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《クマと貴族としにがみと》(2)‐6
(六)
「ちっ。それにしても、今日はしてやられたってかんじですさねぇ。アンタには」
宴はまだまだ続いている。あたしはその中で少し酔いがまわったので、会からちょっと離れて遊歩道のベンチに腰掛けていた。
「あたしが? 何かした?」
「いいえ。ま~ったく、能天気なもんですぜ」
「の、能天気って。そりゃ、ゼンルから見たらそーかも知れませんけど。なにか?」
「ひひっ。特に何も」
酔い覚ましの風に当たっていると、いつの間にか天使があたしの横に座っていた。
奴はそれから黙って、持ってきていたうさぎちゃんケーキを上品に耳の部分をもぎ取り食べ始めた。あたしはそれを見て、何か吹きだしてしまった。
「なんですかい?」
「いいえ。特に何も」
とは言いつつも。こんな姿なんて今まで見たこと無いし。これもまた、誰かの変装かも……?
「えいっ」
「ちょ、ちょっと。アンタ、なんて事するんですかい?!」
あたしは奴の右の頬をひっぱってみた。ほら、よく怪人二十面相とかの正体を見破るために、顔のツラを引っ張ってるじゃん。だから、念のため。
が、しかし。
何気に奴のほうから大鎌があたしを狙ったので、手を引きあやまった。
「だ、だって。もう騙されるのは嫌だなとおもって。なは、なははははっ」
「何です? そんな事ですかい。アタシャもう、騙しちゃいませんぜ。アタシは正真正銘の――プレンティス。プレンティス・ハルト・ウォルシオムですよ」
「え」
昨日のように、月明かりに照らされながら奴はそう言った。
当然の事ながら。あたしは数秒、沈黙してしまった。だって、プレンティスって。その名前はあたしには。
「アンタ、今日、紅の魔道士さんを守るためにちゃんと名乗っちまったろう。だから、アタシも名乗らなくちゃなりませんからねぇ」
「プレンティスって……?」
「そう」
そして、うさぎの前頭葉をつっつきながら、ふーっとため息を吐いた。その姿は、憂いの貴婦人。天で銀の大鎌を振るっている死神には到底見えなかった。
「アンタも朝、アレックスを見たろう。ありゃまぎれもなく、アタシの夫。ま、もっとも三〇〇年近く昔のですがね」
「さ、三〇〇年前の……?」
って事は。さっきの時間経過の換算法からすると、三〇年前までのって事? いや、でも今はそんな事はどうでもいいってワケで。
それよりなにより。最大の問題は。
「は、ゼンルってやっぱり女の人だったって事?」
そこ。そこが一番。
日頃から。この人ってどうも女の人に見えるなぁって思っていたんだけど。それが天使としての美しさからくるものではなくて、本当に女性だったからだったと聞いて。
本当に驚いた。
「本当にですサ。アタシは……昔、女だったのサ」
「む、昔? んじゃ、今は?」
「今。そりゃ」
それから、奴は再び黙ってしまった。
「今は、どっちでもあり、どっちでもありませんぜ。この、天界執行役最高責任者代行を選択した時から、女である事を棄てたんです」
「天界執行役最高責任者になったから……?」
「そう。最高位の死神を目指すには、性別がありゃ不便ですからね。死神の基本は何よりも平等」
それから、ゼンルは。時々、プレンティスの表情を見せながら、語り始めた。自分の事を。長い長い自己紹介を。
「アタシは、元は天界貴族の中でも末端の方の出身でね。天界の端っこにある天の星の管理を預かる男爵家の娘だったのさ。そこで、ホントに普通に成長して、普通に年頃の娘になったら嫁に出された。その嫁いだ先がウォルシオムの家で、そこの長子、アレックスと結婚した。アタシャ別にそれが不満だったとか、逆に嬉しかったとか、特に何も思ってなかった。ただ、天界では王家の血筋が入った公爵家に次ぐ、天界貴族の中でも名門中の名門のウォルシオム侯爵家に、何故、自分のような身分の低い者が嫁がされたのかそれだけが不思議だった。
でもそれはあの家に行って次第に分かってきた。と、いうか。まぁ、アンタもあの男を一目見たら分かると思いますがねぇ」
「え、あ。まぁ……」
でも、あんなのとは言え。人の旦那サマを、変、だとかイカレてる、とかは流石に。言えないけど。
「当時のアタシはね。でも、それでも、どーでも良かったんですサ。アイツはあれで、妻であるアタシには優しかった。どんなに疲れた時でもアタシを大切に、そして優しくしてくれたのサ。だから、アタシもアイツの事を周りがどんな目で見てようと、どんな風に言ってようと、関係なかった。
ただ。時々、あの男がどうしようもなく、辛い顔をして帰ってくるのがアタシは辛かった。アイツはあんなヘンテコでも仕事は出来たからね。しかも、家の威光もあったから思った以上に重圧の掛かる仕事、天界執行役最高責任者をしていた。実質、死神の最高位の一つを背負ってたからね。いつも天上の雲の上で胡坐掻いてるだけではなく、当時はアタシと同じような特殊な任を司っていたから。元々、優しい性格のアイツには相当きつかったろうよ。
だから、そんな亭主を見ていて。アタシャ知りたくなったのさ。夫が日々、目の当たりにしてくる事を。そして、共に苦しみや喜びを分かちあいたかった。
でも、アレックスはアタシをただ大切にするだけだった。だから、彼と同じ道をゆこうと思ったのサ。勿論、普通はそんな事は許される事ではなかった。次期侯爵家当主の妻、侯爵夫人が執行役になんて前代未聞。でも、悲しいかな夫があぁだから、妻も……って感じで誰の反対もなかった。自分の両親を除いて。
あの二人は、侯爵家に嫁いだアタシに分を弁えろ、という事よりも寧ろ、執行役になるその本質に色々説いてきた。そして、自分のような小娘に生死を司る大事は出来ない、己自身が大変だと言ってきた。それでもアタシは自分の気持ちを変えなかった。どうしても、夫と同じことしたかったと。生まれて初めてあの二人に逆らった。
そして、アタシは念願叶って執行役になったンですがね。その結果……」
彼女はつついていたうさぎちゃんケーキのフォークを動かす事を止めた。そして、自身も喋ることをしばらくやめる。ただ、月の光を浴びながら小さく深呼吸をした。
「執行役の……死神の素質ってのが良過ぎたんだろうかねぇ。そこら辺の同僚、上司なんぞと比にならない、優秀な天の御使いにあれよあれよとなっていった。
おかげで、それが天界の長、天界王の目に留まり。彼のお方は言葉を述べられた。
――お前は死神最高位に昇らんとするか――
と。
アタシは驚いたけど、その言葉を純粋に喜んだ。認められた自分に。
でも、彼のお方は更にこう述べられた。
――お前は、その全てを棄てて、死を司る神となる道を選ぶか――
と。
それは、アタシが死神となった目的とは違う事だった。アタシは夫の仕事を自分も経験し、共有したかった。それだけだった。
でも、そんな事でこの執行役になったアタシに更に罰が下った。夫からその最高位へ昇れと言われた。昇って自分にしか出来ない事をやるんだと、言われちまったのさ。
アタシはそれを聞いて悲しかった。初めて、悲しみってのを味わった。棄てられたって思いましたからねぇ。そう、アイツは自分が棄てられても良いから最高位を目指せって言ってきたんですぜ。
しかし、その当時のアタシはまだちょいと若かったからねぇ。だったら、最高位でもなんでもなってやるさ、なんて意地になっちまってねぇ。ひひっ、よく言ったもんですさねぇ。親の言葉と冷酒は後で効くってね。あの時、両親が言ってた執行役になるその本質に色々説いてきた事。そして、自分のような小娘に生死を司る大事は出来ない、己自身が大変だって事を思い出していたら……って、今では思えますがね。
結局アタシは何もかもを棄て、天界執行役最高責任者代行という事実上、死神の中で最も尊い生死を司る位。それを自ら得る事にした。
そう。三〇〇年前。それを肯定する言葉を言わなきゃ……今のアタシは居なかったのかも知れないさねぇ」
プレンティス・ハルト・ウォルシオム。彼女はそう言って、また黙ってうさぎちゃんをつつき始めた。
何もかもを棄てて。
この人はここに居る。
知らなかった。
慈悲と冷酷さ。それを合わせ持ち、天を舞う偉大な大天使。きっと、誰もが敬い尊ぶこの人に、そんな事があったなんて。
いいや。
だからなのかも知れない。そういう人だったからこそ、最高位に立った時。本当にその力、持っていた資質と培った心で、死神として生死を司る事を理性と慈愛でやり遂げられるのかもしれない。
彼女は。
プレンティス・ハルト・ウォルシオムは。
偉大で尊い死神――天界執行役最高責任者代行なのだろう。
「けど。やっぱ、男、見る目はない気がするんだけど」
そう言うと。彼女はグサッとうさぎちゃんの脳天にフォークを一撃喰らわせると、顔を引きつらせた。
「アイツはそれから。アタシが代行役になったのを機に家を出ると、毎日毎日、付回してくるようになったのさ。まったく、自分が棄てたんじゃないんかい! 何度も言ったんですがねぇ。代行になった事と、妻である事は関係無いとか言って。すとーかーって奴ですさ、まったく本当に」
「は、はぁ。よっぽど愛してたんだね」
「けっ。気色悪い、今更やめて貰いたいもんですぜ。だから、いつか過ってぶっ殺してやりたいと思ってるんですがねぇ。で~も残念なことに、その好機が巡って来ないンですサ」
「はぁ。なんか、そこら辺はやっぱり、ゼンルはゼンルって感じだね」
「ひひっ。お褒めに預かり光栄ですぜ、輝星の御方さん」
「あ、それ。なんか久々に聞いた。最近、すっかり新人って呼ばれてたから」
「そりゃ、そうですサ。死神をやってる時は新人。ド新人ですぜ」
「うきゃ~嫌な上司」
ゼンルはひひひっと笑い、飛び散ったうさぎちゃんケーキの残骸をすくって美味しそうに食べた。うーん、やっぱりこの死神もかなり特異な性格なのかもしんない。
「なんかあたしも。デザート食べたくなったかも」
そう言って、あたしも元の会の中へ戻る事にした。
「ゼンルはどーする?」
「行きますよ。あいつらは何事につけても度を越えてやりますからねぇ」
あたしたちはゆっくりその場を離れた。なんとなく、そこに流れている空気を愛しむように。空になったベンチはその空気を纏わせながら、白い光に照らされそのまま静かに佇んでいた。