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《第7話 イタミを癒(いや)すとは……》
(七)
――考えるんだ。落ち着いて。もっともっと。考えろ。
このままただ龍に向かうだけじゃ絶対に勝てない。気合いとかそんな事でも勝てない。勝てなきゃオレ達は助からない。でも今のままでは勝てない。
だから考えるんだ。
疾走しながらオレは龍を見上げた。奴は今、オレの攻撃を二回受け、それなりのダメージがある。だからその分、隙はあるはずだ。
物理的な固い龍の体に、剣を使ったところで、人間の力じゃ傷を付ける事なんて到底不可能だ。さっきの猫がやったような不思議な後押しが無いかぎり。
では一体どうすればいいか。思いつかない。分からない。
だからさらに考えるんだ。
「だけど」
巨大な龍の姿が目の前に見えた。それでもオレは何も思いつかなかった。
「やっぱり一か八か。当たって砕けるしかないのかっ」
黒い巨体の龍は額と喉元の傷が結構ダメージになったのか、地面の上や壁に体当たりをしたりのたうち回っていた。あれなら仙人がノビなければ龍に勝てたのかもしれない。
「だったらオレは」
龍はホコリが舞う中で「ぎゃわぁぁん」と雄叫びを上げてのたうち回っている。辺りはまるで真っ白い霧が広がっているようだった。
その中でオレは暴れる龍の真正面に立った。対して奴はオレに全く気づいていない。ただただ暴れている。でもこれほどまでに暴れるなんて、思った以上にダメージを与えたのか? いいや。龍でなくとも普通に痛いだろうな。眉間や喉元は人間を含め、動物の急所にあたる。
「プレゼント。でも」
この龍。どうしても倒さなければならない奴なのか? たしかにオレたちを襲ってくるから正当防衛でこっちも戦っているけど。自分達が生きる為に他の誰かの命を奪う。人間はそうして生きている。いや、自然界のしくみはみんなそうなってはいる。弱ければ自然の中ではふるい落とされて滅んでいく。でも実際に、生き残るために相手を殺す戦いって……嫌なもんだな。
オレはそこで考えることを止めた。剣が鈍る。下手な情けは掛けるべきじゃない。今は自分たちの安全の確保。それだけだ。
「行くぞっ」
オレはそのまま突進した。
狙いは黒龍の額。オレが思いつく弱点はそこだ。人間でも他の動物でも、もうそこを突かれれば確実に命にかかわる。急所の一つだ。だから龍の頭まで何とかして登り、剣でそこを攻撃する。
正式、暴れている龍へは簡単に近づけない。そのお陰であっちもオレの存在に気づいていないとも言える。危険だがチャンスだ。そして舞い上がるホコリの煙もうまい具合に龍へ取り巻いている。だから奴の足元は完全に見えてないはずだ。
オレはホコリにまぎれて近づいた。見上げると、龍の顔や尾、足がいつ襲ってくるか分からない距離まで来ていた。白い鋭く尖った爪がオレの頭を何度か掠った。きっとこれに引っかかればオレの体なんて簡単に弾かれる。運が悪ければ爪に突き刺さり死ぬかもしれない。
でもだからと言って怯んでいる訳にはいかない。
「でりゃーっ」
オレは奴の後ろ足へ飛びついた。それから背中へとよじ登る。そして奴の首の方へと走った。いや走ろうとした。だが奴は暴れていて、バランスを取って前へ進むのはかなり難しい。でもオレが体の上に乗っている事にも気づいていないみたいだ。大きい体の動物は感覚が鈍いから、すぐに気づけないのかも知れない。とにかく奴に気づかれる前に額までたどり着かないと。目指すのは上。龍の頭。
――グワァァァッ。
「うわぁーっ」
いきなり龍の背が大きく反れた。
「気づかれたのかっ」
同時にオレはバランスを崩し、そのまま仰向けになって地面へと落ちた。奴はオレの方を向くと前足でオレの体を押しつぶした。
「く……うぅ」
右の肩から腹がすごく圧迫された。く、苦しい。
「痛……いっ」
その肩に鈍い痛みが走った。横目で見ると龍の巨大な爪がオレの肩の部分を切り裂いて、そこから血が出ていた。
「くっそ……放せっ」
オレは爪にはさまれながら必死にもがいた。腹をへこませ、わずかな隙間を作ってみたり、両手で奴의爪を押し上げようとするがびくともしない。それどころか押し付けてくる圧力がさらに強くなった。
「うぐっ……は、放……せっ」
い、息が出来ない。のどの奥に何かがつっかえているみたいだ。
「くぅ……うぅ」
龍の爪を押し上げようと力を込めていたオレの手も。ついにそれを放した。力が……もう入らない。尽きた。
「くっ。このぉ」
身をよじってでも。
「うくぅっ」
は……放せぇ。
「う……ぐぅぅっ」
く、苦しい。息が……。息がもう出来ないっ。
「ぐぅぅぅ」
い……息がっ。
「う……うぅ」
目がかすんだ。視界もぼやけてきた。オレはこのまま、ここで死ぬのか。
目の前が真っ白に見えた。本当に死んじゃうのか。
『――命は。自分の命は。最後まであきらめてはいけない』
な、なんだ?
『命はあきらめた時。簡単に消えてしまうものだから』
誰の声だ……? わからない。
とても柔らかい声だった。でも力強くもあった。それに聞いたことがあるような声。
「……父さん? それとも……」
誰だかわからない。でも。オレの頭の中で。何かが――響いた。
命をあきらめるな。
そうだ。
それだけは。あきらめちゃいけない。
そうだ。
今はとにかく生きてやる。それだけだっ。
奥歯に力をこめ。オレは歯を食いしばった。必死に。生きる事だけを――
「命を……あきらめないっ」
目の前の光景が戻ってくる。上からのびた黒い龍の足。それがどんなに力を入れてこようとも、今度こそオレは屈するつもりはないっ。
「負ける……ものか」
オレはごつごつした足をにらんだ。力の抜けていた手にもう一度力をこめて、隣に落ちている剣を握った。
「放……っせ」
オレは剣を振り上げ龍の足へ打撃をくらわせた。ガンッという攻撃の振動が、龍の足から押しつぶされているオレ自身の腹に強い圧力となって響いた。
「くはっ」
く、苦しい。諦めたくはないが。もう、本当に。苦し過ぎる。
「ん?」
そして。何故か腰の辺りが、急に冷たくなってきたのを感じた。
…………って。
何だ。オレってもしかして知らず知らずに怖くて。……いや。でも。
モらし……ちゃっ……た? い、いや。そんな幼稚園児じゃあるまいし。
オレの顔が一瞬、火照った。こんな時でも。なんというか。恥ずかしさって湧くんだな。実際。そして剣を握っていない手でなんとなく腰の辺りを触ってみた。やっぱり冷たくなっている。
オレは手でそのまま腰からわき腹まで触ってみた。うっ。やっぱり、かなりびしょびしょじゃないか。こんな時にこんな事になるなんて。いや、こんな時だからこそ……。
「違う。そうじゃない」
手がコートのポケットの所にくると、じゃりじゃりする物に当った。しかもそこが一番濡れている。
「何……だ?」
オレはよく触ってみた。こ、これはっ。
それに思い当たった時。真上から突然「ぎゃおぉぉぉっ」という雄叫びが上がり、オレの腹辺りからはシューシューと音を立てて真っ白い煙が立ち昇った。周りに立ち込めるホコリの煙なんかよりも濃く、まるで水蒸気が上がる勢いだった。いいや、それとも。
「何か……燃えてるのか?」
けれど体は熱くは無い。
煙はどんどん立ち上っていく。それにつれて龍もますます激しく叫び続けた。状況が分からない。
「な、なにが。どうなってるんだ」
そしてある瞬間から、オレを苦しめていた圧力がスッと消えた。
「どうして……」
大きく深呼吸をしてみた。うん。もう何ともない。圧迫感が嘘のようになくなった。
「助かったの……か?」
自分の腹の辺りを見ると龍の足が消えていた。ただ右のわき腹の辺りがびしょびしょになっている。
「これが割れたのか」
オレは剣を杖に立ち上がった。そしてポケットの中に手を突っ込むと、そこには何かの欠片がボロボロと入っていた。取り出してみると
「ガラスの破片」
舞から渡されていたあの不思議な小ビンがポケットの中で粉々になったんだ。
「でも中身は」
痛みを取り除く薬。それがオレのズボンにしみ込んだのか。そしてその直後、龍が叫び声を上げ、白い煙が上がった。
「一体どうしているんだ……」
オレは白い煙の中を警戒しながら龍の方へ静かに近づいた。前方には煙に覆われながらも黒い巨大な影が浮かんで見えた。一歩一歩と近づくにつれてその姿がはっきりしてくる。
「なんだっ。どうなってるんだ!?」
煙の中で巨大な龍の体が地面の上で横倒しになっていた。
「こ、これはっ」
そしてその姿は初めに見た時のものとは違っていた。
倒れている龍の右の前足が付け根から消えていた。何もついていない。
でもそれは切り落とされた傷では無かった。もぎ取られたわけでも無い。文字通り消えた、という状態だった。
オレは足があった場所を注意深く観察し、それがなぜ消えたのか考えながら奴の頭の方を見た。鋭い牙の生えた口、真真紅に光を灯した龍の目が二つ輝いていた。その瞳は良く見ると少し悲しんでいるようにも見えた。
どういう事だ? 足を失った事の悲しみか。それとも痛み。でも足は消えたんだ。血も出ていない。それにあれだけの〝暴れ龍〟だ。悲しみや痛さより、怒りの方がずっと強いはずだ。オレの事を見ても、悲しむより怒りで襲い掛かってくる気がする。でもそうじゃないようだ。
『あの龍さんにも効けばいいのにね。あんなに苦しそうなんだもん』
舞の言葉が急に耳の奥でよみがえった。今になってあの言葉がとても気になる。
龍はオレを見ても何もしてこない。黙ってオレの目をじっとにらみつけているばかりだった。人間より表情を読み取る事は簡単にはいかないが、あの目は……悲しみだけ、怒りだけで満ちているのではない。
「お前は一体……?」
奴はさっきまでの、けたたましい雄叫びを上げる事無く、じっとオレの目を見据えている。
何かオレに言いたいのか……?
しかし龍はオレの目をじっと睨んだまま左の前足を振り上げた。バランスを崩しながら、それでも目の前にいるオレに向けて足を伸ばす。
オレはすぐさまそれをよけた。奴にとっての右側へと跳ぶ。案の定、オレへ手を伸ばし損ねた龍はそのまま右へ転がった。そのせいで一度は晴れた白いホコリがバッと舞う。龍はすぐさま動こうとしたが、もうその力も無いようでただもがいていた。
オレはそんな龍を目の前に剣を持って立った。そう。今ならこいつを。こいつの額に剣を衝き、今度こそ倒せるかもしれない。
オレは両手で剣を振り上げた。
「これでとどめだっ」
その瞬間だった。
奴は血のように真っ赤な目に恐ろしいまでの怒りを浮かべ、同時に「きゅうぅぅっ」と声を上げた。悲しみがつまっている叫び。オレにはそう聞こえた。
にらみつけてくる龍の燃える瞳を前にオレは剣を振り上げたまま動けなくなった。この龍。本当にここで仕留めてしまっていいのだろうか。
確かにこいつによってオレ達は危険な目に遭わされた。隆司さんも、猫の仙人も、オレだって潰されそうになった。そう。殺されそうになったんだ。
そして、今。その立場が逆転した。それだけのことだ。
だけど、やつの目と叫び声。傷、悲しさがこもった燃える真っ赤な目。それを見ているとオレはこのまま剣を振り下ろして本当にいいのか。分からない。
龍は何を思ってるんだ。
始めはオレたちを襲うくらいだったのだから、たぶん怒っていたんだろう。でも今はそれと同じぐらい、何かにとても苦しんでいるようにも、そして悲しんでいるようにも見える。自分が傷つけられたことへなのか。それとも与えられた苦痛になのか。
さっきから奴の目に浮かぶ感情。
それはオレが剣で攻撃した事に対する怒りから湧き上がったモノなんかじゃ無い気がする。まるでこいつ自身が何かの感情で出来ているようだ。そう。悲しみと苦しみ。そして怒り、痛みで出来ている黒い龍。
「お前は……何が言いたいんだ」
言葉がしゃべれない相手と分かりつつもその瞳に問いかけた。奴はもう何も言わなかった。ただオレをじっと見ているだけだった。
「お前は」
――今こそ、考えるんだ。
こいつは。こいつは何が言いたい? 何を伝えたい? ただ暴れたいだけでも、オレ達をエサにしたい訳でもない。
怒りと苦しみ、そして痛みと悲しみを抱えて。
「そういえば」
初めてこいつが現われた時。奴はまるでオレ達行った水沢川に漂っていた硫黄の臭いと共に現れた。今は鼻が慣れて気にする程の事は無いが、あの時はたしかどす黒い体から異様な臭いがしていた。
そしてさっきオレが爪に押し潰された時、突然前足を失い、その付け根まで無くした。なぜそうなったのか。あの時のオレは必死で剣を振った。ただ、それしかしていない。それが何か効果があったのか。
いや。違う。あの時、オレの持っていたビンが割れた。それが服に染み渡り、龍の足に触れた。そうだ。オレが助かったのは舞に渡された薬……。
『その薬、イタミを癒す薬』
猫が言った言葉が脳裏によみがえってきた。
もしかしたら、この龍は――
「お前は水の心。その心から生まれた痛みと苦しみ。悲しみなんだな」
オレは剣を下ろした。そして右のポケットの中に入っていたグシャグシャに濡れてしまった〝あるもの〟を出した。
「答えがこれであるかはわからない」
解いている龍の額にそれを当てた。奴はおとなしく赤い光を灯す瞳をゆっくりと閉じた。次第に顔がふっと穏やかになっていく。熱にうなされた時、氷のうを乗せてもらった時のように。ゆっくりと眠りに落ちていくようだった。それから手を当てていた額から淡い青い光があふれ出し、龍を包み始めた。頭から、体、足の先へと。
そして光が全身を包み込むと。龍の体は光の中に溶け込み、無数の白い小さな光の粒に変わっていった。
「気づかなくて悪かった」
やがて光の粒は上昇し天井に開いた大穴の中へ吸い込まれてゆくように消えていった。
「これで。もう痛くも苦しくもないはずだ」
きっと光の粒は洞窟を越え、もっと高く、空へと昇って行ったに違いない。オレは少なくともそれを願う。
そして完全に光が収まるとオレの足元に何かがパサッと落ちた。
「まったく。これを届けに来たはずなのに、とんだ目に遭わされた……」
それは薬のビンと一緒にポケットへ入れていた仙人への手紙だった。それにはイタミ、痛み、傷みを癒す薬が充分にしみ込んでいた。その手紙を弱点、つまり急所に貼る事によって何かが起こるのではないか。オレはそう思った。急所、即ちカラダで生命にかかわる大事な場所。痛みそのものの存在のような龍へ癒しを与えれば、逆に弱点をつくということだ。
「勇ちゃーんっ」
いつの間にかにオレと龍を取り巻いていた煙も消えた。その向こうから舞の声が聞こえる。
オレも声のほうを振り返った。これでようやくオレ達は目の前の危機からは脱した。
そして。
「今度こそ仙人に会ってこの手紙を渡さなくちゃな」
ぼろぼろになってしまった手紙を見て、オレは休む間もなく当初の目的を思い出した。
そう。水沢渓谷の仙人に会わなければ。