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《第8話 やっと会えたぞ、水沢渓谷の仙人》
(八)
「その必要はありませんよ」
背後で聞き覚えのある声がした。
「皆さん、良く頑張りましたね」
振り向くと、水沢川にいた川の神の家政夫で、自称神様の香川さんがのほほんとした表情で立っていた。その隣に着崩しの白い着物姿をした白髪のおじーさんを連れて。
「が、頑張ったって……」
「さすが、あの人の息子さんですね」
「それは」
「関係無い、ですか? いえ、そうですね。それは君自身の力でやりとげたこと。立派でしたよ、雅沢勇聖くん」
突然現われて、またあの人の息子呼ばわり。加えて褒められた。本当に何なんだろう、この人って。
「そんなことより! 一体、どういう事なんですかっ。オレも隆司さんも舞も、そして変な猫も。みーんなひどい目に遭ったんですよ」
「あ、そうでした。す、すみません」
「それに仙人を探す必要が無いって、どういうことですか?」
「あ、えっと。それは、そのボクが」
「まさか香川さんが水沢渓谷の仙人だ、とか言わないで下さいよ」
「え? それは違います。ボ、ボクは天界の王様ですから」
「は? 王様?」
「そうです。天界の神様で、そこの王様でもあって」
「もうっ。いい加減にしてください。冗談は結構です」
「冗談じゃなくて、あの、本当の事で」
「そんなことより、仙人を探さなくていいって。どういうことなんですか」
「ひ、ひどいですぅ。冗談じゃないのに。もう。折角、水沢渓谷の仙人を連れてきてあげたのに。もう会わせてあげないですぅ」
と、隣のおじーさんに「正(せい)逢(ほう)さん、あの人の息子が意地悪します~。えぐえぐ」そう泣きついた。まったく。本当に何なんだ、この情けない人は。そのわりに、自分は王様だ、なんて大それた、しかも誰も信じないような面白くない冗談も言ってるし。でも、香川さんに泣きつかれている白い着物のおじーさん。それをこの人は「折角連れてきた」と言っている。と、いうことは。
「あの。あなたが水沢渓谷の仙人様、ですか」
見た目、かなり温厚そうな白髪の好々爺。縁側でお茶を飲み、無駄に孫へおこづかいをあげちゃいそうな雰囲気をかもし出しているこの人。冷たい印象の川の神、雄山さんとは正反対だな。
「そうじゃよぉ。よ~く来たのぉ、雅沢勇聖くん」
「ど、どうもコンニチハ。仙人サマ」
「はいはい、こんにちは」
「……ホントに貴方、仙人、なんですか」
「はいはい」
……命懸けで会おうとした人って、こんなだったのか? なんだか納得できない。
目まいがしそうなオレの所に、舞、彼女に抱きかかえられている黒猫、そして背中の痛みを堪えて隆司さんも来た。
「遠路遥々ようこそ。わしが元渓谷の仙人、狩野正逢(かのうせいほう)じゃ」
と、おじいさんは丁寧に名乗ってくれた。この人の方がよっぽど神様みたいに見えるのはオレだけじゃないと思う。
だからオレたちもそれぞれ名前を告げて「こんにちは」とあいさつをした。それから。
「香川さん。とりあえず、みんなの傷を手当てしてください」
背中に傷を負った隆司さんを始め、結構みんなぼろぼろになっている。猫は生死も危ぶまれている状態かも知れないんだ。
「分かりました。えっと、正逢さんの方が得意ですよね? 回復の術は」
この人。人任せにするのか、いきなり。
「はいはい。でも香川殿も弟殿によう悪さをされて、回復術は得手になったんじゃないかの?」
「そ、そんな事はないですよ~。ボ、ボクは元々上手ですから」
「じゃあ、香川殿がおやりになった方が良いですな」
「うぅ。そんな」
何となく悲しい表情で香川さんは仙人に言われた通り、まずは隆司さんの背中に手を当て何か呪文のような言葉をかけた。と、同時に白く淡い光が背中全体を包み、隆司さんの顔色も良くなっていった。
「お兄ちゃんっ」
その様子を見た舞は顔をぱっと明るくさせた。
「大丈夫? もう背中、痛くない?」
「あぁ。もう、全然平気だ」
「良かったぁ」
舞にようやく本物の笑顔が戻った。オレもその言葉に心底安心した。
ただ。もう一方もかなり気がかりだった。
「香川さん。この猫、オレをかばって下敷きになって、そのまま動かなくなっちゃったんです」
舞が抱きかかえている小さな黒猫。それは彼女の腕の中でぴくりとも動かなかった。
「ネコさん、死んじゃったの?」
「助からないんですか」
舞とオレは香川さんの顔を見た。表情が暗い。やっぱり、猫は……。
「ちびさん。猫なのに、タヌキ寝入りは良くないと思いますよ」
え?
「大体あなた。今は猫の姿をしていますが、歴とした人の姿を持つ仙人じゃないですか。おふざけが過ぎますよ」
その声に水沢渓谷の仙人、正逢さんもやれやれとため息を吐く。
「そうじゃよ。楽(らく)靜(せい)、お前は遊びの加減がちと過ぎておる」
「そんな事をしていると、あの人に怒られちゃいますよ」
二人の言葉に今まで微動だにしなかった猫の背中がビクッと震えた。
「とっととお嬢ちゃんから離れるんじゃ。自分で立つんじゃよ、楽(らく)靜(せい)翁(おきな)」
正逢さんの言葉に猫は舞の腕からぴょんと飛び出し、地面に着地をするとぼんっという音と共に白い煙が猫をおおう。もくもくとわき立つ煙の中に人影が映った。
「あーあ。猫の方が楽しいし身軽で楽なのに」
煙がだんだんと晴れてくる。そこには長身で優に百八十センチ以上はある人が立っていた。そして仙人というからには正逢さんと同じ年寄りかと思ったら、その人は二十代半ばに見える。格好も三国志の偉い奴が着ているような綺麗な青色の着物姿。翁、と言うからには男の人だろうけど、肌は白いし、顔も笹の葉のようなスッとした目に鼻筋が通っていて品があり、長い黒髪はつやつやしている。見目麗しいという言葉がぴったりの美人に見えた。
「こ、これがネコさんなの?」
「そうだよ。僕のホントの姿。僕は天界に住む仙人。特技は剣術と棒術。正逢さんの友達で、猫の姿の時は〝ちび〟って呼ばれてる。でも本名は霙(えい)瀏(りゅう)馨(けい)、字(あざな)は楽靜(らくせい)。君たちはさっき僕を助けてくれたから、特別にどの呼び方でも良いよ」
舞は声を失うくらいにびっくりした様子だった。オレだって驚きだ。
「って。もしかして人の格好してたら、あの龍だってなんとかできたんですか!!」
「うん。余裕でしょ~」
「じゃ、じゃあ。何であの時、人の格好を最初からしなかったんですかっ」
「それは猫で君たちの前へ行ったから。初志貫徹だよ。それに猫だったら仙術に期待されなくて済んでラクが出来ると思ってさ。猫は身軽に動けるし~」
「こ、この猫めっ」
「猫は気まぐれなんだにゃ~」
猫仙人は涼しい顔でオレを見てにやっと笑った。くそっ確信犯か。
「ところで立ち話もなんじゃの。わしの住処(すみか)に来るが良い。遠い所、わざわざ訪ねて来てくれたんだしのぉ。羊(よう)かんに最中(もなか)もあるぞい」
対して。人の良さそうな渓谷の老仙人はオレ達を自分の住む場所へ案内してくれた。
さっきの龍と戦った場所から洞窟内を五分くらい歩いていくと。
「ここじゃよ~」
洞窟の奥に光が見えた。そこは霧が立ち込める竹林の中。オレ達は洞窟からやっと解放された。
「この先にわしが住んどる庵(いおり)があるんじゃよ」
庵、それは小さい木造平屋の家だった。ちゃんと垣根に、どこかで見たような狩野という表札もついている。ついでに木製のポストまで置かれていた。こんな場所にまで郵便屋さんは来てくれるのか?
オレ達は早速、家に一室しかない部屋へ上げられた。純和風で床の間がついていて、こたつが真ん中にどんっと置いてあった。部屋の造りも川の神の所と似ている。
正逢さんはみんなをコタツへ入るようすすめ、香川さんはここでもお茶の支度をはじめた。猫仙人は再び猫の姿になり、とっととコタツの中へもぐってしまう。本当に気まぐれな仙人だ。
「で。皆々はわしに何の用があるんじゃ?」
冷え切っていた体が温まった頃。ついにオレ達は探していた水沢渓谷の仙人との話し合いが始まった。
「まずこれを受け取ってください」
「何じゃ? この洗濯機で洗ったような紙きれは」
「水沢川の神様、狩野雄山さんから渡すように頼まれた手紙です。が、色んな事情で、状態が……非常に悪くなってしまいました。申し訳ありません」
「あんれまぁ。確かにひどい事になっておるが」
仙人はオレから手紙を受け取ると、ふーっと息を吹きかけた。すると手紙から水の粒が飛び散り、驚いたことに手紙が川の神から渡された時の状態に戻った。す、すごいな。やっぱりこの人、仙人んだ。
「さて。雄山は何を書いて寄こしてきたのかの……」
封筒の中に入っていたのは時代劇に出てくるような長い紙。仙人はその手紙を黙読し始めた。
「ほうほう。ん、故郷(くに)のじいちゃんが富士山の火口に落ちて怪我したってかい。それから、仙人岳に新しい霞(かすみ)の飯処(めしどころ)が出来たのかぁ。しかも意外にイケる味……ふむふむ」
な、なんだ。その手紙の内容は!
「せ、正逢さん。なん、何ですか? その手紙は」
「あ、これか? これは二ヶ月にいっぺん、雄山と手紙の交換をしとるんじゃ。何だ、君らはそれを届けに来てくれたのか」
「え? どーゆー事だ、香川さん!」
みんなに湯飲みを配り終わって一息ついている彼を思いっきりにらみつけた。
「え。あ。それは。あのですね。ボク、暇だから人間界に遊びに来てたんです。で、水沢川でその流れを見て命の洗濯をしていたら、雄山さんに手紙を渓谷まで届けるように頼まれちゃって。でもそれがやっぱり面倒になっちゃったから、たまたま来た君たちにその役目を代わってもらったんですよ」
なんて事だっ。手紙を渡す事と、川の氾濫についての話し合いは関係が無かったのか!
「あの。じゃぁ、人間を水で流しちゃうっていう話は……?」
舞もおずおずと本題を質問した。
「おお、そうじゃかった。それについてはわしも迷っておる。雄山は水で流すべきだと訴えているがのぉ。しかしわしは別にそこまでしなくとも良いと思ってるんじゃ」
なんだ。正逢さんは穏健派だったのか?
わしも人間が好き勝手に水を無駄に利用している事は目に余る。それを見るのは忍びない。現に渓谷をつぶしてダムを作った。水の供給量を考え、節水をしても賄えないから止むを得ず、と言うなら仕方がない。じゃが人間はすぐに蛇口をひねっては水を出し、すぐに止めようともせん。おかげであの美しかった『関東の耶馬溪』とも言われたこの水沢渓谷は失われてしまった。そのうえ、他の水場に対しては、平気で不法投棄をし、水質汚濁をまん延させ川や海を苦しめている。
それらは全て、人間の自分勝手な心によって、自分達だけがよければいいと思っているから行っている事じゃ。他の生き物の事など一切考えていない。だから水や川の守り神、主として何か行動をしてみようか、となったんじゃ」
やっぱり川の氾濫についての話は雲行きが良くない。
たしかに正逢さんの言う通り、人間は水を好き勝手に利用している。オレも歯磨きする時に水を出しっぱなしだったり、お風呂のシャワーをザーザー出しすぎて母さんに叱られる事もある。そういう事だって水の無駄遣いに違いない。自分勝手な行いだ。
「そう言われると、何も言い返せないな」
「舞も水に流されちゃうのは嫌だけど。人間も悪い訳だし」
隆司さんと舞も人間側の正当性が見当たらないようで口をつぐんでしまった。オレも一瞬、川の水で人間は滅ぼされても仕方がないと少し思った。
でも果たしてそれで良いものだろうか?
「けどオレはそれじゃ納得がいかない。言葉じゃ上手く言えないが、なんとなく仙人や神様が罰を下すというのはやってはいけない気がする」
「命乞いかっ?」
穏やかだったはずの仙人はオレをにらんだ。でもオレはそれにひるまなかった。
「違う。オレは決してそんなつもりで言ったんじゃ無い。オレだってひどい事をやり過ぎている人間はダメだと思ってる。でも――違うんだ」
言葉がいまいちまとまらない。
「勇ちゃん、むずかしいよぉ。つまり、水さんは怒っているけど、でも神様が人間を流しちゃうのはダメってこと……?」
そう。舞も言っているとおり人間が悪い。だから水が怒って、神様も怒る。昔話じゃよくあることだ。そして神様が罰を与える。うーん。でもそこがオレには引っかかる。
「ひょっとして勇聖は自業自得って言いたいんじゃないのか? ほら。人間が滅びるとしたら自分達の過ちで滅びるべきだって」
「うーん。もしかして、今の勇ちゃんとか舞たちみたいに、自分達で考えないとってことなのかも……?」
隆司さんと舞が何気ない口調でつぶやいた。そうだっ。オレが言いたいのはそれだ!!
「正逢さん。オレが言いたかったのはそこなんです。いくら水を汚す人間に神罰を与えても、それは自分で気づいた事じゃないんです。人間は自分達がやっている事に自分自身で気づくべきなんです。誰の力も借りず、自分自身で。そしてそれを自分達で改善していかなくっちゃダメんだ」
オレの中でモヤモヤしていた事が今ようやく晴れた。自分で気づいて、自分で間違いを正していくべきだ。
「どうやら気づいたみたいだにゃ」
「本当ですね。ボクなんか焦りましたよ。このまま分からず仕舞いだったらって」
コタツからひょっこり顔を出した黒猫と、のほほんとお茶を啜っている自称天界の王様がオレ達の顔をそれぞれ見た。
どういう事だ? まさかオレ達は試されていたのか?
「うんうん。分かったようじゃの。わしもな、計画にはあまりのる気がしなかったんじゃよ。
確かにわしも渓谷が水の底に沈むと決まった当時は、それはひどく人間を恨んだもんだよ。いつかめにものを見せてくれるとも思った。しかしの、わしも見たんじゃよ。渓谷を愛し、大切に思っている人間もいたのを。彼らもわしと同じく悲しい顔をして渓谷をずっと眺めていたんじゃ。
そこでわしも考えが変わった。人間の中にも他の命や自然を慈しみ、大切に思うものもいる。自分勝手な奴ばかりではないと。だからわしは恨む事を止めて静かにダムを見守って暮らす事にしたんじゃよ」
正逢さんはそう言うと宙からキセルを喚び出し一服ふかした。
「しかし雄山がうるさくてな。下流の方は水が汚くてたまらんと。ま、わしもそれを見るに見かねて香川殿に相談したんじゃ。そうしたら人間を試してみたらどうだ、とおっしゃられてな。自分達の過ちに気づかないようなら、即刻、水で流してしまえと」
そういう事だったのか。
「じゃ、もしかしてあの龍も」
「そうじゃ。あれは水たちの抱く想いに、わしが力を貸してやり、形にしてやったんじゃよ。そして洞窟の中に用意したものを使って、それを何とか出来たら話を聞いてやろうと決めたんじゃ。そして君らはわしらが導き出しして欲しいという結果に至った。見事じゃ」
「それじゃ。あの傷薬や剣は初めから用意されていたものだったんですか?」
「あぁ。他にも色々用意しておいたんじゃがのぉ。思ったより皆が早く洞窟に来てしまってな。二つしか置けなかったんじゃ」
と、正逢さんは座っている後ろのふすまを開け、中から色々と出してきた。
「こけし?」
「ビー玉?」
「オレンジジュース?」
「ノコギリだにゃ……」
「わあ、孫の手ですねぇ」
これ、洞窟にばらまいておくつもりだったのか?
「二個しか置けなくてスマンかったのぉ」
「い、いえ。お構いなく」
「ま、かわりに戦っている時にちょこっとヒントをやったし。それで良かろう」
ヒ、ヒント? あったのか? そんなの? ……いや、もしかして「あきらめるな」って聞こえてきたのがそれだったのか?
「しかし残念じゃ。本当はこのダルマもな、置いておきたかったんじゃが。あっ、このまんじゅうはわしが楽しみに取っておいたもの。ここにしまっとったのか。すっかり忘れとった。もう硬くなってしまったわい。食べるには蒸かしなおさんと」
……そ、それは。それは残念だと思うけど。それよりも。
「龍は……そ、その。龍は、川の、水の想いなんですか?」
これ以上、仙人コレクション(?)らしきものを見せられても話が進まないので、オレは戦った龍の話を聞くことにした。多分、ヒントのことはオレが考えた事で正解なんだろう。あえてそれが何だったのか聞くのもカッコ悪いしな。それよりも大事なのはその龍そのものの事だ。
「あの龍は」
「おぉ、そうじゃった。あの龍は水の意思じゃ。彼ら、水は自然の中から生まれ、川になって流れておる。彼らは人間達に好き勝手にされ、汚されたいなどとは思っておらん。水だって綺麗なまま、生まれたままでいたいんじゃ。でもこの世界に共生しているからには、そうもいかないことを承知している。だから他の生きているものの為に力を与えている。しかし人間は水の為に何かをしてくれたか?」
「水に?」
「舞たち人間が?」
「何か出来るのか?」
オレたちが出来る事。水に出来ることなんて……あるのか?
正逢さんの話。あの黒龍の存在。うーん、水は綺麗なままでいたい。でも生き物にその恵みを与える事は納得している。そしてオレ達はそんな水に何が出来るか。
「大事にすればいいのか。水は自然に湧いてくるから、俺達人間の好き勝手、自由になるものだ、ってやりたい放題するもんじゃなくて。水に〝使わせてくれてありがとう〟って、そういう感謝の気持ちを持って使う。そういうことか」
隆司さんは思い切り得意そうに答えに答えた。
「うん、舞もわかる。自分たちだけが良ければ良いって使い方をする人間に、水の想いが〝怒り〟っていう真っ黒い龍になったのよ」
水の想いに応える事、綺麗なままでいたい。それは、じゃぶじゃぶ使われて汚れたくないって事だろう。でも水はそれでもオレ達、生き物のために「どうぞ」って言ってくれてる訳なんだから。
「そっか。使わせてもらってるんだから、もっと相手の身になって、敬わなくちゃだめだ。謙虚にしなくちゃな。オレ達は水に何かをしてやる、じゃなくて必要以上に何もしてやらない。それが彼らのためになる。そういう事なんじゃないですか、正逢さん」
オレは正逢さんの方を見た。老仙人の顔は満面の笑みでオレを見ていた。
「ほっほっ。そこまで分かったようなら、もうわしは何も言わんよ」
と、いう事は。
「計画は?」
「おじゃん。お前たちの言葉、それを信じてみようと思う」
オレは仙人の言葉で肩の荷がやっと下りた気がした。
「やったね、勇ちゃん」
「よく言った! 勇聖っ」
舞、隆司さんも喜んでいる。
「良かったですね。これで皆さんも安心ですし、正逢さんも静かに暮らしていけま……」
香川さんがまとめに入った時だった。
「ごめんくっださーい」
「勇聖っいるのか」
突如、ドンッと玄関の戸が吹き飛んだ。
「あ。し、しまったです。あ、あの人が……来ました」
急に香川さんは逃げ腰になった。
「こりゃあ、珍しい客じゃの」
「わーい! 僕もお久しぶりに会うにゃ~」
仙人たちは面白がっているように見えた。ってゆーか、この二人もあの二人の知り合いなのか? いや。たしか猫の方はあの人の息子って言てたし。しかもオレがあの人の息子なら剣が使えるだろう、とまで言っていた。
「あら。やっぱりいたわね」
「すまんな。戸が壊れた」
ずかずかと勝手に人様の家へ上がり込み、堂々と部屋に侵入してきた二人、つまりオレの両親は息子を見つけるなり、一方は抱きついて喜び、もう一方はお愛想笑いで強張った口元をさせている香川さんをにらんだ。で、にらまれてる方は震え上がっている。
「貴様っ」
「ひ、久しぶりですね。あ、あはは」
「もう二度とオレたちの前へ姿を現わすな、と言ったではないか」
「も、もう。そんなおっかない顔をしなくてもいいじゃないですか。それにボクの事、おそーじの神だなんて言っちゃって。聞こえてましたよ。も~。何度言ったらわかるんですか。ボクは天界の王様だって言ってるでしょ~」
「だったらそれらしい行動をして見せろと昔も言ったはずだ。そうじ神(がみ)」
「ち、違うのに~。ひ、ひどいですぅー」
そうか。やっぱり香川さんは単なるそうじ神か。顔を引きつらせながら、それでも笑って彼は抗議を続けてはいるがな。
たしかに父さんのにらみは誰でも恐怖を感じること間違い無しだから。でも、それでも抗議が出来る香川さんはある意味すごいとオレは思った。
が、今のオレは舞、隆司さんも含め「良く頑張ったわね~偉いわね~」と母さんにまとめて抱きしめられて身動きが取れなかった。
耐えてくれ、香川さん。
「もうっいい加減にしてくれ母さんっ。父さんもそれ以上、気の弱い人を構うとかわいそうだ」
かくして。更に二人の人間が増えた庵はしばらく大騒ぎとなった。
……て。どうやって、両親はここまで来たんだ? そしてさっき戸が吹き飛ばされたように見えたぞ。気合いで、父さんが睨みつけたからか? いや。いくらなんでも、それで戸が吹き飛ぶなんて物理的にあり得ない。ま、それくらいの威力がある顔はしているがな、自分の親ながら。そしてその顔に瓜二つとまでオレは言われている。その辺、将来が心配だ。
ともあれ。
オレ達のやるべき事は終わった。人間も一応は助かった。しかしオレ達は言葉の重みと責任をちゃんと心得ていかなきゃならない。そうしないと隆司さんが言った「人間が滅ぶとすれば自分達の過ちで滅びる」という結末が待っている。間違いなく。
オレは改めて考えなくてはいけないと思った。
** ** ** ** **
「父さん、母さん。お~い、起きろっ」
オレは二人を揺すり起こそうとした。
まったく情けない。仙人の住処(すみか)で大層なもてなしをされたオレ達は、全くの部外者である両親が盛り上がり過ぎてお開きとなった。
結局。オレはその無礼を正逢さんに謝り、香川さんの術でそれぞれの家まで送り届けてもらった。そしたらとたんに二人とも居間で眠りこけた。
「はぁ~。オレって、なんという両親を持ったんだ」
仕方なくソファに並んで寝ている二人に毛布を掛けてやった。まったく人の気も知らないで両親そろって平和そうな寝顔をしている。まるで遊び疲れた子どものようだ。
しかしこの二人。香川さんや仙人たちから言わせると本当にスゴイ人達らしい。
――庵からの去り際、オレが水沢渓谷の仙人と黒猫仙人へ別れの挨拶をした時だった。
「お世話になりました。ついでに両親まで」
「いいんじゃよ。うん、さすがあの人の息子。良く出来とる」
「だにゃ。礼儀がなってるにゃ」
「そ、そうなんですか。って言うか、あの人あの人って。そんなにスゴイんですか、父さんは?」
すると二人はお互いの顔を見合わせながら……何故か笑い出した。
「そりゃ君のお父上は凄いがのぉ」
「うん。並大抵の人じゃないにゃ~」
「でものぉ、わしらが言っているあの人とはの」
「君のお母さんの方にゃ」
は?
「か、母さんの事?」
「そうじゃよ。君の母さんは本当にスゴイお方じゃ」
「うん。スゴくて逆らえないにゃ~」
さ、逆らえないって……。ま、母さんに逆らう事はオレにも出来ない。あの隆司さんも「勇聖の母ちゃんだけには逆らえないよなぁ」と、昔から言ってた。あの人に色々言えるのは父さんだけだ。
「確かに母さんには誰も頭が上がらない」
「うんうん、そうじゃろうそうじゃろう」
「僕も昔、あの人のおやつをうっかり食べちゃって。あの時は地の果てまで追いかけられたもんにゃ。あの時はサハラ砂漠まで逃げたにゃ~」
「香川殿もあの方のお団子を誤って食べた時は、恐怖に慄いて十日間ほど日本海溝へ身を隠しておったのぉ」
サ、サハラ砂漠? 日本海溝?
こ、この人たちは一体。母さんとも知り合いなのか? ん、それどころかオレの母さんて……単に食い意地がはっているだけじゃないか。いや、そこまで追いかけっこした事に驚くべきか。
「それから誰よりも雄々しく」
「強く、聡明にゃ」
そ、そうなのか?
「そんな偉大な者を目指そうとして、失敗してたにゃ~」
あっそ。
「そうじゃのぉ。たしか終(しま)いにゃ〝食いしん坊将軍〟ってあだ名が付いておったわい」
……。
少し母さんのことを見直したと思ったのに。期待外れじゃないか、思いっきり。
オレがずっこけている中、二人はさらに怪談話を聞いた時のような怯えた表情になったり、笑ったり。それぞれが言い合うばかりで、それ以上の事を話してくれなかった。しかもどれだけ食いしん坊なのかを延々と聞かされた。
一体、何なんだ? オレの母さん。
「お二人が母さんの知り合いという事はわかりましたけど。父さんとも知り合いなんですよね? それじゃあ、お二人は父さんと香川さんの関係についてもご存じなんですか?」
そう。仙人の二人が母さんと父さんの知り合いである事は、もうこの際、大したことじゃない。問題はあのへなちょこの香川さんと知り合いである方が大問題だ。父さんたちは香川さんのことをそうじの神だと言ってたけど。明らかにウソだろう。まさか、親友。いや、親戚。いやいや。全て無いだろう。ありえない。百歩譲って親友だったとしても、親戚の方は困る。だって恥ずかしいだろう、あんな親戚。
「おや。君は知らなかったのかい? 親戚なのに」
「兄弟だろう、お二人は。常識にゃ~」
……は?
「と、父さんと香川さんが、兄っ弟っ!?」
じょ、常識? 常識なのか? どこの常識だ、そんな非っ常識はっ。ウ、ウソだろーっ。
と、ととという事は。か、香川さんはオレの叔父さん。そ、そんなの……嫌だっ。恥かし過ぎるっ。
「ま、まさかあんなのが父さんの弟だなんてっ」
「違うにゃ。お兄ちゃんにゃ」
がーん。
あ、あんな人が父さんの〝兄〟だってぇぇーーっ。
「ウソだろ……」
放心するオレをよそに。話の続きを二人の仙人はまたも延々としてくれていたが、もうオレの耳には何も入ってこない。だって。香川さんが。あの、ばっかがわさんが……。
「伯父さんだったなんて」
こうして。人知れず、水沢川流域に平和が訪れた。
が、オレ個人には史上最大の災厄が降ってきた。
「それじゃ、今度は可愛い甥っ子にお土産を持ってきますね。何が良いですかね~? 天界まんじゅうとか、天界バナナとかがいいですか?」
「愚か者が。貴様は天界から降りて来るなと言ってあるだろう」
「えー。だってだって、たまには地上観光したかったんだもん」
「そんな我儘、天界の長たる貴様に許される訳が無いだろうっ。第一、王が率先して禁忌を犯してどうするのだっ。他世界の許可無き往来。貴様、自分の部下にその取り締まりを命じているくせに、何故、貴様がそれをするっ。この痴れ者、恥知らずがっ!!」
「ひどいひどいですっ。ちょっと言い過ぎですよーーっ」
……そっ。
あの父さんがそう言っている以上。これが事実なんだろう。全っ然っ、認めたくは無い事実だけど。
「って、ことは。オレも……」
天界だとか。神様だとか。そういうものに何か関わって……。
「うわーん。ひどいですー。折角、側近の目をかいくぐってやっと十年ぶりに出てこられたのにー」
「家臣の目を欺くなっ。貴様のそういう行動によって、弟のオレがどれだけ苦労させられ、恥を掻かされていると思っているんだ。このスットコドッコイ神めっ」
「何ですか、その言い草はっ。お兄ちゃんに対して言葉遣いがなってないですぅー。ひどいですぅー。えぐえぐ」
――いや。
もう。この件に関しては放っておこう。天界が、とか。そこの王様があんなのだ、とか。あの二人が兄弟だ、とか。本当にもう。関わらない方がいい。むしろ絶対に関わりたくない。
「触らぬ神に祟り無し」
おかげでオレは明日提出しなければならない川の石の事をすっかり忘れていた。
よって。小学校の最初で最後の宿題忘れという不名誉を、よりにもよって舞と一緒に仲良くする羽目になったのだった。
なお、舞は「勇ちゃんとおそろいで宿題忘れだね~」となぜか嬉しそうだった。
もちろん、オレはそんなおそろいなんて御免だ。……とほほ。
エピローグ
常春(とこはる)のそこへと主(あるじ)が戻ったのは約束の時間寸前だった。戻った直後。夕刻だった。
「満足ゆきましたか、陛下」
「はい、とても。それなりの勇気とそこそこの知恵があることが証明されました。そして生きることを諦めず、また、他者の想いに寄り添(そ)い、慈悲(じひ)の心を向け、それを実践できた」
とても柔和(にゅうわ)な笑みで、温厚な雰囲気を纏(まと)うこの世界の王は部下を見た。
「ミミズもオケラもアメンボも。ヤマメもアユも、みんな生きているんです。そうです。彼らも懸命(けんめい)に生きています。それぞれに適した環境条件の下(もと)で。そうでなければ生きられない。条件が破壊されたら生きてはゆけない。ですから水中生物は、適した水の条件というものを壊されたら生きてはいけない。ゆえに、人間は水に対しどうしてゆけば良いか。それを人間風情であっても、しっかり理解し、共に生きていく意義を分かったようですから。よかったです」
「厳しいお言葉ですね」
「そんなことはないですよ~。いいですね~。自然を自然のままにすることが大切だ、と答えを出せた。そしてどんな苦しい場面になっても、自分から命を放棄しないで生き延びる選択もできた。まあボクとしては、途中で正逢さんに助言はして欲しくなかったんですけど。でも、それをしようがしまいが、あの子は生きようとしたでしょうから。大したズルではありません」
そう発言する柔らかで穏やかな雰囲気をまとう人物。彼は天上界の主だった。昼間、「掃除の神」などとさんざん別の呼び方をされてきたが。正体は本人が明かしたとおり、正真正銘の天の神様。その姿は人間世界へ舞い降りた時とほとんど変わらない。ただ、髪の色は白金で、瞳の色は薄い翠色をし、天上では白い衣を身につけている。だがその顔は変わらず、優しい微笑みが保たれていた。
「でもこれなら合格です。手放しに、とまではいきませんけど。王位継承第五位として、あの子は認められます。ボクはそれが一番知りたかった。その判断がつきました」
忠実で、ものすごく立派で美しい白い翼を背に持つ補佐官をつき従える天界の王。彼は本日、地上で見てきた結果をその忠実な天使に話して聞かせていた。
「では良かったのではありませんか?」
「はい。良かったです」
常春のような穏やかで誰もが安心して生きられる場所。天界。そこから数多く存在している世界を見守り、心を寄せている者がいる。自分が治める天界同様に、春のような穏やかさで、温かく優しい心根をした天界の王様だった。彼は全生命を例外なく慈(いつく)しんで生きていた。弱いものでも強いものでも。小さいもの、大きいもの。賢くあるものでも、愚(おろ)かなものでも。あらゆる命あるものに心を寄せていた。
それを継ぐ。王位継承とはそういう役目を背負うことでもあった。
「ボクは王である以上、後継者となる者を見定める義務があります。現在、その候補はボクの子供たち三人。それからボクの弟。 Pand そして弟の息子であるあの子。そう。上位五番目までは、しっかりこの目で確かめたかったんです」
そして数え切れないほどいる生命の中で、天界の王をやっていける候補。あの少年はその五番目であった。
「でもまだまだです。あれだと、すぐなれるものではありません。今のままでは、ちっともダメですね」
「それはしかたがないのでは? 陛下とて、あの子に会ったのは二度目。人間界で誕生した時以来、会ってはいませんでしょう。判断をする材料はまだ少ないと思います」
「そうですよ。ええ。ですから、今後はもう少し気に掛(か)ける事にします。あの子はちょっと生意気です。でもそれが弟の小さい頃にそっくりです。顔までそっくりでした。まあ、だからふさわしい、というわけではありませんけど」
王はクスクスと笑った。昔の、自分が子供のころ、兄弟で過ごした時のことが思い起こされたからだった。
「とにかく、あの子の今後の行いを見て。完全に王位継承者として誰しもが、そしてボクが手放しに認めることが出来る子であれば。その時は」
「はい」
「本当に手放しで喜びましょう」
天(てん)上(じょう)界(かい)、又は、天(てん)界(かい)と呼ばれる場所を治めている現在の王は風を司る神でもあった。その神は、天上こそ平和、故(ゆえ)に平和こそ天上、と定め、日々、自ら統治する世界を雄々(おお)しく神聖な力で平和に導いていた。そして同時に、天界の王たる者は、創造を司る最高神の命令により、その神が創(そう)世(せい)に関わった世界も見守ることを逃れられない役目としていた。
それを継ぐ。王位を継承とはそういうことでもあった。
あの少年。おそらく順番は巡ってこないとは思われる。しかし継承する権利を与えられるということは、何かがあった場合はそれをする。そう。王になる。ということなのだ。
「果たして。そんな手放しで喜ぶ日など訪れるものでしょうかねぇ」
「しかし陛下。彼の両親は、今まで彼にその事情を話していなかったようです。つまりそれは」
「ええ、そうでしょう。弟とその奥さんは、そうさせたくは無い。と、考えている。王様候補の一人はさせたくない。しかしそんな弟も継承権の四位を保持しているんですから。まあ、あきらめるべきですね」
当代の天上界の主は本当に温厚で優しすぎるといわれていた。しかし。あらゆる生命のために、その優しさは、冷静であり、間違いの無い智(ち)慧(え)を示す者でもあった。
「全生命のために、その身をもって尽くせる存在がまた一人、現れたことは生きとし生けるものにとっては大変喜ばしいことです」
安らかで穏やかさに満ちていたその場所に、いつの間にか、すーっと冷え冷えとした風が吹いていた。
「五番目の継承者。課題を出せば大きく育つことでしょう。その成長が楽しみですね」
にこやかにほほえんだ天上界の王は、瞳の奥に静かで深い智慧(ちえ)を宿した輝きを宿し。今日の一日をゆっくりと終えたのだった。
「掃除神とオレ」~って、掃除神じゃないのか!?~ 了