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「で。どーするの、お前は。まさか、この人間界の空で、ひと暴れするつもりじゃないよね?」
「暴れるつもりは毛頭ありません。しかし、私が他世界へ出てゆくことを許された場合、その世界を守るべくため、と外事長より仰せつかっています。今回の場合は、人表界を他世界の侵入者から守れ、と言い付けられております。そして、私が戦わなければならぬ状況になった場合は、得てして、元の姿にならねば出来ません。人の格好では、まさにただの人。外事長はそれを存じ上げている。つまり、私が外へ出た場合、それは許可、とみなされるのですよ。ルートヴィッヒ大閣下殿」
「あ~~あ。嫌だ嫌だねぇ本当に。お前の元の姿なんて、何の得にも薬にもなりはしないものなのに」
「しかし、大閣下。好き嫌いでこの状況を切り抜けることは、もとより無理。現実を見るべきです」
目の前では、黒衣を身に着けた女性、妖魔らしき獣人、人間の老女、それから若い天上人が中空から、こちらを見下ろしていた。彼女らの後ろには、木偶人間がざっと二〇〇体浮かんでいるのが分かった。向こうは、その木偶人間をこちらに当て、その隙に船を乗っ取るつもりなのだろう。
しかしこちらは、自分と天上界一の神術使いがいる。つまり複数攻撃が可能な状況だった。けれど、神術使いは船の操縦桿を握っている。大勢の敵に気を配り、舟を守りながら攻撃という訳にはさすがにいかない。
そうなると、一気にすべてをリーブスが片付ける方が効率的だと考えられる。自分ならば、それをやれる。
「では大閣下。ご自分の身と船をお守りください。私は外事局の業務遂行へ移らせて頂きます」
「あーあー。勝手にしなよ。私だって、お前なんかに守ってもらわなくても、充分、一人で出来るから。さっさと行きなよ、しっしっしっ」
「では、失礼いたします」
そう言って、リーブスは船の先端に向かって走り出した。船体の縁まで到達すると、躊躇なくそれを飛び越える。と、そのまま落下した。その瞬間から重力のせいで、体が物凄い勢いで地面へと吸い寄せられるように落ちている。彼の目には、あっという間に、船底が目の端に映った。
その辺りで彼は背中の翼を開いた。そしてそれを大きく強く羽ばたかせる。落下に掛かる圧力を、翼で起こした風圧が押し返した。そのまま大きく羽ばたかせ続けると、夜空を、風を切り一気に昇り上げた。同時に、自分の体がぐんぐんと重くなっていく。そして皮膚に感じる外圧、些細な触感が消えていく。併せて、四肢に感じていた圧迫感のようなものからも解放感を覚えた。この感覚は、神殿から竜谷に戻った時にも感じる。人型の小さな体は慣れたと言えど、やはりどこか窮屈で圧迫感がある。やはりホウシギに戻ると、どこかホッとするものを感じた。
巨体となってそこそこ昇ると、下には黄金色に輝く舟と、それを囲む細々したモノが見えた。中空に留まり目に映るそれは、なんとなくどうでもよい光景に自分は感じた。人型生命は、本当に良く、自分たちと同じ姿の者同士で争うものだと思う。知れば知るほど、少々呆れに近いものをホウシギは感じていた。
しかしそれでも善き人もいる。中でも、自分の生き方を善くしてくれた世界の王と、そして現在、主人と仰ぐ人。この二人のような天上人もいるので、彼は自分の種族以外の生命にも手助けをしたいと考えるようになったのだ。
彼は眼下を見据えながら腹の辺りに力を溜めた。すぐに冷たく凝る感覚が湧いてくる。その状態を保ったまま、彼は船の方へ滑走した。
船上では、焦げ茶色をした人型の何かが溢れ、敵の幹部たちはその光景を船外に留まって見物をしている。ルートヴィッヒを相手に、そんな余裕の行動を取っている事が、愚かしくてたまらなかった。彼ならば、色々な方法で、撃退なり、抹消なり、好きな結果を得るはず。
しかしリーブス・ヘイブンの受けた命令は、夜送舟艇を守り、まあそこの正統な乗船者であるルートヴィッヒも、それなりに守ること。そして外事局の役人として、空間侵害罪者の〝捕縛〟。つまり敵を、倒す、のではなく、ひっ捕らえる事。
リーブスは少し下降速度を落とし、ひとまず一声上げてみた。「きゅるるきー」と、人には聞こえる声が夜空に木霊した。それから空気を鼻から大きく吸い込んだ。もうこの時には、船体を含めた辺りに、月明かりで出来た自分の影が、大きく覆っていた。そのため、ルートヴィッヒと木偶人間以外は驚愕している。
しかしそんな反応はどうでもよく、むしろ、それが違反者の動きを止める事に役立ったので、彼は腹に溜めていた冷たいものを一気に口から噴き出した。竜に宿る神力。それを冷気に変えて、息とともに噴き出す技。それが夜送舟艇の先頭から幹部と思しき連中に、降りかかる。この冷気は人間の計測器では測定限界を超えるほどの冷気らしい。そうルートヴィッヒが言っていた。だから、そんなものを肉体が食らうと瞬間冷凍される。獣人であれ、妖精、妖魔、人間、天上人であっても、完全に身動きなくなる。あとはそうなったものを確保すれば、業務達成だった。
その思惑通り、船外で余裕な姿を見せていた敵幹部たちも、冷気を受けた傍から次々に氷漬けになっていく。
「ちょーーーっとっ。何してくれてるのさっ。私の手も凍ったでしょっ。舵にくっ付いちゃったじゃないっ。この莫迦竜ーーーっ」
ついでにどなたかも、多少の巻き添えを食らっている模様だった。だがそれは放っておいても構わない。
それよりも、船の周辺で中空に浮かんでいた敵の幹部は、完全に氷漬けとなった。彼らは見る見る下へ向かって落ちてゆく。その確保もしなければならない。破損などがあれば、解凍した時に不具合が肉体へ生じる。
リーブスはすぐさま、翼を大きく羽ばたき、『落し物』たちへ目掛け急降下した。巨体に反して飛翔速度はかなり速い。羽ばたきの力に人間界の重力が加わり、ただ落ちているものよりは速さが増す。けれど落し物たちの方が、落下開始が早い。それに追いつくための速度が必要だった。
だがそれも、彼には案外難しいことではなかった。地表などが見える遥か上空で、無事に全部を確保できた。両手、というか前足というべきか。とにかく、凍った幹部四体をまとめて鷲掴み。そしてすぐに急上昇し、夜送舟艇まで戻った。
「ちょーっと。莫迦竜っ」
甲板には、もうすでに凍った木偶人間が、積み上がっていた。銀の竜は、持っていた氷漬けになった連中をその一番上へと乗せる。
「やっぱり大暴れじゃないか、ホウシギはっ」
こうした一連の作業を終えると、リーブスは自分にも術を掛けた。全身が碧い光に包まれ、巨体があっという間に縮み、姿も人へと転じた。
「この程度は暴れたとは言いません。ルートヴィッヒ大閣下」
彼は何のこともなかったような調子で、操縦桿の傍に立った。
「私の手を氷漬けにしたよねっ」
「しかしそれを、もうご自分ですっかり元へ戻したではありませんか」
「あたりまえでしょ。ドラゴンブレスくらいで私が参ると思うの?」
「思いません。ですから。そういちいち、私に対し目くじらも立てる必要はないかと。そうも思います」
「もーっ。ホント、イヤな奴だなあ。頭でっかちの銀竜王は」
「智慧の銀竜、です。しかし閣下。私は竜の中でも頭部がとりわけ大きい方、という訳ではありません。風体はバランスが良く、どちらかと言えば〝格好が良い〟部類に入るかと。なんでしたら、もう一度、元の姿へ戻りましょうか」
「んっもーー。本当に、嫌な奴っ嫌な奴ぅぅぅっ」
氷の彫像たちを前に、ルートヴィッヒの声が夜空に響いた。その様が、リーブスの目には駄々っ子のように映り、少々呆れた。どうしてこんな人物に、あのような立派な息子がいるのか。本当に不思議でならない。
本気で呆れ、ため息が漏れた。ここで、この残虐非道な父親と心優しい息子についての対比を思考しようと思ったところだった。だが、ため息を吐いてすぐのことだった。
「ちょっとちょっと。今度は何? リーブス・ヘイブンに続いて、その上をいく厄介者が来たってワケ?」
船の先端に近い場所。そこから唐突にものすごく強い妖気と、今まで感じたことがない強い清浄な力の気配がした。いや、今感じる強い妖気は、憶えのあるような気がした。つい最近、千年前かその辺り。もしくはもっとそれ以降かも知れない。
けれど清浄な力はまったく知らない。それどころか、この力は〝人間〟の気配に対して取り巻いている。つまり、人間が強い清浄な力を宿している、ということになる。
「しかし人間がこのような浄い力を持てるものなのか……?」
あまりに驚いて、ついつい言葉にしていた。
「ふーん。ホウシギは知らないの? 五輝神ていう存在を」
「ゴキシン? それは神へ何かを捧げる供物のことでしょうか」
「ぶっぶーっ。違うよ。それって御寄進の方でしょ? 私の言っている五輝神ていうのは、古の神々である三創神・幻天王が対リドールの為に用意した、それ専用の戦士の事さ」
「あの、最悪神を相手に戦える専用の者、ということですか」
「そう。私がこの世の中で一番大っ嫌いな生き物と一緒に現われたのは……なるほど。その五輝神の中でも、リドール神に相当恨まれてる三代目の輝星剣士、みたいだね」
「恨まれている? それは、あの最悪神に恨みを買われる程の何事かが出来た、という事でしょうか」
「そうなんだよね~。私も大概、第一番目の引き金には結構恨まれてるけど。でも、三代目輝星剣士ほどじゃない。それくらい彼女はアイツに憎まれてる。それほどの実力があるんだよ、彼女は」
「彼女……。女性なのですか、強きお方」
「そう。色々な意味でねぇ~」
操縦桿を握るルートヴィッヒは、なぜか「ふふんっ」と少し嘲笑するような表情を見せた。リーブスにはその意図が分からない。けれどルートヴィッヒがそんな嘲るような笑いをする事は、大抵、『彼にとって面白い事』が起こる予兆だった。無論、他者には大迷惑が降りかかる、という凶兆の証とも言える。
リーブスは船の先頭を改めて注意深く見守った。
そこには長身の人と、その人物が両腕に抱きかかえられている小柄な人がいた。
そして長身の人物には、やはり見覚えがあった。
「あの、紫色の髪をしているのは妖魔。そして名前は確か、レゼッタ・ガレジィートェとか言う、とても親切で紳士的な妖魔界の王族ではありませんか?」
「ちょっと。彼のどこをどーゆー風に見て、そーゆー頭のおかしい事が言えるのっ!?」
「は? 以前、妖魔界で流行り病が発生し、それを治すための薬について私の所へ訪ねてきた事がありました。千年くらい前でしょうか。自分の弟も、そして妖魔の大勢が高熱を発し、体力が衰えていく、というものです。それが、どんな妖術を施しても治らない。植物などを煎じて飲ませても回復の兆しがない。だから、智慧を司る銀竜である私に、どうか病の正体を解き、その特効薬を授けてくれないか、とやってきたのです」
「はーっ。そんなの知らなかったんですけどーっ。初耳だね。あの極悪妖魔がそんなことをしてたなんて」
「私には、極悪という冠がぴったりと思しき人物は、閣下とローレンス・ウォルシオムだと思いますが」
「ちょっとっ。相変わらず事実が分かっていない鈍臭い時代遅れの田舎竜は困るな。よりにもよって、レゼッタ・ガレジィートェの方を紳士的とか思ってるなんて」
「しかし彼は病床に伏せる弟の為に必死でした。それに大変謙虚でした。だから心が清らかな生き物だと感じられました。ゆえ、私は彼の願いを叶えるべく、彼の弟を診て、そして特効薬となる物を作りました」
あの時は、竜谷に咲いていた桃色花という強力な浄化作用がある花と、力有る言葉で呪文を組み立て、そして竜の神力で混合し、解毒剤を生成した気がする。妖魔に掛かっていた呪いはかなり強く、妖力や神力だけの浄化術では解けないほどだった。竜谷には、そうした強い呪いを浄められる桃色花があった。そして竜の神力を用いて、浄化効果をさらに高める呪文を加えて水溶液にした物。それを飲ませると、呪いが掛かっていた者はみるみる回復し、元に戻った。レゼッタ・ガレジィートェは弟の回復に、とても感謝し、何べんも頭を下げていたように思う。どこかの誰かのように、思い上がりの態度は微塵も無かった。
そして彼は、他の同種にも同じ呪いが掛かっているので浄化剤を更に欲し、リーブスは彼の立派な態度に心を打たれ、樽に三つ、用意をした。それを彼は元気になった弟と共に持って帰り、呪いに掛かってしまった大勢の妖魔を救ったという。
余談ではあるが、その呪いは彼らの兄に当たる当時の王が、弟らを暗殺しようと企み、しかし術が暴走したため、呪いが妖魔界へ蔓延してしまったというらしい。リーブスはそんな不憫な王弟達を憐れと思うと共に、肉親を殺そうとする歪んだ心がいずれ更なる不幸を引き起こすのではないのか、と頭をよぎった事を思い出す。
しかし、今現在もレゼッタ・ガレジィートェという人物が健在しているというのであるなら、要らぬ心配であると思われた。
と、いう事をルートヴィッヒ・ランベルセに話すと。
「はあーーー。お前って、本っ当ぉーーーに、暢気な田舎竜だよねーーーっ」
そう言われ、心の底から侮蔑したような表情を向けられた。だがリーブスは、何でそこまでの言われようをされなければならないのか、全く分からなかった。さすがにあまりにも不服と思い、理由を尋ねるとルートヴィッヒは「天上人や妖魔にとって千年もあれば、一時代分の変化があるってものだよ」と、今度は呆れられた。
「そういうものですか?」
「そうだよ。お前たちみたいに、昼寝で五〇〇年使うような暢気者と私達は違うの。まあ、妖魔も暢気族に近い寿命だけどさ」
「暢気族……ですか」
自分は特に暢気だと感じることはないが、谷にはたしかに今も五〇〇年くらい寝ている者もいるし、一昨日くらいに三〇〇年寝ていた者が目を覚ました。いや、一昨日なのか、一〇〇日前なのか、よく覚えていない。しかしそれで不都合をあまり感じはしないので、さほど気にしてはいなかった。
「本当にさ、竜って生き物は変わってるね」
「そうでしょうか」
「ま、今来た妖魔と人間も、色々な意味で変わってるとは思うけど」
「はあ」
氷漬けになった者達の山を隔て、その先に見える船の先頭。そこへ現れた二人の人物へと、リーブスは再び視線を向けた。それは丁度、抱きかかえられていた人間が、抱きかかえている妖魔に向かって、ポカポカと拳で叩いている瞬間だった。
「ねえ。あれって、異種族が揉めてる光景だよね?」
「まあ、そうかも知れませんが」
「外事局の役人なら、止めた方が良いんじゃないの」
「……」
こうして。夜送舟艇の船上では、本題とは全く別の事案が、外事局の優秀な人材へと降り掛かったのだった。