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《第2話 兼務》(2)‐2
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午後の陽射しの下。大地に敷かれた芝の瑞々しさが際立って目に鮮やかと映った。しかし、所どころに白い小花が咲いていて、その可憐さに和まされる。そんな心持ちになったのは、小さな花に妻の笑顔が思い出されたからだった。彼女の愛らしさと白花のささやかな可愛らしさが重なった。彼女は花のように可憐。いや、花が妻のように可愛らしい。いやいや。彼女は彼女であり、花は花。できることなら、本物の彼女の元へ帰り、ずっと居たい。
そう。本来、自分は休暇中なのだから。
にも拘らず、彼が次に舞い降りた場所は、ある森の入口だった。石造りの街道が途切れた奥には、針葉樹林の深い森が広がっている。そんな森の入口付近は、街道と仕切るように背の低い繁みが生えていて、芝生が広がる空間があった。森へ出入りする木こりや炭焼き職人などが、荷車を置き、一服するくらいに丁度良い場所のようだった。
そんな穏やかな休息場所で。
「――なるほど。ゆえに双方、悪乗りをしたあげく、騒動となった。と、言う訳か」
現実に目を向けると、厳かで淡々とした重い声色で自分は喋っていた。普段より二割増しに低くしているつもりだった。その上、ゆっくりではっきりした口調。
そんな自分の目の前では、地面にぺたんと座り込んだ二名の違(、)反(、)者(、)が半べそを掻いていた。二人とも女性。一人は、黒の長い髪を有した、艶めかしい白肌を袖がひらひらした紫のしっとりしている薄衣で包んでいる。そして広く開いている襟元からは、彼女の大きな胸によって作られた谷間が覗かれた。男を誘う為のお誂え向きな格好だった。一方、もう一人は全体は細く小さい印象の女性だった。顔がやや丸く、金髪の巻き毛で、黒髪女とは対照的な、ふわふわした白いレースやフリルの付いたワンピースのような格好をしていた。だがこちらも、なぜか大きな胸を強調するかのように、首元が大きく開き、胸元が露わになっている服装だった。そんな二人は共に美人で可愛いという部類に間違いない。
しかし性別や容姿で、措置を寛大にしたり厳しくしたりすることは、決して自分はしない。第一、彼にとって、彼女たちの姿は品位が低く見えた。白い小花の可憐さとは比べものにならない。
「両者。しかしこの騒動が如何様な罪を犯しているか。それぞれ自覚が無い訳でもあるまい」
周囲の空気も冷え冷えと思えた。自分ではあまりそう感じない。けれど彼女たちの後ろに立つ、柔らかな雰囲気を醸す綺麗な顔立ちの青年が、お愛想笑いを浮かべて「あ、あの。もう少し穏便に」とか「ランベルセは言い方が、ちょっと厳しい、というか」などと言って、オロオロしていた。
しかし自分はそんな意見など一瞥し黙殺した。そして更に言葉を続ける。
「殿下。私が何か間違いを犯している、と? 貴方様は私にそう仰っているのですか」
と、さっきの五倍、威厳を込め淡々と言い放った。すると青年は顔を引きつらせ、色もみるみる蒼白していった。しかしこの顔を蒼ざめている人物は、ただの優しそうな青年ではなく、本当にとても美麗なうえに爽やかな顔立ち。日没直後の稜線に映える深い紫色の髪を有し、透き通る白肌、繊細に整った美麗な顔、髪色と同じ紫に煌めく水晶のような瞳。そんな美しさに加え、高原を渡る風のような清々しい雰囲気を醸している。誰が見ても、かなりの好青年と映るはずの、青年だった。そんな彼が恐怖映像でも見せられ真っ蒼な顔色になった。
「あの、でも。貴方の、言っていることは、その。間違ってはいないんですけど……でも」
言葉もしどろもどろだった。けれど、そんな風に言いながらも、青年は徐々に顔色を取り戻し、表情もお愛想笑いへと持ち直していった。普通の人なら、目の前の女性たちと同じに泣き出したり、顔を引きつらせたままになるものだった。しかしそうならず、持ち直してお愛想笑いができてしまうとは。やはりそれは、彼が生まれながらの王族ゆえ、というか、もともと人が好い性格だからなのか。とにかく、容姿端麗のうえ、爽やかさと高貴さを孕んだ完全無欠と言って良い妖魔界の王太子だ、と思った。
一方、そのような高貴な若者と対峙している自分は、単なる一役人。無論、役人として身綺麗な姿をしている。それどころか、今日はけっこうな畏まった服装でやってきていた。長丈の赤い上着に白いズボン、首元には白いスカーフを巻き、平服とは違う上品な出で立ちをしていた。そしてなにより、天上の役人としてやって来ているので、金髪の碧眼、背に有す純白の翼も包み隠さずにここでは晒していた。午前中、事務所にやってきた妙な男が見たと言ったものは、おそらくこの姿の事だろう。本来、翼を畳み、背中へ仕舞い込むのは、実際は窮屈なのだ。だから西園寺の姿で仕事をするより、本来の姿で仕事をする方が、断然良いのは間違いなかった。
しかし。現在、自分は役人の仕事が〝お休み中〟なのである。本来の姿で仕事をするのは断然良い、というのは、お休み中、休暇中ではない時の話だった。よって。自分にとって今は、休日出勤になっているので、姿形を抜きに、断然悪い、という状況だった。
「い、いえ。あの。ランベルセ。貴方が言っていることは間違っていないんですけど。何て言うか。その。そ、そもそも貴方を呼んだことが間違っていた……なんちゃって」
青年の、なんちゃって、という言葉に、この人に礼を尽くす気力も完全に失せた。果たして休日出勤してまで来るほどでもない事を確信した。折角来てやったのに、この王子サマのこの態度は。お前が来いって言ったから来てやったんだろう、という気持ちが湧いた。
「しかし、ミルトス殿下。私の部下から再三の要請があったのです。妖魔界の王太子サマが調停を依頼してきたから来て欲しい、と」
「そ、そうなんですけどぉ。でもまさか、貴方が休暇中だったなんて分からなかったし。それに一応、別の世界の生命同士が揉めた場合『公平な調停審判を行う天上界の役人を以って執行すべし』って決まりがあったから……。ねぇ」
「はあ。確かにそんな決まりもあります。しかし、何も私を呼ばずとも良い案件では?」
「それは」
王子サマを睨みつけると、彼はお愛想笑いをまたも一瞬だけ強張らせ「やっぱり僕が調停人を呼んだから……」と、蚊の鳴くような声で呟いた。そして「すみません」と、こちらに頭を下げた。
「殿下。貴方は妖魔界の王太子。そんな貴人が調停依頼をしてくれば、私の部下たちはビビって、調停執行役のトップを出さざるを得なくなるでしょう」
「で、ですよね~。でもぉ。あまりにもひどい〝ケンカ〟だったから……」
「ケンカ、ですか」
自分が怒ると、能面のような無表情になるらしい。そしてその顔はスゴく怖いから止めて欲しい。そう上司によく言われる。正面の人の顔も随分と引きつらせている。それでもなんとか笑顔は保とうとしていた。健気というか。王族根性見上げたり。
やはりいずれ一世界を統べる王となる人物。しかもその世界は妖魔界。
妖魔とは、精霊と同等に自然界に存在する要素、六元素である火・水・風・土・光・闇を自由に操る技に長けた種族。一方で妖精と同じく他種を惑わす妖術という技を巧みに使う者たちである。更に剣や槍といった武器も器用に使いこなす戦士でもあった。その上、彼らの特徴は男女共に容姿が抜群に美しく、あらゆる人種の中で一番高貴で誇り高い種。目の前の青年はその象徴に相応しい、まさに完全無欠な姿かたちをした王子サマ。
けれど、どんなに貴い御方であったとしても、天からやって来た一役人の自分は臆することもなく「ケンカ如きで私を呼ぶとは」と、最大級の冷たさを存分に込めて言い放った。休暇は休暇。昨日まで五十日連続勤務していたのだ。少しは休んでも罰は当たるまい。
「で、でもランベルセ。僕だって、ホントにわざと、貴方を呼びたくて呼んだ訳じゃないんです。貴方の部下が勝手に貴方を指名したんですから。……ね」
「指名せずとも結果は同じこと」
「でも妖精と妖魔が人間と悶着を起こしてる訳だし」
「えぇ。貴方がおっしゃる通り、妖精と妖魔が単なるケンカを勃発させましたね。しかもそれに巻き込まれた人間たちは、夫婦ゲンカを始める始末。正確には、人間側は自分達で行なっていた浮気と不倫が露呈し、無様な醜態を晒す結果になっています」
「そうなんです。だから僕には解決なんて到底無理。分かってもらえますか?」
「勿論、状況の把握はできました。人間界へとやって来た妖精と、貴方の管轄している世界の妖魔が、森へ迷い込んだ若者をどちらが誘惑できるか、などというくだらない戯事を始めた。そこへ若い人間の男女がやってきた。だから邪魔な人間の女の方は、森で彷徨うように妖魔の幻術で木々の迷宮に追いやり、男の方を妖精と妖魔の二人が誘惑した。
しかし、そこへ今度は別の人間の女がやって来た。その女は男の妻であり、男が森へ連れ立って来たのは、隣家の人妻だった。男は単に浮気者。妖魔が掛けた術の森の迷宮でさまよう女と不倫中。そして妻は、愛らしい姿の妖精と艶やかな妖魔に絡まれている夫を見て『この浮気ヤロー殺してやる』などと言う事態に発展。更にそこへ、人間界に所用のあった貴方が、一応、仲裁に入るも、そのゴタゴタの関係者に間違われ事態は悪化。致しかた無いので天上にある調停機関へ助けを求め現在に至る。と、いう事でしょう」
「概ね正解です。しかし惜しい。僕は、いつの間にか浮気男の奥さんの方の浮気相手、と間違われたんです。そして自分の事は棚に上げたその人間の男に、僕は殴られてしまったんです。だから、つまり僕こそ被害者です」
「はぁ」
ランベルセは、目の前のそんなお気楽王子様にビンタの一つでも食らわせたかった。ちゃんと事態を収拾しろ、と。しかし自分も一応、己が分を弁えている。ゆえに。
「では外事越境の裁定として、妖魔ミメス、妖精ファンドレーナ。両者共に異界間の移動を今後禁ず。但し、今回の一件を深く反省し、各界の首長にそれが認められ許諾されるまで、とする」
自分の足元では、泣きべそを止め、いつの間にか正座し、小さくなっている女性たちがいた。ランベルセはそれを見下ろしながら、淡々と言い放った。艶やかな女と愛らしい女は、それぞれ「寛大な御処置痛み入ります」「もう二度とやりません」と、しおらしく謝罪の言葉を述べた。そしてこちらに向かって深々と頭を下げる。
「特に妖魔ミメス。君はいずれ君たち種族の王となる方の前で、とんだ醜態をさらした挙句、その方をも巻き添えにした。大いに反省するように」
その言葉に艶やかな美女は、後ろを振り返り、もう笑顔に戻っている青年へ向かって「ミルトス王子~ごめんなさい~」と、何べんも平謝りをくり返した。それに対して青年は「同じことをくり返さなければ良いんです。許してあげますよ」と、爽やかに微笑んだ。本当に寛大過ぎる処置だった。
ランベルセはそんな彼に向け言葉を続けた。
「それから妖魔界王太子ミルトス殿下。貴方は、己が管理する種の揉め事を自ら収めること無く、それどころか事態を悪化させ、更に、己自身も法令違反行為へと身を投じさせ、外事最高責任者を用いて調停をさせる事態へと発展させました。よって。外事越境法に則り、我が主、天界王様への報告と、貴方が住まわれている空間管理官である貴方の父君、妖魔王様へ報告、又、各空間の首長たちへ外事法違反の発生事例として詳細を通達します。他世界の方々にも、自らが治める世界で同様な事を起こさないよう、注意喚起として大きく発表をさせて頂きます」
「え? あ。えーっ!? ラ、ランベルセ。そ、そんなっ。それはあまりにひどい罰じゃないか。みんなに言いふらすなんてっ」
ランベルセの冷ややかな言葉は、容赦なく爽やかな笑顔の達人の表情を、遂に、木っ端微塵に打ち砕いた。妖魔の王太子は今度こそ顔を真っ蒼にさせ、それを保った。
「そんなことをされたら、僕は妖魔界に帰れなくなっちゃうじゃないか~」
「ミルトス殿下。私は職務に忠実。そう。自らの休暇さえもふいにし、己が職務を果たさんがため、こうしてわざわざ出向いてきて差し上げたのです。ですから。最後まで、『ちゃんと』仕事をさせて頂きます」
「いえ。もう二度とこんな事はしないからっ。各世界に吹聴するのだけは止めてっ。お願いしますっ」
青年は両手を合わせ「一生のお願いっ」と、言ってきた。それを何べんと繰り返し、そのうちに、ランベルセの腕にしがみ付いて「これがバレたら、もう、他所の世界へ遊びに行けなくなっちゃうから言わないで~」とか「それどころか外出禁止になるからやめて~」と、今度はこちらがべそを掻く勢いだった。
天の役人ランベルセは、その様に大きなため息を吐いた。ウザい。この王子は。それに、いずれ王となる者のこんな姿を、同種族に見せて良いのか。甚だ疑問だった。むしろ女妖魔は「王子、可哀相ぉ~」とか言って、同情し、憐れんでいるようだった。何なのだろう、妖魔って。こんなに物事に対する深刻さがなく、陽気な種族だったのか……?
「わかりました、ミルトス殿下」
ランベルセは諦めがついた。それなのでウザったい青年を軽く睨み、腕組みをし「妖魔界王太子ミルトス様。ならば今後自らの行動には、幾ばくかの智慧を以って行い、責任を持ってください。でなければ、今回のように小事が大事へと発展するのです」と、冷えびえとした空気感を放ちながら言った。
「大体、殿下。貴方は、自分を事件の被害者などと言う前に、どうして自ら巻き込まれるような事態へ身を投じるのですか。貴方の妖力なり、権力なりで、何故止めないのです? 被害者になる前に、妖魔の王太子としての自覚を持った行動をお取りください」
「そ、それは。貴方のおっしゃる通りで」
「おっしゃる通り? お分かりであるのならばなおの事」
「は、はい。以後、ホント、ホントの本当に、気をつけます」
ランベルセは「その御言葉、お忘れ無きように」と、言ってもう一度ため息を吐き、睨む事も止めた。それから「では今後、二度と同じ過ちを繰り返さないと言うのであれば、今回は我が主、天界王様へ形式だけの報告のみの対処とします」と、することにした。ミルトス自身も、妖魔の女へ「同じ過ちをしないなら許す」としたのだからか、それと同じ措置にした。ミルトスはランベルセの言葉に、笑顔をとり戻して何度もお礼を言った。
「ありがとう、ランベルセ。やっぱり貴方は心の広い大天使~。さすがだ~っ」
本当にお気楽な王太子である。と、ランベルセは改めて思った。
これをもって、今回の調停案件は無事に解決といえた。だがランベルセとしては、果たして休日をふいにしてまで、この案件に自分が来る必要があったのか、大いに疑問が残った。
「これなら西園寺の仕事の方がまだマシだ」
それから間もなく。「他愛ない悪戯」をしていた妖精、妖魔は、それぞれの世界へと送り帰された。
尚、彼女たちの戯事に翻弄された人間たちは、もうとっくの昔に、なるようになる結末を迎えているそうだ。あちらのゴタゴタは同種間の争いなので収める必要はない。妻と隣人の女は勝手に殴り合いをし、男は妻にひたすら謝り、それでも気が収まらない妻はフライパンなどを持ち出し、夫を追い回して気が済むまで叩いて終息。まるで三文オペラのような結末になったらしい。
「ご苦労様でしたね、ランベルセ」
静かになった草原には、自分とミルトスの二人だけが残っていた。傍に立っている王子様は、何事も無かったかのように爽やかな笑顔でこちらを見ていた。正直、この人が一番反省して欲しい。
「本当にミルトス殿下のお陰で、いい迷惑を被りました」
「そう言わないで下さい。何度も言いますが、僕は貴方が休暇中だったなんて知らなかったんです。それにまさか貴方が来るとは。普段、貴方が現場へやってくる事など無いでしょう?」
「ですから。何度も申し上げておりますが、貴方のような貴い身分の方が、他世界の者同士の仲裁依頼を天上へ申し出た場合。必然的に私が出てこなくてはならないのです。たとえ休みの日であっても」
「すみません」
「それに殿下。貴方も用が済んだのなら、とっととご自分の世界へ早く帰って下さい。これ以上事件を起こされたら、こちらもかないませんから。私も多忙なのです。無駄話をしている余裕すらも無いのです」
「休暇なのに?」
「〝天上界〟の休暇、というだけです」
「ああ、天界の。それってあの方の補佐官と外事長はお休みって意味ですか」
「はい。しかし、このような事があれば、完全休業とする事が出来ないのが現実です。だから、余計に自分でできる事は自分でちゃんと始末をつけて欲しいのです」
「す、すみません。しかしホント大変ですね、天界の役人は」
「ええ。どこかの世界の、お気楽王子様と比べたらそう見えるでしょうね」
「でも、そういう厳しさのある貴方のような補佐官が傍にいるからこそ、天界王様は安心して貴方に様々な仕事が任せられる。はあ。スタリート様は羨ましいなあ」
このセリフは邪念や愛想笑いが一切感じられなかった。つまり本気。自分は嫌味を言ったが、この人はそうではない。しかし、実際この人が自分を雇い入れようものなら、10分以内に解雇するに違いない。なぜなら自分の上司も「うう、ランベルセは文句ばっか言ってっ。お前なんてクビですぅーっ」と、毎日、めそめそしている。本当に偉い人たちは、往々にして短絡的で気楽に物事を考え過ぎる。そう思えてならない。
「殿下。そのようなことを安易におっしゃいますが。あの方を含め、王族やら、神やら、社長やら、なんやらかんやら組織の〝偉い人〟という人種に仕える我々は、常々、皆、大変なのです。〝偉い人〟という方々の発言、行動によって。無駄な仕事が山積するのです」
「そ、そうですか。なんかそう言われると……スミマセン」
爽やかな青年はここで笑顔を少しだけ曇った。
「まあ、それでも。私の話がわずかにでも理解をして頂けるようなら、ミルトス様などまだマシなのかも知れません」
「そう言われると、個人的にはちょっと安心します」
「はい。世の中には、もっと色々な〝偉い人〟が御座すもの」
「そ、そうですか。そう言って頂けるなら僕もまだ救いになりますね。た、確かに貴方がお仕えしている方などは、人畜無害とは縁遠いと言うか」
「ええ、まあ。あの人は私にとって人災そのものです」
そのセリフにミルトスはお愛想笑いになった。まあランベルセの上司の事は、どこの世界でも破天荒として有名だった。それに比べれば自分はマシ、と妖魔界の王太子も思ったのだろう。それはあの方の最も身近にいる自分が一番身に染みていた。
「あ、でも。貴方だって場所が変われば社長さんでしょう? 人間界で歌手を育てている。楽しそうですね、西園寺社長」
「え……」
しかし、唐突に話が変わった。しかも妖魔の王子から、西園寺、という言葉が飛び出してきた。思わぬ言葉を思わぬ場所で聞かされ「な、なぜそれを……」と、ランベルセは本気で驚いた。まさかこんな所で。まして妖魔界の王太子から、『西園寺』。
「あ、あの、ミルトス様。なぜそれを御存知なのでしょう……」
ランベルセは完全に虚を衝かれ、言葉を詰まらせた。一気に形勢逆転をさせられてしまった気がする。
しかし。話を持ち出した方は、なぜか爽やかさに加えて嬉しさを噛みしめたような顔になっていた。瞳もいつも以上にキラキラしている。
「僕、貴方の事務所のアーティストが大好きなんです」
「は? だ、大好き?」
言っている意味がわからなかった。こ、この人。ウチの事務所のアーティストが大好き、とは? それはつまり、ファン?
「いいですね、音楽事務所の社長なんて。毎日、大好きなアーティストの曲が聴けるし、彼らと直接、お話も出来るんですよね。羨ましい」
毎日アーティストたちの曲を聴いている訳ではないし、そもそも社長であるから、所属している人間と普通に会話はするが。目の前の若者は一体、何が言いたいのだろうか。
「で、殿下。しかし私は特に楽しんで社長をやっている訳ではありません。そうせざるを得ない状況だから。なんというか……致し方なく、というか。それに私自身が、彼らの歌を毎日聴いて楽しく生きる為にやっている、訳ではありません。社長業とはそういうものではありません」
「そうなんですか? でも僕も花江・テイラーの歌、好きです。CD三枚持ってます」
「そ、それは……ありがたい事ですけど」
「貴方の所の歌手は、みんな好きです。シロとコガネのポップスユニット『ランタン』と、シンガーソングライターの北白川政満くんに、花見坂ショウコさんの演歌。それに業界では大御所のベテランシンガーソングライター大岡忠さんが、自ら貴方の事務所へ出向いて移籍を懇願したっていうじゃないですか? それになんと言ってもedgeですよねーっ。本田健彦、智弘兄弟を中心にしたロックバンド。カッコ良過ぎです。あ、そうだ。今度、良かったらライブの招待客にしてもらえませんか? どうですか? いいですよね」
……この王子様、ヤローは。
「ミルトス様は彼らの良さがわかるのですか」
「勿論ですよっランベルセ公爵。いいえっ西園寺社長!! 僕は貴方の所のアーティストたちが本当に好きなんですっ。大っ好きなんですっ」
「し、しかし。彼らは必ずしも、大勢の人間たちに共感を呼ぶアーティストたちではないのですが」
「何を言ってるんですかっ。あれがいいんですよ、社長。むしろそこが気に入っているんですっ。ランタンだって、北白川くんだって、そこら辺の、ちょっと歌が歌えるだけのチャラチャラした顔だけが良い若い歌手じゃない。若いながらもダイナミックな歌唱力に、選び抜かれた言葉が紡ぎ出す秀逸な歌詞。確かにメディアで見ると、少し華やかさがないけど。とにかく歌が良過ぎ。サイコー。本当に良過ぎなんですっ」
「しかしそういった本格志向だけでは売れない。そこがネックだと副社長と今朝も揉めました」
歌だけ良ければいいという時代は終わっている。それも時代の流れ。いつの間にか西園寺鷹一モードになっていた。
「アイドル性のあるアーティストも必要だ、と妹は言っているのですが。確かにそういったものが必要と、言われるのは仕方が無いのかも知れません。時代の流れを見誤ったら、事務所も立ち行かなくなってしまいます」
「ダメです西園寺社長っ。鷹一さんっ。そういう考え方はダメですって。ちょっと顔が良いから、スタイルが良いから、と言うだけで受ける時代だからこそ、貴方が育てているようなアーティストが必要なんですっ。若いうちからホンモノを目指すアーティスト。彼らがニッポンの音楽シーンには必要なんです」
「ミルトス殿下……」
そう熱い主張を説く若者。その瞳は大きな夕陽に向かってダッシュをしている高校生のように輝いていた。さすが容姿端麗の種族であり、そこの象徴と言われてるだけの存在は目力が違う。いや、その強い瞳の輝きは美しい種族だからではなく、オフィス・Sのアーティストたちを本気で気に入ってくれているから。その思いがひしひしと熱く伝わってくる。
「ミルトス殿下」
ランベルセは自らに術を掛けた。姿を一瞬でスーツに変える。数時間前、田舎の音楽事務所で、妹の副社長に今後の方針をダメ出ししていた男の姿になった。
「実は私もいまいち自信が持てず迷っていたのです。ゆくゆくは事務所を妹へ譲り、拠点もトウキョウへ移そうと考えていたのです。オフィス・Sは日本の音楽界へ本格的に打って出ようと考えています。しかしそこは、必ずしも私が目指す、高い音楽性の持ち主が受け入れられる環境ではない。私とて心は殿下と同じなのです。アイドルなんて嫌だ。結果的にアイドルになるのならばともかく、音楽人として軽薄なものを世に出す事など音楽への冒涜。そう思っているのですっ」
「鷹一社長っ、御立派な考えですっ!! そうですよっ。迷う必要なんて無いですっ。貴方は正しいっ。間違ってない!! だって『僕らのコミュニティー』には、僕と同じ考えの人たちで溢れているんですから」
「僕ら、のコミュニティー?」
「SNSです。そこには老若男女問わず、貴方の事務所のアーティストをこよなく愛する人たちでいっぱいなんです。つまりそれこそ時代の流れなど関係無く、いつの世にも通じる慕われ愛されるアーティスト、という証明じゃないでしょうか。社長っ」
「殿下」
事務所を開いて三年。初めは家族の、妹のために創設したものだった。しかし今、ここにきてファンは着実についている。それが肌で感じられた。
「わかりました、殿下。やはり私が打ち出してきた方針は間違ってはいなかった。その確証が貴方を通して得られたような気がします」
翼を消し、スーツ姿となった鷹一は、自分の中でも気持ちが高揚してきたのが分かった。揺らいでいた志に、自信が蘇ってくる。ファンの言葉。素晴らしい音楽を共有してくれる存在。それこそが心を支える柱。
「殿下。私は事務所の方針を変えません。オフィスSはファンと共にある。音楽もアーティストも、それを愛する人のために尽力します」
「西園寺社長」
鷹一は翼を有した姿の時と同様に、堂々たる表情で目の前の若者へ手を差し出した。それに対し、音楽を愛する若者はさらに目を輝かせ、まるで憧れの存在とばかりに鷹一の手を握る。二人は固く握手を交わすと「あ、これ。僕たちファンがオフィスSを応援するために立ち上げたホームページです。edgeの事、ランタンの事、みんなで語ってます。良かったら遊びに来てくださいっ」と、ミルトスは紙と筆記具を喚び、サイト名を書いて、鷹一へと渡してきた。そして非常に満足した顔で自らに移動術を掛ける。
「それじゃランベルセ公爵。西園寺鷹一社長業も頑張って下さいっ。応援してますからーっ」
こうして妖魔界の第一後継者も未だ興奮冷めやらぬ様子のまま、妖術を使って姿を消した。
「西園寺鷹一社長……業」
その人物自体が職業なのか。
三年前。事務所を開いた時に必要に迫られて作った名前、西園寺鷹一。今ではたしかにそれ自体が仕事の一環だと、ランベルセはつくづく思い知らされた。