YASOU SHUUTEI NO PURIN TEIDAN

夜送舟艇のプリン艇団

TEXT ONLY EDITION

榛名 暒

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初回掲載2026年9月4日

第6章

(六)

 白い稲妻が漆黒の闇夜に轟音を伴って何度も引き裂いていた。吹き付ける大粒の雨も、全身を容赦なく打っている。その中を黄金色をした箱舟、夜送舟艇は真の姿を現して進行していた。

 人間界はとっくに陽を落としている。時刻は午後十一時を越し、あと数十分で人質と船の交換期日を過ぎてしまう所まで来ていた。

「はあ。では、我々の要求には応じて頂けないと」

「一体、どういうりょうけんを持ち、そのような科白せりふを吐いているのか。貴方がたは、どちらの立場が有利か不利かもわかっていないのか。逆に問いたい」

 そう言われても。と、白々した光に照らされながら、カルスは思った。敵対する側へ、我々プリン艇団の要求をきっちりして欲しい。それが先鋒たる彼に、頭目から言い付かった事。カルスはそれをただ言っただけなのだ。それも、夜送舟艇を背にして、自分の周りに白の照明球を六つほど作り出し、わざわざ自分の姿が目立つようにしてまで。これも頭目がお願いします、と言われてやっている。暗いと状況が把握できないし、なによりプリン艇団は堂々と悪事をやっている、ということを一目瞭然にしたいから、という理由らしい。

 しかしカルスはあまり目立ったり、そもそも派手な事が嫌いだった。もともと容姿が見目麗しく、氷の女神、などと一部で言われているほど。だから目立ちたくなくとも、勝手に姿かたちでそうなってしまう。けれど、それすらも頭目は「だから良いのではありませんか。大いに結構。遠くからも、その容姿と衣の色で大変目立ちます」と言って、彼を送り出してくれた。それは本当に心外だった。

「勿論、こちらが有利である。と、始めから終わりまで思っています。それ以上でも、それ以下でもありません」

「本気でおっしゃっているのか? こちらには人質がいる。彼女の身がどうなっても良いと」

 けれど照明あかりがあると、確かにカルス自身にとっても良かった。目の前の人物を目で確認する事が出来る。距離をほどほどに、五メートルくらい開け、自分同様に浮遊術を使って立っている人物の姿はおそらく女性。人間や天上人と同じような人型で、肌の色が土気色をしていた。けれど決して死体という訳では無く、マロングラッセのように艶々しており、肌の張りもピンとしていた。人間や天上人ではあまり見ない色なので、妖精、または、問題の妖魔なのかも知れない。目鼻立ちも良く整っていて、紫色の長い髪が雨に濡れて体に張り付くように流れていた。妖魔と呼ばれる種族の条件に合う、美しさをしていた。そして、身に着けている衣裳は、真っ黒な詰襟の上着とズボン。それから同色の短めなマント。手には細身の剣。男装の麗人と言うに相応しい、明らかに剣の腕に覚えあろう人物に見えた。

 そして敵ながらも、カルスには真面目な人物、とも印象を受けた。

「はあ。しかし我々は悪党ですし、人命よりももっと大切な物――財宝や金の延べ棒、本当に舌が蕩けてしまう美味なる食材、そしてこの世の者とは思えぬほどの絶世の美女――が目的で集まった一団ですので。特には」

「では天界執行役の女の命は無いぞ」

「まあ。私個人としては、それは大いに結構ですし、むしろ、そうして頂くと私にとってはありがたいお話です。あの方は、私が料理を作ると、いつの間にか勝手に食べてしまうし、私の主人に付きまとっては暴力を振るうし。本当に私にとって、災厄としか言いようがない人物です。煮るなり、焼くなり、お好きにして頂いて結構なんですケド」

「貴方は本気で」

「はあ。まあ。何と言うか。本気です」

「本気……だとっ!?」

「嘘を言う必要を微塵も感じませんから。誰が何と言おうとも本気です」

「貴方は何なのだっ」

「私は紅の魔道士と呼ばれている人裏界の魔法使い、カルスです。以前は、悪名高き魔王の息子、と世間からは恐れ戦かれた極悪魔道士でもあります。ご存じではありませんか?」

「魔王の、息子だと……」

「はい。そちらの方が、プリン艇団としては箔が付くから、そう名乗るようにと頭目からお願いされたんですけど。個人的には、ちょっと」

「あ、貴方が……。彼の、邪神の軍師役を担っていた……魔王の息子」

「はあ。結構、未だにそちらの評判も健在なんですねぇ。少々、心外なんですけど。うーん。世間では、一体、紅の魔道士と魔王の息子、どちらが浸透しているんでしょうねぇ」

 カルスにとっては、わりと悩ましい問題でもあった。魔王の息子として、悪行を重ねていたのは、もうかれこれ七年以上前の話。しかもリドール神の呪縛から解放されてからは、大地の神として、悪神討伐に加わったり、輝星剣士の魔法指南役をやっていたり、しっかりと善行為に励んではいる。又、自分世界では、世界最高峰の魔法学院の生徒の面倒をみたり、故郷の村で医者をやっている父の手助けやら、依頼を受けての人助け、成り行き上の補助に介助に、結構、忙しく人の為に働いている。それを彼自身は苦に思う事は無いが、問題は自分の以前の悪評が、それをスムーズにさせてくれない事が時々起こるのだ。

 確かに魔王の息子、と呼ばれていた頃は、本当に口に出したくないほどの悪行を重ねていた。人殺しも、集落や村、街どころか、都の一つも滅ぼした事もあった。だから、敵討ちや恨みを晴らそうと現われる者も未だにいる。又、その悪評で信頼されない事も多々あって、それが仇となり善行を妨げる事もある。

 しかし彼はそれも自分に課せられている贖いと考え、しっかり受け止めている。けれど、ここぞという時に、それが妨げになることもある為、正直、口惜しいと思う事あった。今が大地の神を負っている身であるがゆえ、それを強く思う時もある。

「自分で蒔いた種、とは言え、本当に困ることあるのです。しかしそれこそ因果応報、というものなのでしょうね」

 できれば、助けたい生命は救いたい。それが自分の過去の悪行によって、救いたい他者へそれが出来ず、むしろ、不幸に見舞われてしまうことだけは避けたかった。

 なので、今回の「悪党」をするという事は些か抵抗があった。いくら人命救助の為と言え……。

「貴様のような真なる悪を討てば、我らが目指す〝安息の楽園〟への道は更に大きく啓けるというもの。正義の為に命を散らした二人の思いも報われるというもの」

「私が真なる悪、なのですか?」

「そうだ。多くの生命を無下にし、苦しみをこの世に呼んだ災厄である魔王の息子っ」

「申し訳ありません」

 返す言葉も、申開く事も、出来なかった。たしかに多くの命は、自分を前にして、恐怖を感じ、自分が行った残酷な拷問に酷く怯え、苦悶しただろう。

「……では。そのように、私の所業を嗜め、大勢の生命に対して悔い改めろ、とおっしゃる正しき方には。貴方の信ずるよき心に対し、最大限の敬意を払いましょうね」

 カルスは愛用の三色宝玉杖(白・ピンク・緑)を高らかに掲げると。

「出でよ、我が友」

 と、空を仰ぎ、それなりに大きな声で呼び掛けた。

 すると杖の三つの宝玉が黄金色の強い光をピカピカっと放った。カルスはその杖を、くるん、くるん、くるんと三回まわした後、自分の目の前にそれを振り下ろす。その杖の先端から、黄金の光が彼の一メートル前辺りまで帯のように伸び、さらにその光が留まって球体のようになっていく。そして、球体は輪郭をぼやかしながら、どんどんと大きくなってゆき、中心にはいつの間にか人影が浮かんでいた。

「何をしたんだ……」

「もう少しで分かりますよ」

 黒衣の女性は怪訝な表情で、黄金の光の中で姿かたちを現わす人物を見つめていた。

 一方のカルスは「こちらの人も、まあ、あまり喚びたい訳ではない人なんですけど」と、ため息を吐いた。

「……おや? ここは、一体、何所なんだい?」

 物腰の柔らかい声が光の中から聞かれた。その光も次第に収まってゆき、代わりに、完全に姿が現われた人物の、周囲の様子をきょろきょろとうかがう動作が露わになった。

「レゼッタ君、こんばんは。お久しぶりです」

「おや? カルス君じゃないか。ごきげんよう。どうしてこんな所に居るんだい?」

「はあ。私が貴方をお喚びしたから、貴方がここに居るんです。分かりますか?」

「そうだったのか。誰かに喚び出されているな、と思ったら、君だったのかあ」

 白い照明に照らされながら、喚び出された人物は「うん、本当に久しぶりだね」と、声同様に柔らかな微笑みを向けた。しかしその笑顔は、相当な整った顔に浮かんでいた。一つひとつを細かく、且つ、出来る限り丁寧に仕上げた、この世に一つとして無いガラス細工のような目鼻立ち。まつ毛から紫色の瞳まで、絶対的な才能で創り上げられた見る者を圧倒する美麗な顔。そんな美しい人には当然、艶やかな髪が有され、瞳と同じ紫色の長いものが肩の辺りで白いリボンで結わえてあった。今は雨に打たれ、いつもの柔らかな質感は見られないものの、水に晒され絹織物のように艶光りをしている。そんな彼には、お誂え向きに真っ白な詰襟の上着にズボン、そして白いマントが着用されていた。

 そんな彼から「君も元気だったかい?」と、問われたのでカルスも「はい。とても元気です」と返事をした。

「それならよかったよ。僕もね、毎日を楽しく穏やかに過ごさせてもらっているんだ。あ、それから三代目も元気かな」

「はい。すこぶる元気です」

「うーん。それなら、とても良かったよ。僕は、彼女をどんなに心配しても、考えても、会いに行ってはいけないし、妖力を使って彼女を見守ってもいけないと、周りから色々反対されているからね。君だけが頼りだよ」

「はあ」

 レゼッタ・ガレジィートェの容姿は確かに美しい。この世の者とは思えないほどに美し過ぎる。が、それに比例するかの如く、考え方や感性も、この世の者とは思えないほどに不可思議な部分があった。

「本当は彼女をすぐにでも、もう、僕の手元に置いて見守っていたいくらいなんだ。そうすれば、どんな悪漢からも守れるし、彼女の幸せをすぐに叶えてあげられる。でも、それは彼女の為にならないと言われてしまうんだ」

「まあ、貴方の場合は手元に置く、それはすなわち部屋に閉じ込め、その上、身動きできないように椅子に括りつけるという、一般的に監禁というものですし。彼女の幸せをすぐに叶えるというのも、彼女が金の延べ棒を欲しがったら山のような金塊を喚び出し、お金が欲しいと言ったらニッポン銀行券のユキチ・フクザワのサツタバを滝のように彼女の元に降らせるという、言いなりっぷりですからねぇ。こちらの人間界の経済を省みない、すなわち、こちらの世界を混乱に陥らせ滅ぼしかねないような。そんな甘やかしっぷりですから」

「だからせめて、僕の妖力で彼女を遠くからでも見守りたいと思って」

「千里眼的な妖術で、彼女を四六時中監視しているのは、最早、デジタルを駆使した最先端のストーカー以上の手口です。そこまでされると、何事にも大らかで、大概の事を気にしない朗らかな彼女も、さすがに〝あのレゼッタ・ガレジィートェって人、あたしの何もかもを見てるみたいで、めっちゃ怖いーっ〟と音を上げていましたから。これはもう、完全にこちらの世界では犯罪者、ストーカーというものです。その中でもストーカー規制法において、重度の、特に危険人物に認定されるレベルです」

「うーん。そういうものなのかい?」

「そういうものなのです」

「難しいね、人間界の決まりは。愛情の表現は個人に任されるべきじゃないのかい?」

「はあ。普通はそうなんですけど。貴方の場合は感覚そのものが、愛する人、対象者とずれている、及び、文化と環境も違い過ぎる、と言うべきか……? いえいえ。これだと、妖魔の皆さん全てが恋人を監禁している文化、という言い方になってしまいますねぇ」

 カルスも自分の発言に、表情が険しくなり、首も傾げた。そう。自分は結構な、難問、奇問に対して、スラスラと回答が出せるタイプだと思っているのだが。このオトモダチである妖魔界の人に関しては、出会った頃から不可解で不可思議なものが多いな、と思っていた。そして、仲良くなるにつれて、「レゼッタ君は、何事にも度を超えている。容姿だけではなく、それに比例して考え方も感性も然り」と、自分なりの結論へ達したのだった。

「いえ。しかし、今はその発言こそが〝白き妖魔〟を再び彷彿させてくれると言いますか。私の〝魔王の息子〟と相乗効果をなすと言いますか。イイ感じです」

「ん? どういう事だい?」

 何も分かっていないレゼッタ・ガレジィートェも不思議そうに首を傾げた。

 だが、カルスの方はニコリと微笑んで、正面を見た。視線の先。そこには、恐怖の表情が張り付いている黒衣の女性が愕然と宙に浮いていた。その様子は、完全に戦意喪失。むしろ、動けなくなってしまったから、仕方なくそこに留まざるを得ない、という状態に見えた。

 つまり、これこそが未だ世間が思う、カルスとそのオトモダチの人に対する評価。と、いうこと。

夜送舟艇のプリン艇団 第6章の挿絵

「はあ。とてもがっかりな結果です」

「どうしたんだい? 君ががっかりするなんて珍しいね。何でも器用にこなす君でも、上手くゆかない事があるとでも言うのかい?」

「いえ。目の前の方を見てください。明らかに、我々を見て怯えているじゃないですか」

「ん? そうなのかい」

 レゼッタ・ガレジィートェもカルスと同じ方を見た。

「確かにとても恐ろしいモノを見た時のような顔をしているね。顔が強張っている。何を見たんだろう」

「多分、私達を見たからだと思います」

「ええーっ。そ、そんな。そうなのかい?」

 驚愕しているレゼッタ・ガレジィートェの様子に対して、カルスは「レゼッタ君は相変わらずの反応ですね」と、これと言って不審には感じなかった。けれど、正面の人物にとっては、今が逃げ出すための最後のチャンス、のように思えているはず。カルスもそれを狙ってオトモダチを召喚した。しかし。

「曾て、多くの命を残虐な方法で奪っていった究極の悪、魔王の息子。そして我ら妖魔族の最強にして最大の裏切り者である、白き妖魔。この両者に様々な命の苦痛な叫びを、ワタシがここで、一太刀でも与える事が出来れば。少しでも……苦しんで逝った命の叫びを思い知らせる事が出来る」

 又は、決死の覚悟を奮い立たせる僅かな時間、と考えるかも知れない。

 どうやら目の前の女性は、後者のタイプだった。


『①ワタシは正義の味方 → ②悪者発見 → ③負けちゃうかも知れない → ④でも悪者は許せない → ⑤みんなも悪者は許せない → ⑥ならば、みんなの為にやっつけよう』


 どうせなら③あたりで④‐2『死にたくないから逃げよう』と考えが浮かび、単純に自分の命を大事に思ってくれる人であって欲しかった。もしくは⑤のあたりでも然り。『でも、死にたくないから逃げよう』。最悪⑥まで到達しても、⑥‐2『そうは思っていても、あの二人は本当に強くて誰も倒せない。だから今あの二人はこの世に存在している。そして自分も、おそらくやっつける事は無理だろう。ならばやっぱり自分の命くらいは大切にしよう』と、ちゃんと考え、結論を出して欲しかった。

 しかし目の前の黒衣の女性は、改めて細身の剣を両手でグッと握り構えた。完全に覚悟の態勢だった。

「困りましたねぇ。私の目算では、貴方をお呼びすれば、大抵の者は逃げ出してくれると思ったのです。しかし見当違いでした」

「そ、そうなのかい? 僕には話が見えないけど、でもカルス君。あの、今にも斬って掛かってこようとしているのは、妖魔の子じゃないかな。どうしてプリン艇団に手向かおうとしているんだろう」

「はあ。まあ、そうかも知れませんが」

「やっぱり。でも、妖魔界は今、天上界のランベルセ公爵が率いる悪の一団に城を落とされて、降伏したんだよ。だからもしも逆らったら、妖魔は虐殺されてしまうって、話になったんじゃないかな……?」

「はあ。それは頭目さんが自分で言い出していましたけど。けれど、後々、我々のような〝困った評判〟が広がらないとも限りません。もう、遅いかも知れませんが」

 しかし、まあ。今回の件に関しては、最後に事の真相が露わになれば評判は急上昇。と、なるはず。だからカルスは手を貸しているとも言えた。汚名返上。名誉挽回。その言葉の下に動いている部分もある。

「レゼッタ君。しかし敵になっている同族を、ただやっつけてしまう訳にはいきませんでしょう」

「勿論だよ。どうやら、僕たちがまだ昔のようなをしている、と勘違いをしているようだけど。今は、悪党と手を組んでいるように見せかけて、本当はこちらが誘拐された人を助け出そうとしている、正義の味方なんだよ。ああ、それを同じ妖魔の子に誤解されているなんて悲しい事だけど」

「ま、まあ。あの、何でも良いですけど、こちらの手の内をペラペラと話さないで欲しいのですが」

「ん? 何か悪い事をしたかい?」

「うーん。そこまでレゼッタ君はおバカさんではありませんよ、ゼンルさん」

「そうかな」

「そうです。やり過ぎです」

「――はんっ。こンぐらいでいいんですよ、あーゆーイカれた奴の演芸は」

「無闇に正体も現さないで欲しいものなのですけど」

「ゴッチャゴチャうっさいねぇ~」

 穏やか、且つ、軽やかで優雅な貴公子は、その美しい紫の瞳にギラッと強い光を閃かせた。同時に、眉も、目尻も吊り上がる。見た目の麗しさは変わらない。だが、彼の事を知っている者ならば、信じられないと思えるほどの闘気が漲っていた。上品で、綺麗な妖魔界の高貴なお方に、実はこんな猛々しい覇気が隠れていたなんて、と腰を抜かすかも知れない。

 しかし貴公子は、そのまま構わず右手に長い棒を喚んだ。光に包まれ現れたそれは、純白の長い柄、先端には白金色の三叉に分かれた鋭い鉾を有した槍だった。

「こりゃ亭主の母ちゃんが振っていた、天界で最強の槍だよ。だから、ウチの宿六は子どもン頃から、その母ちゃんからみっちり槍術を叩き込まれてるンですぜ」

「はあ。そうなのですか。私はあのキラキラさんを天使さん同様、剣士かと思っていました」

「ま、器用なヤツだから。剣も神術も、そこそこ一流並みなんだよ。でもね。こういうモンを振って立ち回らせたら……」

 妖魔の貴公子は一瞬、ニッと不敵な笑みを浮かべると、

「今度は負ける気はしないよ」

 彼自身が黄金色に輝くと、その姿が変化をする。ウェーブのゆるく掛かった黄金の長い髪を、背中の真ん中辺りで黒いリボンで結び、漆黒のマントに同色の長い裾の上着とズボン、ロングブーツを身に着けた気高い人物になった。

「お前は天上の慈悲……」

 目の前で繰り広げられた様々な事に気を取られていた黒衣の女は、更なる衝撃的な展開に、最早、呆気にとられるしかない様子だった。言葉も、レゼッタ・ガレジィートェが現われた時以上に、掠れている。

「僕は、確かに天上の慈悲と皆から言われている。でも。僕が唯一、心から愛している大事な人が攫われてしまった今。僕の慈悲は、天上からも、この地上からも、あらゆるすべての場所から消え去った。僕が彼女の為に、無慈悲になるよ」

 気高い人物――アレクサンドロス・ウォルシオム侯爵――は白金の槍を前方へ向けた。顔は少し歪んで、暗い影が落ちている。ひと目で悲しみを湛えているのが分かる表情だった。

「白き妖魔の姿を現せば、敵となっている者のほとんどが逃げてゆくであろう。と、大地の神が穏便に済ませられる方法を出してくれたけれど。アナタには通じはしなかったようだね、妖魔の人」

「ワ、ワタシはどんな悪にも屈するつもりは無いっ。貴方のような方も、所詮は女に酔い痴れ、全ての生命を慈しむ事が出来ないものか。憐れな」

「憐れ……。そうかも知れない。今の僕は、とても憐れな男だよ。僕の大事なプレンティスを奪い取られてしまったんだからね。だから。もう。彼女を取り戻す事しか考えられない愚かな男さ」

 そして彼は、表情とは裏腹に、手に握った槍を横一線にサッと空を斬り割いた。と、同時に鉾先から炎の弾がいくつか生まれ「まして彼女を傷つける不逞な者は、許すことなどできないよ」と、炎を次々と撃ち放つ。

 それから、彼自身、炎に続き、敵とみなした者の下へと槍を携え、前へ飛ぶ。

「困りますねぇ。変化の術が甘くなってますよ」

 残されたカルスは小さくため息を吐く。飛び出して行った人物は、明らかに、先程のレゼッタ・ガレジィートェがさせていた目尻を吊り上げ、眉毛も吊った怒り顔。貴公子にしろ、天上の優雅な人にしろ、絶対にしない顔を術者は作った。そんな表情の自分を見た日には、これまた今までした事の無いような表情で驚くに違いない。

「しかしまあ。伴侶が囚われてしまったのですから、無理もありませんね」

 彼もまた、杖を携えアレックスの後に続く。

「しかし、あれでは彼がやり過ぎないように、配慮が必要ですねぇ」

 カルスはやや表情を引き締めた。風雨が激しい中だったので、空を飛翔するのは人間にとって不利だった。明かりを灯したのは、視界を少しでも晴らす為。それとレゼッタ・ガレジィートェの姿を鮮烈に見せつける為。そうすれば、敵も怖気づき、己の拠点へと逃げ出すかと思った。しかしその策については失敗だった。

 少なくとも、目の前で豪快にやりを振っている高貴な人物に対して、互角に剣を振るっている敵側の黒衣の女性には、逃亡の選択が無いほどの強い「何か」を信条に据え、こちらへ挑んでいると考えられた。

 そう。彼女も然ることながら、そもそも、天界執行役の上役を攫い、生命の魂を大量輸送できる夜送舟艇を手に入れようと、敵側はしている。その目的は謎が多かった。

 だが、先程、黒衣の女性と言葉を交わす事で、敵としている者達は「我こそが正義」という事が動機のようだった。しかし具体的な、誰、又は、何、に対しての反発なのかは分からない。ただ、カルスやレゼッタ・ガレジィートェの過去に犯した悪行に対しては、相当な拒否反応と恐れを抱いている。まあ、殆どの生命ならば、拒否や嫌悪は抱く。しかしだからといって、自分が倒してやる、とまでは思わない。一般的には、殺される確率の方が、正義を示すより、数億倍高いと思うからだ。

 しかし、それ以上に武器を取る行為に出る場合、考えられるのは二つ。ひとつは「敵討ち」。肉親や恋人、恩人などがカルスたちに殺された場合である。だがこれに関しては、そういう個人的な恨みで話を全くしていない。むしろ、槍を持って、もの凄い形相で相手に技を振るっている彼女(彼)の方が、今の状況、そちらに近い。

 だから黒衣の女が突き動かされている動機は、考えられるもう一つの理由。

「虚空の誘惑された末路、ですね」

 日常的に鬱屈し、しかし、己の命が脅かされるほどの状況では無い。ただただ、閑なだけ。心が。そこへ、強い衝撃を与え、心を震わせる「言葉」、「魅力」を放つ者が現われたとして。更にそんな存在から「アナタが必要」と、そっと語りかけられたら。素晴らしい「言葉」遣いの紡ぎ出す響きと、堂々とした覇者のような「魅力」を醸す、大人物に己が存在を受け入れられてしまったら。心に齎された「承認」の快感に、いつの間にか酔い痴れて、うつつを抜かす。このような人から、自分は頼られて、受け入れられて、必要とされている。なんと自分は幸いなことか。

 特に女性は、一旦、心許すと最後まで裏切らない。情と母性、未練がある。だから、恋人でも、兵器でも、何にでもなる。性である。

「と、以前のレゼッタ君が言ってました」

 以前に悪行を大変積み重ねていた頃。自分がまだ、人間を食材にして無邪気に料理をしていた十代半ば辺りに聞かされた言葉。その頃は言われても「そういうものなのですか?」と、自分の中でピンとこなかった。が、八〇〇年以上も生きている、そして強くて、格好も良く、なにしろ頭の切れる白き妖魔、と映っていた彼が言ったので、露も疑わず、含蓄のあるすごい事なのだろう、とカルスは思ったのだった。

 そして大人になるにつれ、レゼッタ・ガレジィートェがあんなのなんだ、と現実が見えた今でも、過去に彼が言っていた数々の名言だけは間違ってはいない、と沢山の確証は得ていた。

 おそらく目の前の妖魔の女も、何らかの要因で、正義に突き動かされる状態へと吹き込まれたのだろう。その要因が何であるかは現段階では分からない。そして、それを知ったからと言っても、大したことでは無いと思われるので、カルス自身は関心は無かった。ただし、事件解決の為に、敵側の目的をそこから引っ張り出せるのではないか、とは思っていた。