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《第一話 しにがみ謳歌》(1)‐3
あぁ。
一人残されたあたしだって、これから一体どうしたらよいやら。三十分前くらいになったばかりの死神(しかもアルバイトだよ)に何が出来るっていうのか。
しかたがないので、さっきゼンルが読み上げた人の名前と顔をもう一度照らし合わせてみる事にした。名前と顔が一致しないのはさすがに業務上、問題だろうし。
「あの。の、乃々山さん」
リストに目を落としていると、真正面で声がした。顔を上げると、いつの間にかあたしは死んだ魂さんたちに囲まれていた。みんな一様に物言いたげな顔をしてる。
「わたし、死んだっていう事、何となく理解しました。空の上に浮かんでるし、夢かと思ったけど、乗っていたバスが谷へと落ちた時、窓を突き破って投げ出されたのを薄っすら憶えています。だから、わたしは多分、死んだんだと思います」
声の主は一番先に質問をし、泣き出した前原エミさんだった。彼女の目にはもう涙はなかった。ただ、代わりに鋭い眼光を放っていた。
「ただ、乃々山さんっ。わたしが死んだその原因を教えてくださいっ」
「死んだ原因?」
「そうです。ただ死にました、と言われただけでは納得が出来ないです」
「納得が」
「はい。死んだんです、そのくらい教えて頂いてもいいでしょ?」
死んだ原因。
あたしは見ていたバインダーで彼女の死因を探した。前原、前原……と、その名を探す。それは丁度一枚目の一番下に名前があった。
前原エミ・二十一歳・死因、全身打撲による内臓破裂及び出血多量の為死亡。
うっ。こ、こんな事本人に言っていいのかな。若い娘さんにはキツイ話なんじゃ。
「乃々山さんっ。アナタなら何か知っているんでしょう?」
「え、あ。何ていうか、その。前原さんの死因は」
「死因は?」
「全身打撲による内臓破裂、そして大量の出血です」
彼女はそれを聞くと、一言だけ「そう」と呟き、両目を閉じた。しかし、すぐにその目を見開いて、もう一度あたしの顔を見た。
「乃々山さん。その死因は、わたしが死んだ直接の原因でしょ」
その目はさっきにも増して刃物のような鋭い光が煌めいていた。
「え、あ、はい。直接の死因ですケド」
「そんな事はもういいわ。どんな死に方をしたなんて、今更関係ないし」
「じゃ、えっと。その、何が知りたいのですか?」
「わたしが死に至った、全身打撲なんかになった原因が知りたいわ」
「全身打撲の?」
「そう」
「えっと。それはつまり」
「なんでバス事故なんかが起こったかってことよっ!」
一同の視線も、一斉にあたしへと向けられていた。
ただ黙って、あたしの口が何を言い出すかを。ただそれだけを待っている。
ってどうしよう。それもこのバインダーに載ってるのかな。
あたしは紙を二枚、三枚とめくり彼女とここにいる全ての人が知りたいと思う事を探した。
バス事故の原因。
けど、それを知って。この人たちはどうするつもりなんだろう。
直接の死因より死ぬことの大もと。
バスが事故を引き起した原因。でも、そんな事を言っていいものなの……? うーん、規定にはさっきの。
イ)死者の魂には敬意をはらい、彼らから繰り出される質問には全て答える事
に、当てはまるけど。だからって全部ぺらぺら言っちゃって大丈夫なのかなぁ。
「あ、これだ」
バインダー五枚目にそれはあった。
『バス事故の原因・運転手の居眠りの為。県道四百四十四号線、急勾配道幅減少地点にてブレーキを掛けずそのままガードレールを突き破りバスは落下。又、反対車線を走行中の普通乗用車を巻き込む。乗用車に乗っていた日向カナエ・三十四、日向サオリ・十、日向夏貴・七は死亡。同乗者、日向正基・三十六は重体。十二時間後死亡となる。よって担当者は同ポイントにて迎えたし』
「そんな」
思わずそれらしき三人の方を見てしまった。
集まっている魂の輪の端っこに、優しそうな目が印象的な女の人と、その瞳をそのまま生き写したような女の子と男の子が女の人にしがみついていた。この三人と、あと十二時間経てば一緒に乗っていたもう一人もここへやってくる。
「どうしたんですか?」
「あ、いいえ。その」
「答えてください、バス事故の原因」
前原さんの問いに、あたしは押し黙るしか出来なかった。
次から次へと彼らにとって、知らない方がいい事実ばかりをこのバインダーは載せていた。どう考えても、そのまま言えない。言えば言うほど、あたし自身もしゃべり続けてはいられない。この魂さんたちも、聞かなくては良い事なのではないのか。
「どうなんですか。分かったんでしょ? それとも、あの親子が原因なの?」
業を煮やしたかのように、前原さんは三人が寄り添っている方を指差した。子どもを腕に抱きしめている女性は不安そうな瞳であたしを見ている。
「前原さん、それは断じてありません。彼女達はバス事故の原因とは関係ありません」
「じゃ、何なの」
「それは」
どうしよう、何ていったら良いんだ。正直に? 正直に言うべき? わーん、どうしてこういう時にゼンルはいないのっ。
「バス事故の原因は」
迷いの中で、ほんの一瞬。
「バスの運転手が居眠りをしていた事が原因です」
あたしはその隙をつき、しゃべった。
多分。きっと、こういう事も死者の魂に誠意ある対応なんじゃないだろうか。偽りを語るでもなく、押し黙るでもなく。
真実を答える事。それが死神なのではないかと。
「う……そ、でしょ。運転手が? い……居眠り、ですって」
目の前で前原さんは顔の色を失っていた。彼女だけではない。ここにいる全ての魂たちは言葉を失い、表情が一様に強張っていた。子供も大人も、女の人も男の人も。
その中で、ひと際目をぎょろぎょろ動かし、周囲を見回している男の人がいた。三十そこそこ。若者っていうほどフレッシュではなく、かといって人生の重みがある感でもない。ただ、彼は魂のはずなのに額には何故か汗がびっしり浮いていた。
「この人殺しいぃぃっ」
氏名の確認をしようとファイルに目を通したわずかな間。あたしの足元辺りで、絶望に打ちひしがれていたはずの前原さんから雄叫びが上がった。
「アンタがあたしらを殺したんでしょ! この人殺しっ人殺しいぃぃっ」
彼女は怒鳴り散らすだけではなかった。汗をかいていた男の胸ぐらを片手で掴み、もう一方の手でビンタを何度も何度も繰り出される。それを受ける方からはいつの間にか涙声で「すみません」と、か細い声が繰り返し聞こえてきた。
「渡辺誠、三十四歳。バス運転手」
それがリストに載っている泣いてる男の生前の名前と職業だった。
「あんたっ。あんたが居眠りしたから、私らは死んだのかっ」
二人の隣で、さっきも怒りをあらわにしていた水野さんが仁王立ちになっていた。
彼だけではない。他にも多く魂が、一人の男を取り囲んでいた。
「すみません……僕は。すみません」
「うるさいっ。お前が、お前が居眠りなんかせずにちゃんと運転していれば」
「すみません。本当に皆さんには何て謝って良いのか。言葉も、謝罪も簡単に、言葉になんて出来ないくらいの事をしてしまいました。すみません……すみません」
運転手を務めていた彼は、ただひたすら謝り続けた。
しかし、誰一人として納得の表情を浮かべる者はいない。
「まだ死にたくなんてなかったのにっ」
「これからだったんだぞ。これからが、私の新しい人生だったんだぞ」
「ただ旅行に来ただけなのに。何で死ななきゃならないのよっ」
「オレの人生返せよっ」
魂たちの怒り、それは全て運転手だった渡辺さんへ向けられていた。彼はそれに対して弁解をする事なく、ひたすら怒りの中に身を投じている。
どうしよう。いくらなんでもこの状況は不味い。暴力を受けるほうも死んでいるとはいえ、鼻血を出し、顔が腫れるほど殴られ叩かれ続けている。
「あっと……コレだっ」
とりあえずリストの中から、あたしは六枚目を開いて大きく息を吸った。
「皆さんっ落ち着いてください!」
しかし、私刑に夢中の魂たちにあたしの声はまったく届いていない。とりわけ若い魂、そして水野さんは運転手の顔を殴り、手足を離そうとはしなかった。
そこから少し離れたところでは、先ほどの親子が抱き合いながら泣いている。他の魂も直接手を出さないにしろ、暴動を見ている視線は冷めている。
「皆さん! とにかく、落ち着きなさいっ! その人を殴ったところで、貴方がたは生き返らないんですよ。死んだんです、貴方たちはっ」
あたしは殴られ続けている渡辺さんの背中に回り、首根っこを引っ張って暴力の中から引き上げた。人一人、まして男の人だから神力を借りて引き上げたつもりだが、魂の彼は思ったよりも軽く、風船のようにふわりと持ち上がりあたしの足元へと避難させた。彼は前につんのめり、むせぶように泣き続けている。
「いいですか。彼ばかりを責めたところで仕方ないんです。彼、渡辺さんも寝たくて眠ってしまった訳ではないんです。
この人はこの一週間、二十時間の睡眠しかとっていないんです。分かりますか、週に二十時間ですよ。一日平均三時間も休んでいないんです。そんないつ事故を起すかもしれない運転手を走らせているバス会社、それを使っている旅行会社を責めるべきではないんですか? この人の立場になってみなさい。ずっと働かされて、挙句にその中で命を落としたんですよ」
バインダーの中にはそう記されていた。
この人が事故を引き起こした原因と、その経緯。超過勤務による疲労の為、ハンドルを握り続ける事が出来ず、十九人の命をココまで導いてしまった。
「だったら。休めばいいじゃないか。体調管理だって仕事のうちだろう」
「そうよ。貴方一人が死ぬなら自業自得かもしれないけど、みんなを巻き込まないでよ」
若い男と前原さんがそれでも納得がいかぬ様子で、運転手の目の前に立ちはだかった。
「運転手だったら、人様の命を預かってバスを走らせているんだろうっ。それなのに、何だよっこのざまはっ」
若い男――松沢武さん――は拳を振り上げた。
「もうすぐだったんだよ。もうすぐで帰れる所だったんだよ。そしたら、お袋に。お袋に会える、妹にも」
その先に言葉は続かなかった。振り上げた腕も、震えたままゆっくりと下げ、そのまま顔を伏せた。顎の先には雫が見える。
あたしは彼の姿からバインダーに視線を移した。
松沢武・二十九歳・死因、頭部強打の為脳挫傷。十年間離れていた郷里に帰省途中、事故に遭い死亡。
そして、その隣には〝なお、帰省前に家族へ向けて贈った品物アリ。某有名テーマパークの鼠の人形と鵞鳥? 家鴨? と見られるもの。何らかの効果、作用を果す?〟と、明らかに手書きの赤字が加えられていた。
なんだ、そりゃ。有名テーマパークの鼠と鵞鳥って。どっかの牧場の話か?
「俺、高校を卒業してから何もない田舎を捨てて東京に出たんだよ。田舎で働くっていっても、自分ん家の畑をやって、少ない稼ぎで。そんなのまっぴらだったんだよ。
でも、都会に出たからって同じだった。頭の悪い俺みたいな奴は、結局外で働くキツイ仕事ばっかに明け暮れて。それでも何かしら続けてりゃ仕事も覚えて、少しは人に教えてやれるようになって、人並みの生活がやっと最近になって出来るようになってきた。
だから、心配かけた家族ん所へ十年振りに頭を下げに行こうってした矢先によ。これだ。
俺のしてきた事ってのは、こんな目に遭わなきゃならねぇほど悪い事だったのかよ! おいっどうなんだよっ」
松沢さんの一度収めた拳が再び震えだし、肩の辺りまで上がっていた。その怒りは、明らかに正面のあたしへと今度は向いている。
ど、どうしよう。外で働き鍛え上げられた強靭な肉体、その拳でパンチされた日には、あたしの方が死神に連れて逝かれちゃうよ。それはマズイ。もう、どうしてこんなピンチな展開ばっかりになるの、死神って。再三言うけど、あたしはアルバイトなんだよ。本業じゃないんだよ。
「うぅ~っゼンルはどこに行っちゃったの~っ」
出来る限りの小声で、あたしは叫んだ。もう限界。もうダメ。
「何とか言えよ、乃々山さんよっ」
「あ、その。えっと、あのあの」
「俺のやって来た事って死ぬほどワリーっ事なんかよ」
「そ、そんな事はないんじゃ」
「だったら何で死ななきゃなんねーんだよ」
「そ、それは事故に遭ったから」
「はぁっ。そんな事聞いてんじゃねーよ」
「じゃ、じゃあ、何を答えたら」
「だっから。俺は死ななきゃならねーほど、悪い生き方してたのかって聞いてるんだよ」
目の前の男は、震わせていた拳を遂に頭の上まで振り上げた。鬼のように恐ろしい形相でその目は真っ赤に血走っている。
どどどうしよぉぉっ。この人の話の答えなんて、いくら何でもバインダーには書いてないだろうし。あぁぁ本気でやばいって! い、いざとなったらこのカインズ鎌で何とか応戦するしかない。けど、あまりに頼りないし。
「俺の何が悪かったんだよ!」
振り上げた岩石のような拳があたしの頭に――
「うっせーな、おっさんは」
寸前。
背後で冷え切った声がした。男の、感じからしてまだ若々しい。あたしに落ちてきた拳は頭のてっぺんギリギリで止まっていた。
「うっせーってどういう事だよ」
だが、松沢さんの怒りは、声の主の方へとすぐに移った。
「そのまんま。うっせーんだよ、おっさんの苦労話なんて」
振り返ると。そこには思ったとおり、高校生くらいの少年が胡坐をかいて、冷ややかな目線で松沢さんを見ていた。それは明らかに軽蔑している目。
「もう一度言ってみろ」
「あぁ何度だって言ってやる。いい年して、ぎゃあぎゃあ騒ぐなっつってんだよっ」
「何だと」
「うぜーんだよ」
松沢さんは少年の前に立って見下ろし、少年も目の前の男をにらみ返した。
「死んじまった事に理由なんて無いんだよ。死んだら死んだ、それでお仕舞いだって言っただけだ。何が悪い」
にらんだまま、少年は松沢さんの顔から目を背ける事は無かった。
「終ったんだよ、オレら」
口調は静かに。それでも、はっきりと彼は言った。
その言葉に、松沢さんは急に熱が引いたようにその場にうなだれた。いや、彼だけではない。この場にいた全ての魂たちから、突き上げられるような熱さがすうっと抜けていった。
少年――小池肇くんの一言で。
バインダーをのぞくと、彼が某県で一年生ながらもトップクラスの高校生ランナーだという事が記載されていた。高校総体では県代表、その実力は全国でもトップを狙えるほど。しかし、今年は大会目前に足の故障に見舞われて涙をのむも、来年には必ずや日本一の栄冠に輝くと言われていた。本人もその目標を達成するがため、遅れた夏の合宿へ向かう途中に全てが閉ざされた。夢も命も、何もかもを。全て失った。
探せば探すほど悲しく、そして、やり切れない人の人生ばかりが書かれている。
「終った。全部が終った」
空気のような声で呟く松沢さんの言葉を聞きながら、あたしは急に今日の朝ごはんと悪人だと思っていた二人の顔が、妙に恋しくなった。