なら、天界執行役として人間界を毎日往来していて、文化も、それから人間の事にも詳しいでしょ? だから面倒をみてよ」
「しかしねぇ。私のような、ただのいち天上人がそんな役目を」
けれど、当の本人、レゼッタさんは「ヒナリ・コートクだろう? とても執行役として有能だったと聞いているよ。ニンゲン界にも詳しいなら、とても僕は心強いよっ。宜しく頼んだよ」と、うっきうきの笑顔で頼んできた。
「ほら。もう妖怪に憑りつかれた。私はね、これでも医者で忙しいから。頼んだよ」
「よ、妖怪って。ルートヴィッヒ閣下。そんな無茶な……」
「あ、それから。私はここでは西園寺是鷹。で、ヒナリはまあ、ニンゲン界でも不自然じゃない呼び名だからいいけど。レゼッタ・ガレジィートェ。これはダメだね。こっちの世界じゃダメ過ぎ。おかし過ぎる……って、本人の中身もメッチャクチャおかしいけど。とにかく、それなりの呼び名を付けないと」
「名前??? 僕のこの名前ではダメなのかい? そうだね。確かに、僕はあらゆる世界で悪事に手を染めてきた過去があるからね。皆が怖がってしまうかも知れない……」
少ししょんぼりするレゼッタさん。あ、しかし。
「そーじゃないんだよっ。お前のことなんて、このニンゲン界では無名なのっ。はぁ。もう。こーゆー奴だから。ヒナリ。しっかり監視して、よく教え込んでよっ」
「う、うーん。出来る限りは……」
「で。お前の名前だけど。そういえば、お前の甥っこも人間界に出入りしてるじゃない? ウチの子がこのニンゲン界でやってる音楽事務所に所属してる、何とかっていうバンドの追っ駆けをするために。その時に人間ぽい名前を使ってるんじゃないの?」
「ミルトス君が人間界で……ああっ。確かに。人間界へ遊びに行く時には変装して、それから〝タキザワ・マサト〟という名前を使うと言っていたけど」
「それだ。じゃあ、同じ苗字でタキザワ。で、下の名前も似てるのにしとくか」
「うーん。それじゃあ……ぽみと、とかはどうかな?」
「は? 何? ぽみと、って」
「マサトとポミト。合っているよっ。音が」
「そんな語感じゃダメっ。第一、どんな漢字をあてるのさっ」
「僕はいいと思ったんだけどねっ」
「お前の感覚じゃ全然ダメっ。妖魔感覚は廃止っ。もうっ。いーい? ぽやっとして、ゆっるゆるぅ~なお前に相応しそうなのは……。あ、そうだ。春の陽気に誘われ、ぽやっとぽわっとって感じのお前にピッタリな――ハルト。うん。滝沢春人でいいや。お前は今日からハルト。甥っ子は正人で、お前は春人。わかった? 我れながらセンスあるなぁ、私は」
医院長の提案にレゼッタさんは「たきざわ・はると」と、ぶつぶつ何度か繰り返し、それから「覚えたよっ」と、ほっくほくのニッコニコな笑顔で大喜びをしたのだった。
「だ、大丈夫なのかい? 王兄殿下という人は……」
「見ての通りダメ。ダメダメ過ぎ。だから貴方に任せるの。ホント。頼んだからね」
「やれやれ。閣下の命令はいつも難儀なものばかりだね」
「私はね、出来る人にしか頼まないの。しっかり完了してよ、私の指示」
「承知しました」
とは言えど。ヒナリさんが苦慮したことは言うまでもない。
「ヒナリ・コートク。これは何だい?」
「あー、春人君。私の名はヒナリ、だけでいいんだ。コートクは呼ばない方が人間界では自然なんだよ」
「なるほど。ではヒナリ。これは何なのだろう」
「そしてこれはテレビ。家具の一種だよ」
「てれび? 家具なのかいっ。装飾品の一種かな」
「うーん。テレビは殿下にとって一番説明の難しい家具のような気がするよ」
こうして。医院長が母屋のお隣にあるクリニックで診療開始と同時に。ヒナリさんは居間にて、まず基本的な人間たちの生活観念と文化と、それから衣・食・住にまつわる簡単な話からスタートさせた。
春人さんはヒナリさんの話を驚きながらも実に楽しく聞いていた。そしてすぐに次のような質問をした。
「ヒナリ。人間界では人間を食べないのかい?」
これは昨日、医院長からも注意をされていたのだが。春人さんとしてはどうしても知りたいことだった。
「そうだね。人間は他の人間を殺してはいけない決まりがあるからね。食べるためには、殺さないと食べられないだろう。だから人間は同種を食しはしないんだよ」
「なるほど」
「妖魔は他世界に来た折、そこの主生物を殺してはいけない。と、いう決まりがあるはずではなかったかな?」
「うん。そうだね」
「だから春人君は人間を殺してはダメなんだよ。殺さないと食べられないだろう?」
「なるほどっ。わかったよ。以後気をつけるよっ」
「うーん。しかし殿下には、もっと他に沢山気をつけて頂かないといけないモノがある気がするよ、私は」
「ん??? それはそうだよ、ヒナリ。僕は未だ人間界に慣れていないからねっ」
「いや~。そういう問題でもないんだが……」
春人さんがニンゲン界へ来て、まずは食について興味関心がある、と感じられたヒナリさんは、午前中はニンゲン界での食を通して生活ルール、文化をレクチャーした。そして午後は、その実践、研修の為に近所のスーパーへ連れて行くことになった。
向かった先は昨日とは違うスーパーだった。是鷹医院長から、身代金箱(ジュラルミンケース)を大々的にオープンさせ、大量の札束で会計をしようとした場所へは、ほとぼりが冷めるまでは行かない方がいい、と言われた。ヒナリさんも尤もだと思った。なので西園寺クリニックから少し離れたオトナリ市へとやって来た。彼もニンゲン界に適応した身形(黒髪に、フードつきの紺色パーカーとベージュ色の細身のチノ・パンツ姿)となって、中型規模のスーパーマーケット・カメヤを二人で訪問。
「ヒナリ。では早速、中で色々を見て回りたいと思うよっ」
「ああ、春人君。まずはこの買い物かごを持って。それから私と一緒に売られている物を見て進もう」
「了解したよっ」
ヒナリさんが買い物カゴを指差し、それを持って店内を巡ることがルールであると教えると春人さんは素直に従った。それから野菜コーナー、生鮮食品コーナーと、順番に進む。
「なるほど。ニンゲン界では、野生の生物を誰かが狩りをして、こうして並べて欲しい物を手に入れられるんだねっ。便利だよっ」
「春人君。狩りは面倒だから、食べる食材を育てて得る事にしているんだ。その方が効率的だろう」
「確かにっ。そうすればいつでも食べられるねっ」
それを養殖という文化だ、と教えると、春人さんは実に感心して「食事の回数が少なくて済む僕のような妖魔と違って、ニンゲンは大変だね。しっかり自分たちの特性を見極め、きちんと考えて暮らしているんだねっ」と言った。
それから「これはニンゲン界にしかない物っ、という変わった食べ物は無いのかい?」と春人さんが尋ねてきたので、ヒナリさんは乾物コーナーへと案内をした。
「これは……白い塊だねっ。しかも硬いよ」
「この食べ物は〝切り餅〟というんだ。私もニンゲン界で、死神としてこのニホンという国を担当した時に、これを喉に詰まらせて死んだと、いう人間に教えられ知ったんだがね。これを火に炙って焼いて食べると、面白い食感と風味が味わえるんだよ」
「面白い食感? それはとても興味深いねっ!!」
「この世界、というよりも、この国の食文化の粋を集めたような物でもあるらしいんだ。だからこれを私は勧めるよ」
「ありがとうっヒナリ!! そんな素晴らしい物を教えてくれてっ」
しかし、のちに餅を推薦したのは、ただ単にヒナリさんがお餅が好きだったから勧めた、ということが分かった。だが現時点では「その空間、その国の文化をサラッとふれる」が目的だったため、彼も気楽に自分のお気に入りの食べ物を教えただけのつもりだった。
それから、是鷹医院長から頼まれている食材や日用雑貨などもカゴへとヒナリさんは入れていった。それを春人さんが「これ何だい?」とか「何だいっ。それは」と、色々聞いてくるので、ヒナリさんが「これは石けん。手を洗う時に使う道具だよ」や「こちらはスポンジ。食器などを洗う時に使う道具だよ」と、簡潔で丁寧に説明をしていった。
「ヒナリは教え方が上手だねっ。さすが元死神っ」
「いやいや。私ももう歳なんでね」
しかし、こうした穏やかな人でしか春人さんのお供は出来ない。年齢は関係無かった。ゆえ、是鷹医院長には俄然できないことであり、本人もそれをよく分かっていた。そしてなにより、春人さんの世話なんてやりたくも無い。だからヒナリさんへ任せた。適任者の配置をしたまで。
そのお陰で、昨日とはうって変わり、落ち着いてきちんとした買い物が出来た。ただ、春人さんがお会計の際に、またもうっかり妖術でジュラルミンケースを出してしまい、札束を広げてしまった。
「春人君。医院長に言われていただろう? お買い物の際には、その巾着袋に入っている〝ピンクのウサギさんのお財布〟の中に入っている〝茶色い紙〟だけを出すようにと」
「すまない、ヒナリ。やっぱり僕はまだニンゲン界へは慣れていないよっ」
とりあえずヒナリさんが「これは手品の小道具なんですよ。はは」と誤魔化し、ヒナリさんのお財布から現金を出し、支払いを済ませた。店員さんもびっくりしたが、メッチャイケメンがジュラルミンケースを持って現われた、という非常事態の非現実的な状況だったので、ヒナリさんの苦しい言い訳もなぜか納得してしまったようだった。
こうして、二人は様々な物が詰め込まれた大きな買い物袋を持ち、駐車場へと向かう。ヒナリさんも人間界でお仕事をしていたので、車の運転免許を持っていた。だから是鷹医院長から借りてきた車に二人は乗り、西園寺クリニックの母屋へと帰った。
「うんうん。昨日よりはスムーズに買い物が出来たよっ。ありがとうっヒナリ!!」
「それならよかったよ。要冷蔵の食材を冷蔵庫へ保管したら、早速お餅を焼いてみせよう」
「うんうん。楽しみだよっ。オモチ!!」
こうして夕食は。
「あのさ。なんで、雑煮と汁粉と安倍川と磯部……餅ばっかなのさっ」
「モチ文化インじゃぱん、だからだよっ」
「もーーっ。意味も分かってないでお前は変な言葉を使うなーーーっ。一っ体っ、今日一日、お前たちはなーにやってたんだよーーーーっ」
是鷹医院長には餅三昧は受け入れがたいようだった。しかし。
「これは……本当にすごい物だよっ。のびるっ。のびるよっ。ルートヴィッヒ!!」
妖魔という種族は、根明で陽気、非常に楽観的といわれる妖精族の次くらいに大らか、とされている。そんな種族の王族である春人さんは、医院長の叫びなど聞いていない。お餅が伸びるという特性にまず激烈感動感激していた。
「どうだい? 妖魔の口にも合うか試してごらん。天上人の私には、充分、満足の味なんだがね」
好物を前に、これまた天上界でも大らかで、その上、元上司は怒りん坊であることを承知しているヒナリさんもにこやかで和やかだった。
「……んなの。何なのっ。何なのさーーーーっ」
その様子に、怒りん坊の元上司、是鷹医院長の堪忍袋の緒が切れた。だがそれに対して「な……。なんて不思議な食感なんだ」と、春人さんは餅をモチモチモチと噛み、さらに感激をしながら味わっていた。しかしお餅初心者なので、手や顔をベタベタにさせてしまっている。けれど、それすらも「くっつくねっ。すごい食べ物だよ!!」と、大喜びしている。一方のヒナリさんも「私はどちらかというと、この雑煮がオススメなんだよ。汁に浸され、餅がより搗きたてのようになって良くのびるんだ。そしてこれを作ると妻も大変喜んでくれるからね」と、ちっとも聞いていない。
こうなると、是鷹医院長ももう諦め「ちょっと。私のお汁粉」と、ヒナリさんにオーダーを入れるしかなかった。医院長は意外と甘党だった。
こうして。西園寺クリニックはレゼッタさんが訪れ、さらに滝沢春人の誕生(名前が付けられた)記念日として、ささやかながらも、かなり満腹になる餅晩餐会が開かれたのだった。
「ルートヴィッヒ・ランベルセ。これを食べ終えたら、今夜は将棋を打とうっ」
「は? 夜は寝るんだよ。ふつーは」
「そうなのかい? ではヒナリはどうかな?」
「うーん。一局くらいなら」
妖魔は実に自由で、奔放で、他の種族とは異なる好奇心の大きさを持った生き物だった。
であるからして。ヒナリさんが一局だけ、といったにも拘らず。食後の試合は、深夜にまで及んだ。しかしこれは誰しもが思いつく結果であり、もちろん、是鷹医院長などは「絶対そうなるからさ。ふつーはやらないよ~」と、後にヒナリさんへ得意気に語っていたのだった。
そのようなことがあったので、西園寺クリニックが寝静まったのは午前二時半を過ぎてからだった。ヒナリさんは結局、疲れ果てて帰ることを断念。母屋に一室だけ設えてある客間に布団を自分で敷き、寝た。医院長は二階の寝室でぐっすり。春人さんは用意してもらった新たな自分のお部屋、仏間、にお布団を敷く……こと無く。そのままゴロンと横になって、すやぴー、すぴー、と眠ったのだった。どうやら前日、医院長にお布団の敷き方をレクチャーしてもらっていたところに、春人さんが甥っ子から送られたジュラルミンケースの話を持ち出し、お布団の敷き方を学ぶシーンが飛ばされたため、春人さんはお布団の存在を知ることは出来たのだが、その使い方までには至らなかったのだ。そのせいで押入れに寝具一式は入っているのだが、それらもその中で眠ることとなった。
しかし、大らかで根明な種族の妖魔。その王族、春人さんは何も気にせずに、気持ちよさそうに寝ていた。しかも電気を点けたまま。明かりの消し方も分かっていなかった。
静かで、ビミョーな空気感が漂っている真夜中。誰もが安眠、安息の中にいた。そんなボロ家に、突如、がしゃーん、とガラスの割れる音がした。玄関の方からだった。
だが、そこの住人たちは、老人だったり、疲れ果てていたり、大らか過ぎたりしているため。一人も目を覚ます者はいなかった。それに平和なニンゲン界である。邪神との戦いを繰り広げているような緊急事態ではない。誰もが安心して、すやぴー、となっていた。
「おいっ。さっささとアタッシュケースを探せっ。誰か居たら縛るんだ。ハンマーはあるな」
「ああ」
小さな懐中電灯を手に持った三人の男たちが、ぞろぞろぞろと玄関を破壊して室内へと侵入してきた。彼らは懐中電灯で廊下を照らしながら奥へと進んでいった。狭くてぼろい家。昭和の薫りが漂う室内は、土壁などが所どころ剥がれている。普通の人間であったら、この古さに薄気味悪さを感じて、大人でさえも、夜、トイレに行けそうもないショウワの怪奇的な雰囲気が漂っている。しかし侵入してきた者達は、別の緊張感に取り巻かれていた。
その一人が手に持つスマホが煌々と光っている。決してライトとして使っているものではない。スマホからも異常な威圧感と緊張感が帯びていた。すべてはそこからの指示だった。
やがて廊下の壁に突き当たる。そこで三人は別れて行動する事になった。目的は強盗。この家には現金の詰まったジュラルミンケースがある。それを略奪して来い。そういうバイトだった。
強盗は悪事である。その悪事である強盗の中でも、現金がその場ですぐに手に入れられるケースは、事後処理がラクで大変好ましい。クレジットカードや銀行のキャッシュカードは暗証番号が必要。しかし金庫は現金がそのまま入っているから良い。だが重い。その点。ジュラルミンケースは、そのままパコッと開けられる。いや。本来はこれまた鍵が掛けられていて簡単には開けられない物なのだが。
しかし。なぜかここの住人は、それをいとも簡単にパコッと開け、その中に詰まっている札束から茶色い紙幣を何枚か気楽に出し、スーパーの会計をしようとしていたのだ。ゆえに。ここのジュラルミンケースはチョロイ。それが悪者たちの情報網に引っかかってしまったのである。
全部、春人さんがよくない。しかし彼はニンゲン界に来てまだ二日。いや、今日で三日目。とにかくニンゲン界の文化やしきたり、彼らの生態についてよくわかっていない。その代表例として、お金がある所には、必ず悪人が群がってくる。セイジカ、ボウリョク団、ゴクツブシ。のちのち分かる事になるのだが、そういうことをやっていたニンゲンはみな例外なく地獄へ堕ちるそうだ。ヒナリさんがそう教えてくれた。
けれど春人さんはまだそれを知らない。そして今は悪事を働く悪者の憐れな末路より、今まさに、悪事を働こうとしている者達の動向が問題だった。
彼らは事前にこの家には老人しかいない。と、いう情報を得ていた。だからハンマーと粘着テープさえあれば何とでも出来る。しかもそれが一対一でも大丈夫。そう高を括っていた。
散り散りに別れた悪人たちは、それぞれ階段を上ったり、さらに奥へと進んだり、手近な襖を開けたりした。するとそこには。
「ちょっと。なんなの? 君たちは。勝手に人の家を壊して入って来るなんて」
階段の最上段に腕を組み、顔には懐中電灯の光を当てて立っている是鷹医院長と遭遇し、
「まったくなんと恐れを知らない若い人たちだ。よりにもよってこんな家屋敷に入って来るとはね」
真っ暗な客間で、布団に包まって姿かたちは晒していないヒナリさんの声だけを耳にし、
「すやー。すやぴー。すやー。すやぴー」
電気が点いたままの部屋の畳の上で、ただただ気持ち良さそうに眠っている異常な美麗の春人さんと出くわした。
「「「なんだお前っ」」」
悪者たちはそれぞれの場所で驚き上がった。しかし全員が後の祭りだった。
「あのさ。君。君が今、どれほど不利な状況にいるか分ってる? 館の攻略に階段を安易に昇って来るものじゃないんだよ。戦況の不利を招くから」
医院長はそう言って、右足キックを正面に一発食らわせた。悪人は突然現れた人の姿に驚いて、持っていたハンマーを活かすことを忘れていた。そのため、是鷹医院長の華麗なキックを顔面にめり込ませ、そのまま「わーーーっ」と一気に階段から落ちていった。
「秘技。モチヅツミ」
一方。ヒナリさんはそんな必殺技名を言って、自分が被っていた布団をバッと剥ぎ取り、思いきり入口に向けて投げつけた。布団は途中で大きく広がり、部屋への侵入者に覆い被った。こちらの悪者も自分の状況が分らず、手にした懐中電灯で正面を照らした瞬間。餅、ではなく白の掛布団に視界を遮られてしまい、身動きが取れない状態へ追い込まれた。その後はヒナリさん手刀峰打ちを喰らい、こちらもあえなく撃沈。
そして。春人さんの方はというと。
「ん? これじゃん。ジュラルミンは」
仏壇の前にジュラルミンケースがいくつか並んでいたのを悪者に発見されてしまった。
「すやぴー。すやー。すやぴー。すやー」
しかしその持ち主は安眠している。
「おいっ。ここにあンぞっ」
悪者は目的物を発見し、思わず雄叫びを上げてしまった。本来であると、まずは住民を痛めつけ、身動きできないようにしてから獲物をゆっくりいただく。これが強盗の基本である。しかし素人で初心者なのでそれをうっかり忘れてしまった。
「すやぴー。……ん? 誰だい?」
基本のキが出来ていない悪者。すべては基本が大切、ということが理解出来ないニンゲンだからこそ、こんな悪事に手を染めなければお金を手にする事の出来ないニンゲン。春人さんはそんな野蛮なニンゲンと遭遇した。
「おや? 君も医院長の友人なのかい?」
「なっ。なななななんだテメー」
「ん??? この部屋は僕が使っていいと言われていたんだけど。君も使うことになったのかな」
春人さんはニコリと微笑んで「この部屋はブツマというらしいね。しかし寝るには少し硬い床をしているんだよ」と、それ以外のことは言わなかった。
「な……」
悪者はそんな春人さんに対して、アクションを起こすことが全く出来なかった。ある意味、大変な脅威を感じた。別に妖魔だから、という脅威ではない。それから白き妖魔と呼ばれ何千人という人間や妖精、天上人などを繰り返し殺戮してきたという凶悪な過去を知っているから、という脅威でもない。
作者は強盗に入った事が無いので想像でしか考えられないのだが。もしも強盗に入った家の住人が、おおよそ想定されるリアクションをすれば、事前に考えてきた対処法をとるだろう。ハンマーで殴りつける、粘着テープでぐるぐる巻きにする、等。しかし。このように、いきなり部屋の紹介をし、寝心地の感想を言ってくる人がいる。これは想定外。しかも電気を点けっぱなしでいたため、明かりの下に美し過ぎる顔で微笑んでいる人がいる。強盗をするという非日常の異常な精神の働く中で、それを越える事態が発生。そんな時に人はどうすればよいのか。とんと見当がつかぬ。
「大丈夫かねっ春人君」
しかしそんな混沌とした状況を一階にいたヒナリさんが救ってくれた。ノーリアクションで固まっていたニンゲンは、背中からヒナリさん手刀一撃でバタリとその場に崩れた。
「ん??? 僕は大丈夫だよ。しかしこのニンゲンはルートヴィッヒの友人ではないのかい?」
「いや。この屋敷に侵入した賊だ」
「賊? そうなのかい? ルートヴィッヒの管理している所へそう易々と、賊が。そんな者が入って来られるのとは思えないけれど。まさか何かの陽動作戦なのかな?」
「そういうことでもないんだがね。ただの古い木造家屋で侵入がラクに出来たというだけで、何かを迎え撃つ為の策を遂行している訳では……」
春人さんは「ルートヴィッヒは無事かい?」と問う。すると部屋に遅れて入ってきた当の本人が「見ての通り」と、元気な姿を見せた。それに喜ぶ春人さんであったが、是鷹医院長の方はお冠だった。
「春人っ。お前がそこここで、札束広げるから、こーゆー事態になるんだよっ」
「ん? どういうことだい???」
「私がこんなボロ家に住んでいるのが台無しでしょ。金持ち風の家に居たら自由に歩けないんだよ。だからビンボー屋敷で暮らしてるのっ。それをお前は」
「そうだったのかいっ。医院長は、わざと、みすぼらしい生き方をしていたんだねっ」
「みすぼらしいって言うなーーーっ」
しかし春人さんは医院長の怒りを意に介することなく、自分の部屋へと入ってきた不法侵入者をじっと見つめた。ヒナリさんの手刀によって悪者は現在、うつ伏せの状態で倒れている。
「このニンゲンなら食べてもいいのかい?」
にっこり微笑んで是鷹医院長に許可を得ようとする春人さんがいた。
もちろん。輪を掛けて彼は是鷹医院長に注意され「どんな人間でもダメなものはダメーーーっ」と、医院長の怒声が木霊した。
尚。どうしてこのタイミングで春人さんが唐突に人間を食そう、という思いに至ったのかは作者も不明である。妖魔は根明で陽気、非常に楽観的だから。なのか?
「あー、春人君。どうしてこのニンゲンなら食べていいと思うのかな」
気になったのでヒナリさんに聞いてもらうことにした。すると春人さんはこう答えた。
「賊などの悪党は処刑するものだろう? ならば刑に処された者は死体を残すじゃないか。そうなる末路であるならば、先に食べてしまっても問題は無いかと思っただけだよ」
「そ、そうなのか……」
この発言を聞いたヒナリさんは、まだまだ春人さんへニンゲン界文化のレクチャーをしっかりやらねばならないな、と決心を固めざるを得ないのだった。
それから警察が来るまでに三人は悪党全員を粘着テープでぐるぐる巻きした。
「彼らが自らを拘束できる道具を持っていて良かったねっ」
「そーだね」
「うーむ。なんだか違う気もするがねぇ」
数分後に駆けつけてくれた警察官の人へ悪者を引き渡し。
「これは……どっちが犯人で被害者か分からないな」
「西園寺先生。こりゃやりすぎですよ」
「テープ剥ぐ時、めっちゃ痛そうですね」
刑事さんには苦言を呈され、鑑識の人が写真を撮り、色々な物品が押収された。あとついでに、ご近所さんもどやどや見物に来て、クリニックの周りは一時騒然となった。が、その間、一番の騒然となった話題の元は言うまでもなく、突如現れた美麗すぎる謎の人、春人さんである。一応、茶色い髪で作務衣の姿をしてはいた。しかし、である。
是鷹医院長はそんな彼を「親戚だよ、親戚っ」と近所の連中にそう言って対処するしかなかった。が、そこに春人さんの「僕と医院長はいつ親戚関係になったんだい?」とかなんとか言って、現場を混乱させた。いや、医院長を混乱させた事だけは記しておく。
「お前は黙ってて。しっ、ったら、しっ」
「ん? しっ?」
現場が混乱するのは当然だった。
そして夜が明けた。
騒ぎも収まり、落ち着きを取り戻したド田舎町の春の日の出前は少し暖かかった。
「でさぁ。何やってんだよ、お前は」
「入り口の修繕だよ」
警察官や鑑識の人、ご近所の人、などなどが撤収後。春人さんは玄関のガラスが割られてしまった所に注目をした。木枠で出来た磨り硝子のスライド式。ショウワ感たっぷりで、扉の中心に鍵穴があるタイプだった。ガラスに、こぶし大に穴が開いていた。しかも古いガラスなので、蜘蛛の巣状にヒビまで入っている。
「そんなのさ、大工さんに連絡して直してもらうから放っておきなよ」
「そうはいかないよっ。また賊が来たら困るだろうっ」
春人さんは妖力を使って、ぽわわわと、硝子戸に術を掛けた。いや。掛けるのかと思った。
しかし室内から香ばしく美味しそうな匂いが漂ってきた。夜明け前に何事か? と、医院長が玄関の向こうを見ると。
「なんなの、ヒナリ。それ」
「あ、いや。春人君がね、お餅を焼いて欲しいと言ってね」
なぜか皿の上にこんがり焼けた板餅を何枚か並べて持ってきた。するとそれを所望した人物は「ありがとう、ヒナリ」と、嬉しそうにそれを手に取った。
「お前さ、なんでこんな所で食べるの?」
「ん? 違うよっ。これは」
そう言って春人さんは、これまたなぜか足元に用意しておいたジュラルミンケースをパコッと開けた。その中の帯封に括られていた茶色い紙を数枚取り出し、そこへ良く焼けた餅をべたーーっと塗りたくる。
「な、ななななにやってんのさーーーーっ」
「これを張り付けて、こうやって扉の穴を塞ぐんだよ」
茶色い長方形の紙を何枚か綴り、それを硝子戸の穴にペタッと貼りつける。確かに春人さんの言う通り。きれいに穴は塞がった。それから彼はヒビの入っている所にも茶色い紙にお餅を塗って、丁寧にぺた、ぺた、ぺたと貼り付けてくれた。
「どうだいっ。これで応急処置になったろう!!」
「なるかーーーーーーーーっ」
こうして。西園寺クリニックに春の夜明けが訪れた。
「本当に、医院長閣下の指示命令は難儀としか言えないな」
ヒナリさんのため息は、温かな朝の風に混じって流れて行くのだった。
ニホンの素晴らしい季節。春がやって来た。そして春人さんもやって来た。
春人さんがやって来た・了