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《第4話 やっぱりオモシロイ人だった…》(4)‐2
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本当に今日はただただ疲れた一日だった。天上の屋敷に帰ると、一気にそう感じられた。
「旦那様、どうかなさったのですか」
コロコロと小さな鈴の音のような可愛らしい妻の声が、彼にそう問いかけた。琥珀色のつぶらな瞳も心配そうに見つめている。表情も曇っている。
「ごめん、アンナ。私は……大丈夫」
「でも。何だかお顔色が優れません。具合が悪いのですか」
「そんなことはないよ」
天上界の屋敷へ戻った彼は、食事も取らず、風呂で湯を浴びるのもそこそこにし、急いで寝室へと引っ込んだ。そこにはもう妻のアンナがいて、彼女はベッドの傍に設えたソファで編み物をしていた。
「おかえりなさいませ、パルティシオン様」
彼女は夫が帰ってくると手を止めて笑顔で迎えてくれた。この瞬間が彼にとって一番嬉しいことであり、この笑顔のもとへ帰るために今日一日を生き抜いた、と言っても過言ではなかった。彼にとっては何物にも代え難い宝物のような存在に「遅くなってごめん」と、言葉少なく謝って、彼女の額に口をつける。そしてすぐさま彼女を抱き上げ、ベッドへと移動した。
と、いう動作がスムーズに出来るようになったのはつい最近だった。それまでは、彼女の顔すらまともに見られず、名前も呼べず、もう手に触れることすら出来ない状況で……まさに。妹が言っていた「純情一直線」を突っ走っていた。
と、いうよりも彼は、極端な恥ずかしがり屋だった。にも拘らず、そんな自分が彼女に一目惚れをし、攫うように自分の元へ連れてきて結婚させてしまった。が、案の定。そんな極度の恥ずかしがり屋の彼が、唐突に結婚などしてしまえば、当然、一山も二山も越えなければならない『試練』が待っていた。まずは顔を直視する事、それから「アンナ」と呼びかけることに始まり、手を握り、ハグに、キスに。まあその先の諸々。夫婦として様になるまで千日以上掛かった。
だが。今夜も妻をベッドの真ん中にそっと置くと、自分はその正面に正座をし、腿の上に両手を拳にして乗せ、固まった。やっぱり彼女の笑顔が一番好きなので、それをよく見たい。小動物のように小さく、ふわふわの亜麻色の長い髪に、あどけなさが残る可愛らしい顔。白い寝間着姿にはほのかな色気が感じられる。でも彼女は、鈴蘭のような清楚で明るい笑顔が一番大好きだった。
それを直視して、彼はようやくホッとしたような、疲れが一気に吹き飛んだような気がした。愛おしさで心がいっぱいになった。そしてただただ安堵し、なんとなく涙腺までもが緩みそうになってしまう。そんな情けない夫の様を見て、妻が心配するのは当たり前なのかも知れない。
「旦那様。やっぱりどこか、体の具合がお悪いのではありませんか?」
「大丈夫。私は君さえいてくれればどんな困難だって乗り切れる」
「とてもお疲れなのですか」
「うん。だから君の笑顔で癒されたいんだ。笑って、アンナ」
「え。で、でも急に。そうおっしゃられてもなんだか恥ずかしくて。あの。むずかしいです、旦那様」
「お願い、笑って」
「え、あ、その」
彼女は耳まで真っ赤にさせて俯いてしまう。
「アンナは可愛いね」
彼は俯いてもじもじしている彼女の額にもう一度口をつけると、そのまま彼女を抱きしめた。柔らかくて温かい彼女に、めいっぱい安心感が広がった。なんともいえない良い匂いがする。甘くて透明な香り。彼はそのまま、彼女を抱えたまま、仰向けにベッドへ倒れ込む。
「アンナ……」
と、妻の名を呼びながら心地良い眠気に誘われスーッと意識が無くなった。
「……あの、旦那様。起きて頂けませんか。パルティシオン様」
気持ちの良い温かさの中で愛おしい人の声が聞こえた。
「旦那様。パルティシオン様」
彼女の声で自分の名を呼んでもらうだけで幸せだった。
「アンナ……愛してるよ」
「だ、旦那様。あの。その」
「君は?」
そう言って抱きとめている彼女の額に、いいや、今度こそ唇に直接キスを。今夜ならこの勢いに乗っていける。
「アンナ。明日は昼まで私と一緒にいよう」
と、抱きしめている彼女の口に顔を近づけ、そのままそっと唇に触れた。
「だ、旦那様……。あの。それ。枕です」
「え」
アンナの言葉にハッとし目をしっかり開く。た、たしかに言われてみれば。柔らかく心地が良いものを抱きしめてはいるが、ひと肌とは質感が違う。よく見たら自分の顔は大ぶりのギャザーで縁取りされている白い枕に埋まっていた。
「なんで。これは」
一瞬、自分は何をしているのかと呆然とした。それから我れに返り、自分の行動を様々顧みて、ついでに夫としての意気込みなども顧みて、このまま枕に顔をずっと埋めたくなった。なんたる不覚。なんとも言えない恥ずかしさが込み上げた。
「あ、あの。旦那様。これがずっと音を出しているので。大丈夫なのでしょうか」
「音?」
そしてベッドの脇に立っている妻が、両手で何かを握りしめていた。光を放ち、聞き慣れている音がたしかに流れていた。しかし天上では聞くことはない電子音。
「貸して」
「はい」
薄い小型の板を彼女から手渡される。彼はそれを受け取ると、光る部分を見るなりげんなりした。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ。気にしなくていいよ」
「でも旦那様。それが音を出すと、誰かが旦那様とお話したいのではありませんか」
「そうかも知れない。でも今は普通に考えて就寝時間だろう。こんな時間にこれを鳴らす良識の無い者と話す必要はない」
「でも……」
「いいんだよ。さあ、もう寝ようアンナ」
「はい……」
しかし妻は、表情を曇らせたままだった。
「どうしたんだい?」
「あの、旦那様。そこから、音が鳴ったり静かになったりを一〇回くらい繰り返していました。本当に大丈夫でしょうか」
「じゅ、十回!?」
さすがにそれは驚いた。そして改めて光る板、普通のスマートホンに遠感術も施し、天上界でも通話が出来るようにした代物を覗いた。そこには「藤島辰夫」と文字が浮かび、規則的な人工音が鳴り続けていた。
「もうしわけありません。旦那様が眠ってしまってから、すぐに隣の書斎から音が聞こえたので。何度も鳴ったり聞こえなくなったりしたので、気になり行ってみたら……」
妻が言葉通りに申し訳なさそうな顔をさせ彼を見つめていた。
「君のせいじゃないよ。これの電源を切り忘れていた僕が悪いんだ」
彼は、薄い板状の脇を探り、わずかに凹んでいる部分を長めに押した。直後、板からは音も光も消える。寝室に元の静けさが戻った。
「あの。よろしいのですか」
「うん、大丈夫」
「でも……」
「大丈夫。アンナは僕の言葉が信じられないの?」
「そうではありません。ただ、あの、以前、その板から音が鳴って、今のように旦那様が音を消したら。その……陛下がやって来たことがあったので」
「陛下が」
嫌なことが思い出された。たしかにそんな事があった。しかも、今回と同じ終業時間後に。いくら直属の上司とはいえ、むしろあの方からの電話は、大概ろくでもない内容なので無視をした。が、それでも鳴り続けたから、とうとう電源を切った。就寝時間直前、今と同じような状況だった。アンナと寝ようか、とした時だった。だが電源を切った直後。
『もう。ちっとも電話に出んわ、じゃ困りますぅ。何のためのケータイ電話なんですか、ランベルセ。あーあ。急いで今日発売だった、雑誌、買って来てもらおうと思ったのに。だから直接言いに来ちゃいました。えへ』
と、天上界の主人が、唐突に他人の家へ現われたのだった。
アンナはその再来を懸念しているのだろう。だが、そうした『非』常識な行動を取った輩には、後日、適切な指導を行なった。よって、それ以降アイツがバカな真似をすることは無くなり、金輪際、することもない、はず。基、天上の主人が腹心に命令をする場合は古来からの伝達手段である神術を使い、緊急性を有する場合以外は、腹心に対しても無闇に命令を下さぬよう徹底させた。結果、心広き天上の主人は「も、もう二度と致しませんでずぅ~。だから神殿の屋根から逆さ吊りでぷら~んってするのだけは止めて~。びえーん」と快く、部下の願いを聞き入れてくださったのだった。
「大丈夫。そんな事はもう起こらないよ」
「本当ですか……」
次にやったら二度と出仕しない、王の側近なんて辞めてやる、と言っておいた。
『そんなのダメですぅーっ。ランベルセが辞めちゃったら、ボクの仕事が、今の百倍に増えちゃうじゃないですか~~』
と、あの阿呆は、泣きながら謝ってきた。なので、おそらくもうやらないだろう。たぶん。
そして携帯電話のディスプレイに出ていたのは従弟の名前。普段の彼は、夜中に不調法をしてくる事は無い。おそらく昼間の厄介事が彼に飛び火したのだろう。しかし、だから深入りするなと強く釘を刺したつもりだった。例の自称魔術師も、それなりに記憶力があるらしく、西園寺鷹一に会いたくば、一緒に居た興信所の所長のもとへ行けば何か手がかりがある、とでも考えたのだろう。その結果、従弟は妙な事態に巻き込まれた。そう推察できる。
だから、これ以上、首を突っ込むな、と言っておいたのだ。その忠告を聞かず、困った事になったのだろうから、その責任は、最早、自分で取るべきだと思われる。ランベルセは、然るべき判断をし、行動を取り、忠告までもした。
「とにかくアンナ。もう寝よう。私は本当に疲れている。明日は昼まで君の傍で眠っていたい」
彼は妻へ手を差し出した。彼女は少し戸惑いながらも、そっと彼の手のひらの上に自分の手を重ねた。
「アンナ、愛してるよ」
「旦那様、わたしも」
彼女をそのままもう一度抱きしめる。そして今度こそ躊躇なく彼女の唇へ、自分の口を近づけた。
『公爵っ!! 鷹一さんっ!! もう電話切っちゃうなんてひどいじゃないッスか!! ちょっと、もう、助けてくださいよーっ』
彼女の唇、柔らかい唇に自分の唇が触れる、まさにその瞬間だった。頭の中に悲鳴とも怒声とも言える、とにかくやかましい声が響いた。
『早く来てくださいよーっ。俺の手には負えないッスよー』
頭の中に響くのは従弟の声だった。
「旦那様、どうなさいました?」
胸の中に抱いているアンナは、不安そうな表情で彼を見つめている。
「何でこんな時に」
彼はこめかみ辺りを軽く手で触れて目を閉じた。
『鷹一さんっ。オッサンがキレまくって手に負えないんで……痛っ。ちょ、もう、変な奴らを喚び出すなって。こらっ』
一体、どんな事態に従弟はなっているのか。しかし。
「藤島。もう関わるなと言ったろう。それを守らなかったのは君の責任だ。自分でなんとかしたらどうだ」
ランベルセは冷ややかな言葉を遠感術で返した。従弟もスマホを切られたと察し、最終手段で遠感術を使ってきたらしい。
遠感術とは、人間界で言うところの、超心理学、テレパシーなどと呼ばれているもの。他者の思考を読み取ったり、伝心させたりする事もできる術だった。それを天上人は、元々備わっている神からの祝福の力、神力を用いて使う事ができる。先程の「天上の主人が腹心に命令をする場合の古来からの伝達手段」が、それに該当する。だが現在は日常的に使っていない。離れた相手と会話が出来る術は、便利ではあるが大きな欠点もある。それはこの術だけに集中しなければならず、五感が遮られてしまう。よって、戦場では勿論のこと、日常においても、ボーっとしている人になってしまう。そんな実用性に乏しく、むしろ、使っている時の様子が変な人に見えるので、不人気な術だった。挙句、従弟は術に集中できていないようで、言葉が途切れていたり、実際にしゃべっている言葉も混じって聴き取りにくい状態だった。
『とにっ……かく、ですね。俺じゃ、ダメなんですよ。鷹一さんを出せの一点張りで。オッサン、いきなり乗り込んできて、あの堕天使、大悪魔を喚び出せって。って、おいおいおいおいっ。そこの死霊どもっ!! 依頼の資料を荒らすなっ。こらっ。白骨連中はテーブルに登るなっ』
なるほど。従弟の事務所は急襲されたらしい。察するに、例の自称魔術師が死霊集団(アンデット)でも喚び出したに違いない。
「だが死霊たちなら、君の方が得意だろう。専門家なのだから」
『そうですけど。むさいオッサンは門外漢です。もうこうなったら、面倒なんでこの人間ごと全部まとめて、地獄送りにしちゃって良いッスかね? 上司もきっと良いって言ってくれると思いますから。いいですよね? はい。もうじゃあそうします。面倒なんで』
いつになく従弟の弱気な声に、言葉が明らかに自棄を起こしている事を伝えてくる。
「待てっ。地獄送りは不味いだろう」
『だってコイツらを俺が抑えるのなんて、もう無理ですっ。だから面倒は、全て地獄の業火へ放り込んじゃえば後腐れなし。スッキリします。はい。そうします。やっちゃいます』
「待つんだっ。藤島っ。イシュール、止めろっ」
ランベルセは慌てて自分に術を掛けた。
「だ、旦那様っ!?」
「え? あっ。アンナ!! ……すまない」
胸の中には妻もいた。彼女も一緒に碧い光が包み込む。しかし、もうこれは仕方が無い。
従弟はあれで案外パニックを起こすと、すぐに行動してしまうところがある。と、なれば一刻を争う。お陰で妻を抱いたまま術を使う羽目に……。
アンド景色はあっという間に一変する。
「どういう事だ、藤島」
彼が妻と共に出でた場所。そこは少し前まで「西園寺鷹一」として訪れていた場所。今そこでは、従弟が助けを求めているはず、の興信所の室内だった。そこには、まさに死霊軍団のせいで、荒れ放題になっている――はず、だった。
しかしそこは、普通の人間が仕事をしたり、寛ぐ事は絶対ムリ、といえる有り様の散らかりぶりだったが、ゾンビやスケルトンらしきものは一体もいなかった。
そして、応接用のソファとテーブルの間に立ち尽くす紳士の姿と、そのテーブルを挟んで「ほらな、来ただろう」と、なぜか笑顔の従弟が腕組みをしこちらを見上げていた。
「どういうつもりだ、藤島所長。いいや、イシュール。何の真似だ」
天井すれすれに術で浮かんでいるランベルセは、妻を抱きながらキッと従弟を睨みつけた。
「どうもこうもないですよ、公爵。だって電話を切っちゃったから、テレパシってみたんです」
「それは分かっている。が、私が言いたいのは君の言葉の内容だ。イシュール、私を騙したのか」
「違います。貴方に、どうしてもお会いし願いを叶えて欲しい、ってか弱き人間がやってきたから。まあ、その段取りをつけてやっただけです。ただし喚ぶだけ。あとは自分の運と善良さを試してみろって。チャンスくらいはやっても良いでしょう?」
「馬鹿か君は。私は人間の願いなど聞き入れる気は毛頭無い。第一、私には人間の望みを叶える義務も無ければ権利も無い。ただの天上人。救いの神でもなければ、それこそ契約次第で何でも従う悪魔でも無い。天上王補佐官、兼、天界外事局の長。分かりきっている事だろう」
「そうなんですけど。でも話を聞けば、放っておく訳にもいかなくなると思うんッスよ」
「どういう意味だ」
「昼間の話には、どうやら厄介な続きがあるみたいなんですよ」
笑っていた興信所の所長は目を細め、テーブルを挟んで立ちつくす男の方へ、顎を軽く振った。ランベルセは無表情のまま視線だけを男に落とした。
紳士も表情を失くしていた。目の前へ現れた存在に言葉を失ったのか。中空に翼を生やした金髪の男が、右腕に女性を抱え浮かんでいる光景。人間にとっては非日常過ぎるだろう。しかし、こんな状況ですら、背筋をピンっと伸ばし堂々としていた。
「――恃(たの)む。法剣を取り返すために、どうしても力が必要なのだ。ワタシに力を貸して欲しい」
そして低い声で淡々と言葉を発した。厳かといってもいい。
「彼(か)の法剣は、我がオモシロイケに伝わる由緒正しき力強き剣。そしてあらゆる邪気を払い、我が一族に繁栄をもたらす、稀有な魔力で形成されている代物。それが邪悪な者たちに奪われてしまった。このままでは一族繁栄どころか、世界が破滅へと向かってしまう。そうなってしまっては我がオモシロイケは、私の代で魔術界の歴史に汚名が刻まれてしまう。魔術師世界で生きるオモシロイケにとっては、絶対あってはならぬ事。だから恥を忍び、私は願い出た。恃む、大悪魔よ。どうか我が願いを。我がオモシロイケに力を。その偉大な力を貸してくれ」
紳士の顔つきがいつの間にか神妙になっていた。言葉も上からの物言いだが、決して偽りや冗談を口にしているようには感じられない。
しかし。
「旦那様。あちらの方は困り事があるようですけれど。あのでも、面白い毛、ってどんな毛のことなんでしょうか」
右腕に抱いている妻、アンナがきょとんとした顔でランベルセの方を見上げていた。
正直。彼女の疑問に答えることが出来なかった。と、いうよりも彼自身も「面白い毛、って何?」という状態だった。勿論、紳士の言葉の文脈や表情、そして心持ち等は、至って真面目な内容だった。昼間に何度も押掛けてきた時の、あの錯乱して何を言っているか支離滅裂の時と比べたら、誠心誠意に満ちた、真摯で、且つ、敬意もそれなりに払ってランベルセに訴えているように聞き取れた。しかし、彼の話に登場する「面白い毛」とは。なんだ……?
そこでランベルセが思わず口にした言葉は次の一言だった。
「は?」
訝しんで、ようやく出せた言葉。無論、妻に対する返しの言葉では無い。彼女に何かを言ってやりたいのはやまやまだが、思い当たる言葉がみつからない。
結局、男の言葉を聞き終え、数秒考え、やはり何と言ったらよいのか分からず、自分の心情をそのまま口に出したのが、その一言だった。
直後。唐突に従弟が腹を抱え、大笑いを始めた。
「やっぱ、そーッスよね。俺もこの話を聞いた時、〝はっ?〟ってなりましたもん。だってオモシロイケですよ。なんだそりゃ? どんな毛? 巻き毛? それとも赤毛? なんならワキ毛にスネ毛の話かって思いますよね? ねーっ」
応接用のソファに座っていた従弟はついに「ひーひー」と笑い転げた。
「でも公爵。鷹一さん。それは〝毛〟の話じゃなくて、なんとなんと……家っ!!の話しなんです。公爵んちはランベルセ家(け)、俺の家はルドウィン家(け)。つまり墓石なんかに刻まれてる方の〝家(け)〟の事なんですよ。わっかりますーっ!?」
しばらく笑い、ようやく気が済んだところで従弟が言った。が、それにも理解が出来なかった。家って、つまり。
「イシュール。と、いうことはこの男の名前が、その、オモシロイ、という苗字だということになるのだが」
「そうです、その通りです。ランベルセ公爵閣下」
「そんな。まさか」
「まさかもトサカもありません。正真正銘、オモシロイ、漢字で書くと〝生(お)、楙(も)、白(しろい)〟だそうです」
「お、生楙白……」
そんな馬鹿な。たとえ字面が一見難しく――生楙白――由緒正しいのかなと感じるかも知れない。だが。音(オン)が。読み方が。完全に笑いを取りにいっている。そうとしか思えない。
「この男の先祖は、一体何を思い、そんな愉快な一族、としか思われない字を当てたんだ」
まさか本当に大道芸人の家系だったのか。それとも芸名……。ますます困惑した。そんな夫を見上げ、妻が心配の眼差しを向けているのが分かった。アンナに心配を掛けたくはない。しかし。なんというか。どうしていいのか。なんなの? 生楙白って。と、言いたい。
「我が一門は、先祖伝来の秘密の技を継承し、これと同様な力を有する者たちの王として畏れ崇められてきた。魔術を駆使する者たちの王、魔術王として生楙白家は位置するのだ」
「つまりオモシロイ一族が、大道芸界の最高峰であり喜劇王ならぬ奇術王で魔術王……。確かにそれはすごい事だ、と思えるが」
「しかしここ最近。我が一族に反旗を翻し、魔術界の勢力図を変えようとする不逞な輩が現われた。奴は、我が一族に伝わる法剣を手にし、その力で魔術界の存在を表に知らしめようと企んでいる。いずれ魔術で世界を手中に収めんとしているのだ」
「大道芸界のスターであったオモシロイ一族に、強力なライバルが現れ、その存在が大きくなり、そのライバル芸人が一気にスターダムにのし上がろうとしている。世界デビューも近いのでは、と業界内では専ら話題になっている。しかも、その新参者に、オモシロイ家が有する先祖伝来の技芸を横取りされかかっている、と」
「我が一族が、古から受け継ぐ秘密の技、傀儡の法剣を用いた技は、偉大で恐ろしいものなのだ。法剣は、人の心、いや、あらゆる命あるものの心を惑わす。それも何百と一斉に。そんな法剣が奪われ、剣と共に居た娘まで、あの男に連れ去られてしまった」
「ライバル芸人が、オモシロイ一族から秘伝の奇術アイテムを奪い、それでは飽き足らず、オモシロイ家の娘まで攫った、と。それは些かやり過ぎだ。人間界では、物を盗む事は窃盗罪、人を連れ去るのは誘拐罪に問われる。それが明るみになれば、世界デビューどころではない。デビュー間近のデリケートな時期、スキャンダルこそが一番の致命傷。一体、貴方のライバルは何を考えている。戦略方針が完全に間違っているぞ」
それはむしろ所属している事務所が悪いのではないのか。いや。もしかしたら、ライバル自身が会社を組織し、運営までしているのかもしれない。つまり、マーケティングやマネイジメントについては、ど素人。〝芸だけは面白いんです〟で会社を作ってしまい、ライバル潰しの為に、卑怯な真似をしている。他人の技芸を盗むなど、まさに八百長。真の芸人を目指すのならば、ステージでオリジナルのパフォーマンスをし、堂々と競うもの。そんな姑息な輩は、芸能でメシを食う者の風上にも置けない。
「いや。そんな素人は、すぐに潰れるだろう。世の中そんなに甘くはない」
大体、優れたパフォーマンスはそれを最大限に活かせる場所、又、彼らの力を引き出せる後ろ盾が絶対に必要なのだ。披露できる場所が無ければ、そもそもパフォーマンサー達の芸当が、他者の目に触れることがない。いや。今はネット配信も出来る。しかし臨場感こそが、パフォーマンスをする側にも、見聞きする側にも、必要だと思う。両者の熱量が高まり、その一体感、熱量で会場が一気に盛り上がる。やはりライブこそが、パフォーマンスをやる者たちの本領発揮が出来る場所なのだ。
そしてまた、そんな彼らの力を引き出せる後ろ盾は必須。素晴らしい原石は、それを磨ける者との出会いこそが最大の幸運。なぜならば、原石は自らが持っている輝きを自分では見ることが決して出来ない。職人によって、眠っている、隠されている輝きを目覚めさせられ、気づかされることで、素晴らしい輝きを放つ宝石となる。
そして西園寺鷹一の仕事はその職人なのだ。オフィス・Sに所属するアーティストたちには必要であり、又、必要とされる存在。鷹一自身も、業界を渡ってゆく先見の明を磨くために日々精進を――
「公爵、鷹一さん。もうそろそろ現実逃避、止めてもらいませんかね~。奥さんも心配しちゃってますよ~」
従弟から呆れた声がした。妻もさらに「旦那様……」と、夫を潤んだ瞳で心配そうに見つめていた。
「悪いがイシュール。この男の話が全て事実だったとしても、この男に力を貸す根拠はどこにも見当たらない。他世界で起こった窃盗と誘拐の為に、天界最高責任者補佐官の私が何をしろと? それとも、異界間の問題を収める天界外事長として、すべき何かがあるとでも? 君の芝居に乗せられて出てきてしまったが、私は帰らせてもらう」
ランベルセは目を細め従弟を睨みつけた。
「待ってくださいよ、公爵。ちゃんと話を聞いてたんですか? この人間の話」
「無論。家宝が奪われ、娘も誘拐された。だがそれは、人間同士の争いが発端の事案。天界も関係無ければ、人間が妖魔に襲われたというものでもない」
「じゃなくて」
「ならば三文芝居のような、悪い魔法使いが世界を支配しようとしている、という話か? それならそれで結構。人間が人間を支配したがるのは、別に罪では無い。そうしたくなるのは、彼らがもともと持ち合わせている欲求だ。大いにそうするがいい」
「そこでもありませんよ」
「では何だと言うんだ。イシュール。君は天界執行役、という極めて人間たちの身近で働いている業種だ。彼らに肩入れしたくなる気持ちは分かるが、職務と感情は切り離すべきではないのか? 君の上司も、口が酸っぱくなるほど言っているのではないのか?」
「そりゃそうですけど。でも今俺が言いたいのは、俺の働く姿勢じゃなくて。この人が言ってる傀儡の法剣の話ですよ」
「グズグズの暴言?」
「公爵。もうボケなくていいッス。これ以上やると、本当に話がグズグズになっちゃいますから。とにかくですね、傀儡の法剣。それって、人を操る効果がある代物らしいって話じゃないッスか」
「人を操る? しかし人間とて催眠術やらで、そういった事が出来るのではないか?」
「しかも何百人って話ですよ。そんな規模の催眠術なんて、おかしいでしょう?」
ランベルセは従弟の言葉を聞きもう一度紳士を見た。彼は変わらず黙ったまま。ただ神妙で大人しくしている。この男がそんな様をするのは初めてだった。
「旦那様」
アンナも心配そうに夫を見ている。
たしかにその自称魔術師は『法剣は、人の心、いや、あらゆる命あるものの心を惑わす。それも何百と一斉に』と、発言をしていた。つまり、剣が人を惑わす、という事である。催眠術とは、人工的に睡眠に近い状態(それを催眠状態という)へ陥らせ、そこに暗示を吹き込む。その催眠状態は非常に暗示に掛かり易いと言われている。だから自分を猫だと思い込んだり、鳥だと思い込んだりし、そのような仕草や行動をする。だが、自分の命に関わる危険な事は、やらない。猫だと思っていても、木に登って飛び降りることは、自分の身体能力では備わっていないと分かっているし、鳥だと思っていても、手は翼ではないから飛べない事も分かっている。だから、いくら主導者の命令であっても、出来ない事は実際にやらない。あくまで、真似る事、仕草をやってみせる。暗示とはその程度である。
そして一番の問題は、剣が、という点ではないかと鷹一は考える。無機物の物質が、生き物の心を惑わす。例えば、美しい宝石に魅入られ、独り占めにしたいと思う。しかしこれは言葉の綾であり、実際に宝石が生物を誘惑した訳では無い。生物の方が、勝手に魅入ってしまい、己が欲求で独り占めにしたいと感情的に行動したまでなのだ。
つまり、剣が自発的に人を操ろうとはしないし、出来ない。剣は無機物で、意思など無いのだから。
という事は。剣だけでは何もならないが、それを持つ者という存在が加わって、初めて何百と一斉に心を惑わされる状況が生まれる、ということになる。但し、今回はその剣を持つ者は、どうでもいい。やはり、剣の方が問題だと言えた。生命を何百と心惑わせる力を有する剣。その剣が持つ力。それは、人間が生み出したり、作り出す事は無理だと思われる。いや、それすら調査をしてみなければ、何も分からない。他世界から持ち込まれたのか。それとも、人間が何らかの方法で、ありえないと思えるような力の道具を作り出してしまったのか。
「……わかった」
後者だった場合は、まあ自世界ですべて起こった事だから問題ではない。しかし、前者の他世界が絡んでくると、天界最高責任者補佐官としてではなく、異界間の問題を収める天界外事長としては、放っておけなくなる案件かも知れない。
「話を聞いて精査だけはする。それでいいな」
彼は姿を西園寺鷹一の格好にし、妻も人間界に相応な姿へ変えて、共に汚い興信所の床の上に降り立った。さすがに素足で埃まみれの中に立ちたくは無かった。