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休暇のクマと青春謳歌

初回掲載:2026年7月31日

登場人物

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《第一話 しにがみ謳歌》(1)‐4

(三)

「おい、ネエチャン。オレら、いつまでここにいンの?」

 暴動のような騒ぎが収まり、それから一時間くらい経った。太陽の高さも真南辺りに昇り、地上ではお昼の時間。魂のみなさまもそれぞれ落ち着いたようで、空の上でふわふわ浮かんでいたり、膝を抱えて座っている格好の人、中には不貞寝しているような人までいる。

 その中から一人の男性が、これまたふわふわしているあたしの所にやって来た。が、目の前に立ったこの人物に、しばし目を見張った。夏とはいえ、黄色地に赤いハイビスカスが描かれたアロハシャツ、白のショートパンツ。頭には黒いサングラスを乗せたテンガロンハット。こ、この人は一体。このバスでどこへ行こうとしたの……?

「おいおい。ネエチャン。いつまで待たせんだよっ」

「……あ。はいはい、えぇっと」

 とは言われてもなぁ。ゼンルが来るまで動いちゃいけないって言われてるし。

 あたしはとりあえず、この人が何者か調べる為バインダーを覗いてみた。名前は確か藤島辰夫さんって呼ばれていた。

『藤島辰夫(三十九) 死因・脳挫傷』

 って、これだけ? もっと、この人の素性みたいなのは?

『職業・興信所職員。目下、職務中(不倫調査中)バスに乗車』

「ふ、不倫調査中っ!」

 あたしは声を押し殺しながらも叫んだ。

「しーっ。馬鹿っ! バレるだろっ」

「あ。しまった、すみません」

「ん、でも。もう死んじまったから別にいいのか」

「そ、そうなんですか?」

「死んじまったからな。ま、今更誰かに報告する訳でもないし。秘密厳守ってのも、どこまでが有効か」

「は、はぁ」

 藤島さんは「ついてねえな」としみじみ呟くと黙ってしまった。

 たしかに、仕事中の不慮の事故。しかも不倫の調査で死ぬなんて、思ってもみなかっただろうケド。

 その姿を探していたように、遠巻きで眺めていた中年のカップルが私たちの所へ近づいてきた。でも、おばさんの表情は何だか優越感とでも言うのか、とても勝ち誇っているような顔つきをしている。

「あ~らら。人の秘密なんか暴いてるからこんな目に遭うのよ、藤島さんっ」

 小じわの目立つ厚塗りの化粧、筋の入った真っ赤な口紅、豪快に巻いたパーマ。ブランドものの真紫色のブラウス、スカート。そして大きな茶色のサングラス。この人も一目で一体何者ふしんじんぶつに映る存在だった。バインダーによると……。

『岡島レイコ(四十八) 死因・過剰圧力による窒息死』

 ふむふむ。それから……。

『会社の同僚である斉藤康人とは愛人関係にある。今回の事故には不倫旅行の果てに巻き込まれる』

 そ、そうなんだぁ。まるで昼ドラみたいな経歴だね、このオバハン。

「それにしても、あの女。悔しがるわよねぇ。結局、この人と最後に居たのが私で」

 おばさんは不倫相手と思しき隣の男に話しかけた。この人もレイコさんと年が同じくらいで、夏にも関わらず普段と変わらないような灰色のスーツを着てる。髪型もオールバックで白髪は見当たらない。顔つきは少々ゴツく、管理職のような面構えとでもいうのか。

「レイコ、言い過ぎだ」

「だって。貴方だってこれで良かったでしょ? あの女と別れることになって」

「だからと言って、何も死ぬことを私は望んでいないぞ」

「あら、私は満足よ。もうこそこそ逢わなくていいもの」

「私は死にたくなど無かった!」

「フン。どんなにわめいたって、もう遅いのよっ」

 何気に中年カップルは言い争いを始めた。はぁ~本当にお昼のドラマみたいだよ。とは言えど、迷惑極まりない。

「あの、岡島レイコさん」

 しかし、あたしの声ごときでは全く無視。声はあっさりかき消された。

「えっとレイコさんの相手の……」

 バインダーをもう一度見た。

『斉藤康人(四十一) 死因・全身打撲』

 うっひゃ~。オババは年下相手だったのか。見た目は堅物のオールバックだから同じ年くらいに見えてたのに。まぁ、おばはんの方も若作りを決め込んでいたし。

『尚、妻・みさ子(三十七)とは十年前に結婚。一男一女を儲ける。愛人、岡島レイコとは二年前から親密な仲に発展』

 そ、そうだったんですか……。で、その調査を藤島さんがしていた訳かぁ。

 あたしは隣に立っていた興信所の兄ちゃんを見た。彼はさっきのしみじみしていた表情のままだった。

「あの、あちらのお二人の調査を依頼してきたのは?」

「康人の妻からだよ。しかも、二回目」

「に、二回っ?」

「そ。初めは一年半前、康人とレイコが付き合いだして二ヶ月目。あの時は奥さんの方も結構キレてて、ホテルで修羅場になってさ。凄かったぜ」

「はぁ……。で、今回も」

「あぁ。あの修羅場でもレイコは康人を離さなくってさ、今まで続けてきたんだ。奥さんの方も、それから一年は気づかなかった。でも、一度でも浮気をしたダンナに疑惑がかかってさ。半年黙って、もう一度オレの事務所にやって来た。奥さんの方も相手がレイコだって事、何となく分かっていたみたいだった」

「そうだったんですか」

「で、決定的な証拠を掴んで報告しろって依頼でさ。今回は離婚慰謝料の為に不貞行為を明らかにしたかったんだと」

「ホントに昼ドラさながらですね」

「まぁな。でも、オレみたいな仕事をしてるとよく出くわす光景だぜ。男と女のえげつない場面なんて。もっと酷い話だってある。肉親同士のいがみ合いにかり出される事もあるしな」

「でも、それじゃあ。そんな事の為に命を落とすなんて……」

 口惜しいと言うか、虚しさを抱いたりしないだろうか。

「いいや。この仕事は百パー安全だなんて思ってないからな。こんな結果になっちまっても、仕方が無いって思うぜ」

「そ、そうなんですか? 他人に罵られたり嫌われたりする仕事であって感謝されるようには到底見えないけど」

「けどそれを選んだのはオレなんだ、結局」

「……」

「まぁ、だから。もし次に生まれ変わりとか出来るなら、今度は別の仕事、人生をやってみてぇなとは思うけどな」

「藤島さん」

 次の生き方かぁ。そういえば、この人たちは天界に行った後はどうなるんだろう。

 あたしはさっきから開いたり閉じたりしているバインダーを見た。この中に、彼らの行く末について書いてはあるのだろうか?

『魂の逝く末について(原則)

 死者の魂はその全てが天界へ身罷り、来世までの準備、審査を受ける。ただし、例外的に処分、讐霊、その他の措置が為される者は回収班または特殊行動班が対応にあたる』

 へぇ~。回収班と特殊行動班なんてのがいるのかぁ。天界の役人ってのも、公務員とあんまり変わらないんだねぇ。

 ん。そういえば、ゼンルが仕事を始める前に確か「アタシを呼ぶほどの……」みたいな事を言ってた気がする。もしやこうしてあたしが手伝わされているこの仕事も、普通の死神とは違う事をさせられている可能性があるかも。

 う……。

 もしそうなら、ほとほとついてないのかも。あたし。

「で、ネエチャン。オレの未来へ向かうのはまだなのか」

「え、えっと。その、あと一人来るまでは出発できないんです。すみません」

「そうかよ。けど、なるべく早くしてくれよ。なんだかオレは腹減ってきたしな」

「え? お腹空いちゃったんですか?」

「あぁ。死んでるのに、腹ってのは空くモンなんだな」

 そんな事ってあるの?

 あたしは急いでマニュアルを読み返した。魂のお腹は空くものなのか? だとしたら、何を食べさせてあげればいいのか。

『魂の食事について(原則)

 魂は死んだ直後から二十四時間以内に天界へ逝く為、基本的には食事を支給しない。ただし、死亡時に大きな身体的ダメージ及び心身的ダメージを与えられて死んだ場合は、その衝撃によって空腹感を感じる者も出てくる。そうした場合は、人間時に食していた物はそのまま食べられない。術を施し、死者の手にも取れるようにする。尚、その呪文は以下の通りである。

 〝ハルサ・メカキタ・マウジキ・ン・トキ〟』

 ……春雨、かき玉、宇治金時。なんだこりゃ、効くの? この呪文て。

 ま、呪文はともかく。どこかで食料を手に入れて、それからこの怪しげな呪文を唱えれば良いわけか。

 うーん。でも、食料を調達する為にとは言え、この場を離れて大丈夫なのかなぁ。

「あの、すっごくお腹空いちゃいました?」

「あぁ。もう昼飯の時間だろう。かなり空いちまったな」

「そうですか……」

 周りの魂さんたちも一様に顔を曇らせている。もうこうなると、死んだ事よりも空腹感の方が大きな問題。

 でも離れちゃ不味いだろうし。

「あ、行っちゃダメなら来てもらえばいいんだ!」

 そうよ、召喚すればいいんだよ。パンでもゴハンでもジャガイモでも。

「んじゃ、みなさん。ちょっと待ってくださいね」

 あたしは藤島さんにちょっと離れてねとお願いし、バインダーから一枚紙を引っ張り出して裏面の真っ白い部分に召喚円陣をバインダー付属のペンで書いた。よしよし、これで好きなものを出せるってモンよ。

「とは言え。何がいいかな……」

 今いる人数は決して少なくはないし。ここはコンビニのパン? それともおむすび?

 んにゃ、この人たちはこの食事で、もうゴハンなんて食べる機会は無いんだよね。とすると、そんな味気無いものじゃ可哀相だよ。ここはもっと、最後の晩餐に相応しいもの喚んであげたいじゃないの!

「あ、そーだ。あれがイイ!」

 あたしの脳裏にはチラッと今日の朝食が浮かんだ。そう、あのおフランスりょーり。あれは見た目と香り、そして作り主の腕から言っても絶品のはず。ならば、あれらを召喚お取り寄せしたらここの皆さんもきっと納得のお味のはず!

 それにきっと、あの二人ならあたしの分くらいは取っておいてくれてるはず。反省してるならね。

「ではでは。照準を朝倉家うちに合わせて……」

 バインダーに神力ちからを集中。あ、せーのっ!

「召っ喚っっ!」

 あたしの声に、力に、バインダーの魔方陣からピンク色のオーラが湧き上がる。って、何でピンク?

「な」

 驚く間にもピンクの光は強まり、円陣内に何かがモコモコっと盛り上がってきた。なに?一体、なにが出てくるんだ。あたしはおフランスりょーりの召喚ご注文をしたんですよ、もしもしっ。ねぇ!

 しかし、ピンクに満ちた魔方陣には皿の形や、料理が盛り合わせられているものではなく、モゴモゴ動くそれは先端があまり鋭くない円錐形の形をしている。なにコレ? あたし、失敗した訳???

「もう、こうなりゃ何でもいいから力づくでも喚んでやる~! 神力全開ぃぃぃっ」

 皆様のおりょーりはあたしの力にかかってるんだからっ。出て来いっ食べ物ぉぉぉ!

「ぐぉ~らぁ~っ」

 あたしは魔方陣へ手を突っ込んだ。

「大人しく出てくぉ~いっっ」

 で、勇気をもって中央にニョキッと出てきたものを掴み、思いっ切り引っ張った。

「でりゃあぁぁあぁぁっ」

 ピンクの光の中からズブズブズブッと、それはえらい勢いで出てきた。

「な、なななっなんで?」

 正面に出てきたもの。それは。

「な、何が起こったんでしょうーか……」

「さ、さぁ……」

 お皿と布きんを持ったぴろっぴろのエプロンを掛けたカルスと、旅行雑誌を片手に持って立ち尽くしているリムズだった。

 って、何で食べ物じゃなくて二人が出てきたの? 誤作動?

 ん。あ、よく見るとこの魔方陣。一ヵ所、数字が違った。いつも間違うⅣとⅥ。なはっやば。

「一体、どうして我々がこんな所に飛ばされてきたのでしょうか?」

「さぁ。敵襲ってカンジでもねーし。大体、オレらしかいなくね~?」

「たしかに。微量には何かを感じますが」

 カルスは辺りを見回している。でも、あたし、そして他の存在には気づいてはいない。そっか、この腕章を着けてると、気配は感じられても見えないんだね。でも、さっきあたしは二人を魔方陣から引っ張り出せた気がするケド。なんで?

 いや、今はそんな事よりも食べ物ではなく人間を出した事。探していた料理が……。

「何か良くない事の前兆でしょうか?」

「けど、オレらにこんな事をする意味がわかんねーよ。いたずらか?」

「そうですねぇ。しかし、我々をこんな風に喚ぶ力を持つ者がいるとは思えません。敵、または邪悪な何か以外にはっ」

 ビシッとカルスの人差し指が、あたしの鼻先に突きつけられた。

「この先に、非常に邪悪な何かを感じます。目に見えない何かが。……悪霊、妖魔の類でしょうか」

「なに? オレは何かいるようには感じないけど。幽霊なのにな」

「それは先ほど、朝食に作った人間食を幽霊にも食べられるよう施して食べたから、著しく感覚が人間に近くなってしまったからでしょう。……しかも、通常の倍食べたじゃないですか」

 え?

「だって、しょーがねーだろう。御方がいらねーっつったから。勿体無いだろう。メシを残すと〝もったいないオバケ〟ってのに夜な夜な追い掛け回されて、疲れきった所で頭から浅漬けのもとをかけられて、バリバリそいつに喰われちまうんだぜ」

「それは迷信です。私は、主様の食べ物を食べてしまった方がよっぽど恐ろしい事と思いますが。しかし、主様もご自分で放棄された訳ですし。あんな美味しい料理をいらないなんて、気が知れませんが。狂ったのでしょうかねぇ」

 な、なんですとっ。

「しかし、主様もどこへ行ったんでしょうかね。まさか、ここに喚び出されたのも主様のイタズラではないでしょうか?」

「そりゃ違うんじゃね~。御方なら食い物がなくて、どっかでのびて今頃動けなくなってんじゃねーの」

「それも、そうですね。面倒臭い事はやりませんし、無駄に疲れる魔法なんか使いませんからね。
 私のように」

 な、なにさなにさっ。こいつら、あたしの朝ごはんを食べちゃったって事? ってことは、召喚魔法が失敗したんじゃなくて、料理が腹に収まっている二人、が出てきたって事なワケ~っ。

「うぬぅぅっ。よくも、人のゴハンを~っ」

 歯軋りをさせながら、あたしはカルスの腕に掴みかかろうとしたが、彼の人差し指が今度はあたしのおデコの中心にビシッと突きつけられた。な、なんですか今度は。

「私は今ここに出でて、とにかく恐ろしくも何となく邪悪な気配を感じています。きっと、低級な霊だと思います。
 だから、念のため、千光灯を使った方がいいと考えています」

 て、低級霊って、それもヒドくない?

「千光灯ねぇ。そりゃ、たしかに面倒事だな」

 え? え? せ、千光灯を唱えるってアンタ、そりゃ鬼ってもんよ。あたし、本当に死んじゃうじゃんっ。それダメ、ストップぅ~っ。

「どうしよ、どうにかしなくちゃ」

 えっとえっと。あ、う、え~と。

「でも、千光灯の詠唱がなかなか骨が折れますよね。長いから」

 う~にゃ、だったら使うなよ。それに、あたしは邪悪でも、悪霊でもないっての! 失礼にもほどがあるってもんじゃないっ。

「あ~、こうなったら召喚逆転リバースさせちゃえ。も~、これしかない。無いよねっ」

 あたしは急いでもう一度バインダーの紙を一枚取り、急いでさっきとは違う魔方陣を描き、呪文を唱えた。

「はいはいっ、詠唱省略。召喚逆転リバースっ」

 二人へ向けてバインダーの魔方陣をかざした。すると、今度は灰色の煙と黒い光が紙から発せられる。

「な、何だ? また誤作動?」

 いや、そんな事はこの際気にしてられない。ここで千光灯を阻止しなければ、あたしが殺られちゃう。うん、立派な正当防衛よ!

 と、見る間に。その灰色の煙が二人を取り巻き黒い光が吸い込んでいく。

「な、なななんですかっ!?」

「いい加減にしてくれよっ」

 それは、出来ません。あたしのゴハンを食べちゃう輩は暗黒空間にでも冥界でも、好きな所に行っちゃえばいいんだよ。ふんっ。

 そんな訳で。二人は黒い光に飲み込まれると、光ごとそのまま消えていってしまった。跡形も無く。

「ふ~。危ないところだった」

 あたしはおでこの汗を腕で拭うと、次なる食料調達方法を考える事にした。

「うーん。フランス料理がダメだと、あとはパスタか飲茶がイイよねぇ」

 悩むなぁ。朝ごはんもメロンパンだけだったし。ここはうーんと、贅沢なコースものが食べたいよ。

「おい、ねーちゃん。何でもいいから早くしてくれよっ。腹へって死にそうだぜ」

 しかし、いつの間にか再びあたしの隣に藤島さんがいた。彼は、自分で「死んでるけどな」などと洒落を効かせたつもりで、空腹を訴えてきた。

「うーん。じゃ、仕方ないから」

 あたしは地上を見下ろした。ここから一番近いコンビニかお弁当屋さんは……。

 双眼鏡を勝手に召喚よびだし、目ぼしい場所を探すと。

「よっし、地元コンビニ発っ見っ」

 急いで魔方陣を再びバインダーの白い紙に書き、地上のとある建物へ照準を合わせて。

「ごめんなさい、お金は後でっ。ツケってことで」

 右手に持ったバインダーを高らかに天へ振り上げ、左手はコンビニを指差し。

「――召っ喚っ。おむすび、おべんと、お茶、ジュースにお菓子ぃぃっ」

 すると。

 ぽむっぽむっ。ぽんぽんぽんっ。

 わさわさっざっくざく~っと、あっという間にバインダーからツナおむすび、鮭おむすびから、揚げ弁当、オムライスにあんぱんにクリームパン、それから冷たい緑茶に麦茶、それから炭酸飲料とおっとっとやらカールが噴水のようにあふれ出てきた。

「すげーな。でも、オレたちにはキャッチ出来ないんじゃねー?」

「おっと。忘れてた」

 さっきの春雨音頭みたいな呪文を唱えないと。

「えーと、待ってね。〝ハルサ・メ・カキタマウ・ジキ・ントキ〟」

 溢れ出てくる食料に魔法をかけるとそれは。

「おーいっ。食い物が巨大化したぜっ」

「あれれ!?」

 確かに皆様の手に取れるようになったようなのだが。何故かおむすびが通常の三倍、サッカーボール級に変化し、お弁当も桶に、五〇〇ミリリットルのペットボトルにいたっては一升瓶になっている。

「おっかしいなぁ……。あいたっ」

 唸っているとあたしの頭の上にぼふっと何かが落ちてきた。それは帽子大の……ドーナッツ。その穴にすぽっと頭がはまった。

「んもぉ。でも、まぁ」

 あたしはそれのビニール袋を破り、一口味見。

「美味しいから。いっか。もぐもぐ」

 その様子に。それぞれの食べ物をキャッチした皆さんは、あの人が食べたなら……というカンジで、お互いを伺いながら大きくなった食べ物の封を開け、口にし始めた。

「へぇ。でかいのにウマイな、この弁当」

 さっきまで悶々としていた藤島さんも、湯桶のような大きさの幕の内弁当を食べながら笑っていた。彼だけではない。暗い顔をしていた親子、不機嫌だった煩い不倫カップル、ほかにも浮かない顔をしていた若者青年、中年のおじさん。強張っていた運転手さん。

 みんな一様にコンビニのゴハンだけど、それを食べて何だか顔が少しだけほころんでいるようにみえた。

「良かった、良かった。もぐもぐぐうっ」

 一安心出来たあたしは不覚にも、ドーナッツをノドに詰まらせ一升瓶のお茶をラッパのみ。うぅぅっ、あたしが死むかと思ったよ。

「ははっ。おもしれーな、アンタ。死神ってワリにはぼんやりしてるようだし」

「余計なお世話ですよっ。あたしだってバイトなんですから」

「死神ってのはアルバイトでも出来るもんなのか?」

「さぁ。でも、今日なったばっかりだから良くわかりません。新人なんです」

「へぇ。新人かぁ。だから、変な事ばっかやってんのか」

「うぅ。良いでしょ、おかげでゴハンにありつけたんだから」

「まぁ、さっきのおっかねぇカンジの〝いかにも〟ってヤツに比べたら、アンタ、話しやすいから良いけどな。ほら、他の連中だって死んだって聞かされたっていっても少しは落ち着いたみたいだし。アンタがいてくれてよかったんだろうな」

「え……?」

 藤島さんの一言に。あたしは周りを見回してみた。

 気づかなかったけど。そっか。

「それはきっと、お腹が満たされたんでちょっと落ち着いたんですよ。あたしもドーナッツで元気が回復してきたし」

 うん。今なら、あの極悪二人組みを許してやってもいいかもって思えるし。やっぱり、美味しいゴハンて、人を元気にさせるんだね。

 あたしはしばらく、魂のみなさまと一緒に楽しいランチタイムというやつを満喫した。

** ** ** **

「それにしても。ゼンル、遅いなぁ」

 ゴハンを食べて更に半時。太陽は真南から傾き、昼下がりになってきた。あと一時間もすれば、空は夕暮れになってくるだろう。

 それにもかかわらず、昼前に出て行ったゼンル。彼が帰ってくる気配はちっともなかった。

「一体どこまで行ったんだろう」

 早く帰ってきてもらわないと、お昼のお弁当代をコンビニに払えないし。それに、何よりも魂の皆様を天へ連れていってやることが出来ない。

 そう。あれからバインダーにじっくり目を通してみた。すると、魂っていうものは原則二十四時間以内に天界へ連れて行って上げないといけないらしい。そうしないと、魂自体の力が弱まり、来世へ転生する時に生まれつき体が虚弱だったり、持ち時間、いわゆる寿命が生まれつき短命になってしまったりする事があったりするらしい。全部が全部、そうなるとは限らないらしいけど。魂自体の体力、みたいなものが減っていく、そう書かれていた。

 だから、あたしは早くゼンルに帰ってきてもらい、みんなを天へ連れて行ってあげたい。彼らだってそれを望んでいるはず。

 とは言え、魂の皆さんはそんな事情を知らない為、今はそれぞれリラックスをして宙に浮かんでいた。興信所のおっちゃんなどは昼寝なんかしちゃっている。この人はちょっとリラックスし過ぎなのでは……て、思うけど。

「あ、あの。スミマセン。その、係りの方……?」

 どうしたものかと考えているあたしの所へ、今度は十代くらいの女の子がやってきた。隣にはかなりご高齢の老婦人も一緒。

「えっと、貴女方は」

 たしか孫とお祖母ちゃん。二人で温泉へ向かっているっていう。

「大井メグミさんと福沢トメさん。何かご用でしょうか?」

 傾いてきた陽を斜めに浴びながら二人は遠慮がちに話しかけてきた。何? ま、まさか。

「トイレとかですか?」

 さっきゴハン食べちゃったし。何かバス旅行でありがちな、途中でどうしてもトイレに行きたくなっちゃった……みたいなアレ?

「ち、違います。あの、わたし、その」

「はい? ではどうしたんですか?」

「いえ、あのその」

 どうしても言いにくいのか。確かに、このコ、ものをハッキリ言いそうなタイプでもなさそうだし。

 でも、いくら地味なカンジのコだからって、今時、三つ編みおさげで黒ゴムの前髪真っ黒分厚いのって、そうそう見かけない。昭和特集の中にいる女学生のよう。服装も白いブラウスに紺の膝下スカートだし。

 って、ここまでくると。これって普段着ではなく……。

「あの、学芸会に行こうとしていたのですか?」

 うん。なんかそっちの方がしっくりいくんですけど。思わずあたしが質問してしまった。

「違います。この格好は、その。そうじゃなくて、ですね」

 彼女はどうしても言いにくいのか、それ以上、言葉が出てこなくなってしまった。それから、うつむいてしまうと隣の祖母の手をきゅっと握り締める。

 うーん。言ってもらわなくちゃ分からないんだよね、いくら死神でも。バインダーには死者の気持ちまでは書いてないし。

「すまんがの、係りさん。ワシを生き返らせてはもらえんかの」

 しばらくの沈黙ののち。隣のおばあちゃんの方が口を開いた。しかも、なんつーか。

「ふ、福沢さん。生き返らせろって……本気?」

「あぁ、本気じゃ。今すぐ、とっとと」

「そりゃ、アンタ。いっくらなんでも」

 こ、このばーちゃん。何を言うかと思えば。生き返らせろって。そりゃ~全世界的に無理な話ってもんだよ。

「そんなの無理に決まってんだろう。何言ってるんだよ、ばーさんは」

 あたしたちの会話は、無論、他の魂さんもギョッとしながら聞いていた。さすがに昼寝をしていた藤島さんもビビったらしく、起きだしてハデハデアロハを陽に当ててあたしの隣にやってきた。

「でもワシはどうしても生き返らせて欲しいんじゃよ」

「そんな我儘、通る訳ねえだろう。なぁ、乃々山さん」

「も、勿論」

 と、言いつつも。一応、バインダーを確認。

「そんなの知っておけよ」

「なはっ新人なもんで」

 笑って誤魔化しつつ、とにかく紙をめくる。

『死者対応マニュアル(回収班・特殊行動班)

*死者からの不可能的対処について*

 死者より以下の事項について要望を出された場合は、断固たる態度で魂には対応すべし

・蘇生

・呪い

・現世への居座り

 尚、その他天界執行人(乙)に不具合を行うものに対しては(乙)の判断に基づき対処すべし』

 やっぱり厳しい態度で臨まなくちゃいけないみたいだね。しかも、天界執行人っていうのが死神の本名(?)なんだね。

 と、いうわけで。

「福沢トメさん。残念ですが貴女を生き返らせる事は出来ません」

 毅然とした態度であたしは老女にはっきりと応えた。

「でも、そこをなんとかして欲しいんじゃよ」

「福沢さん、お気持ちはお察しいたします。しかし、貴女は死んだのです」

「年寄りの頼みなんじゃ」

「ここでは関係はありません。むしろ、今の貴女はここにいる誰よりも長く生を真っ当したのではありませんか」

「くぅ。生きてた頃は年をとっていたからってちやほやしておったくせに、死んだら掌を返したように。冷たいのっ神様は」

「いや、あたしは神様じゃなくてバイトなんで」

 ひえぇ~。お年寄りって案外難しいお年頃ってか。

「ばーさん、黙って聞いてりゃいい気になって。いいか、口には出さないけどな、生き返りたいって思ってんのはアンタだけじゃない。いや、ここにいる全員、そう思ってるんだぜ。ったくよ、年寄りだからって空気読めよ。第一、おめえなんざ今日死ななくても、近々お迎えが来るんじゃねーのかよ」

 業を煮やした藤島さんもかなり熱く怒鳴った。けど、それはちょっと。

「藤島さん、言いすぎですよ」

「でも。口に出さなくてもココに居る連中はみんな生き返りたいって思ってるんだぜ」

「勿論、分かってます」

「ホントか? アンタ、本当に分かってるのかよ。死んだ事あんのか!?」

「そ、それは」

「死んだ事もねーのに、分かった口利くなよ」

 彼はそういって顔を伏せた。さっきまで笑って、のん気に昼寝をしていたのに。

 いや、周りを見ると他の人も一様に複雑な表情をあたしの方に向けていた。今にも泣き出しそうで、ツライ、言葉には言い表せないような悲しい顔をさせている。

 そう。どんなにゴハンを食べて、のんびり空気が流れていたとしても。ふっとした瞬間に〝死〟という現実を真正面から突きつけられれば誰だって、平静でなんていられない。

 夜寝る時に、何気なく自分と死について考える時があったりするけど。あの時でさえ、怖さを呼び起こしてしまって、寝付けなくなったりするくらいなんだから。実際の死なんて、分かりっこない。

 彼らの怒りや悲しみをあたしは本当に理解なんて出来る訳なかった。分かっている、何ていう言葉は只のキレイ事。あたしがその場しのぎで、事を収めたかったから使ってしまっただけの〝分かっている〟

「では、福沢トメさん。貴女は何故、生き返らせて欲しいと言うのです? 理由を述べてください」

「言ったら生き返らせてくれるのかい?」

「それは出来ません。しかし、貴女のその要望は度を越えています。一種、確認作業としてお話しください」

「それじゃ話さん。ワシは生き返らせてくれるまで、何も言わん」

「福沢さん」

 あたしは一応、表面上、穏やかに。でも、内心。この頑固ばーさんっ。人が下手に出たら調子にのってぇっ。と、いう気分。

「初恋の人に会いに行く所だったんです」

 しかし、祖母の沈黙は孫によってあっさり破られた。

「これから向かう奥座敷温泉でおばあちゃん、六〇年ぶりに初恋の人に会えるはずだったの」

「メグミっ。それ以上言っちゃいかんよ」

「おばあちゃん、本当はその人と結婚するはずだったの。でも、その人と結婚する前に戦争が始まっちゃって。で、おばあちゃんは疎開して、その人は東南アジアに行かされて。戦争が終ってからおばあちゃん、すごくその人探して。でも見つからなくて。それで、あの、その」

「メグミッ。静かにせんか」

「だって。だって、おばーちゃん。私がこんな格好してるのも、おばあちゃんの若い時の姿で会いたいって言ったから、二人で映画を観に行った時の格好、自分じゃ出来ないから私が着て、当時の、あの時の思い出話をって」

「そうじゃよ。でも、やっぱり縁が無かったんじゃ。こうして、やっと探し当てて、もう少しで会えると思った矢先に死んでしもうた。あの人とは、結局、六〇年前で縁が切れておったんじゃよ」

「おばあちゃん」

 トメさんはそう言うと、火が消えたように黙ってしまった。さっきとは違う、沈黙。長く生きてきたとか、年寄りだからもう良いだろうって。そんな事はあたしの勝手に思った驕りだった。

「すまねえ……ばあさん」

 それは藤島さんも同じだった。あたしも、ごめんなさいと言いたかった。でも、それは今は言えない言葉。

「いや。いいんじゃよ。ワシの方が悪いんじゃよ」

「ばあさん」

「ワシが自分の勝手な都合で。しかも、孫の命まで奪って。ワシャ、メグミになんて謝ったら良いか」

「おばあちゃん……」

 再び、あたしの周りは重い空気が広がった。誰も何も。一言もしゃべろうとはしなかった。いや、誰も何も言う事なんて出来なかった。それはあたしも同じ。

「気にしないで。……何て簡単には言えないよ、おばあちゃん。私も来年は大学生になりたかったもん。したかった勉強があったの。
 でも、おばあちゃんの初恋の人も見たかった。大好きなおばあちゃんのお願いだから、私、自分からついて行くって言ったし、この格好だって面白そうだからなったの。だからおばあちゃん。良いんだよ。自分が選んだ事だから」

「メグミ……。でも、お前はまだ成人もしてないのに」

「いいの。すごく大人になってみたかった訳じゃないから。体にガタがきてつらい思いをする前で良かったのかもしれないし。それに、毎日、楽しすぎた訳でも辛すぎた訳でもないから。何が人生の醍醐味とか、何が人生のいたたまれない事だとか、正直言って分からないまま終っちゃったから。ほら、すごく好きな人が出来たとか、親を殺されちゃったとか、そんな事にもなっていないから。
 だから、色々を知る前に死んじゃったから。後悔とか未練とか。実感湧かないんだよね」

「メグミ」

 祖母と孫。

 彼女たちの会話。

 それは、それが真実なのかは分からない。分からないけど。でも。孫が言っている事は、何だか分からないでもない気があたしもした。

 あたしもすごく夢が溢れすぎている訳でもないし。うん、日々の目標みたいなのはあるけど。何ていうか毎日が多分、じんわり感じる幸せの中で生きているから。目に見えないけど、充実した日々を送っていると、彼女が言っている通りに思うのかも知れない。

 実際は分からないけどね。

「オレにゃ、分からねぇな」

 隣にいる藤島さんは祖母と孫を見ながらため息をついていた。うん、それも勿論、分からない訳ではない。

 人の気持ちは本当に千差万別だから。

 あたしはふ~っと、深く息を吐いた。