YASOU SHUUTEI NO PURIN TEIDAN

夜送舟艇のプリン艇団

TEXT ONLY EDITION

榛名 暒

読書位置は、この端末に自動保存されます。

初回掲載2026年9月4日

第2章

(二)


 ジリジリと照りつける太陽からの陽射し。人世は午前中から暑さの真っただ中にあった。
 ランベルセは地上から遥か高い上空に翼をはためかせて留まっていた。今日は雲一つない良く晴れた日だった。降り立ったのは人世であり、ニホン国天川市上空だった。
 彼は術を使って細い筒状の棒を喚び出した。それは筒の両端に透明な結界の板が張ってある。人間界で言えば望遠拡大鏡だった。彼はそれを通し眼下を覗き込んだ。
「今日はこちらにおいでのはず」
 体勢を北の方位へと変えて筒の中を凝らしてみた。透明な板越しに、庭に大きな桜の木のある一軒家が映った。そして桜の木の下辺りで木刀を振るう女性と、その傍でコップの乗ったトレイを持った綺麗な容姿をした青年が佇んでいた。
 彼はそれが確認できると望遠鏡を術で消し、その方角へと飛び去った。


「もう。どうしてリムズはあたしだけ素振り一〇〇〇回を強要して、自分はユルーナさんと海水浴に行っちゃったの? ズルくなーいっ!?」
「それは主様が一日一〇〇回の素振りを一〇日間サボったから、そのツケが回ってきただけですよ。一〇〇×一〇は一〇〇〇に間違いはありません」
「えーっ。そんな計算は要らないのにーっ。あたしも海行きたいっ。波でザッパン、浮き輪でプカプカしたいよーっ」
「いけません。お遊びはメニューをこなしてからです。私だって主様がちゃんとやらないからリムズさんに〝カルスは御方の見張りなっ。御方が一〇〇〇回素振ったらクジュウクリで待ってるぜ〟と言われてしまったんですよ。しっかりしてください」
「もーっ。なんでこんな目に~~」
 そんな会話をしてる場所へ降りたっても大丈夫なのか。正直ランベルセは不安だった。本当に平気なの? と。
「おや? しかしクジュウクリへ行くことは簡単に出来ないかも知れませんね」
「あーっ天使キターー」
 多少の不安、もしくは不満を抱きつつランベルセは天上界の姿でそのまま若い女性と綺麗な青年の元へ舞い降りた。
「ご無沙汰しております、大地の神。三代目輝星剣士」
 そして頭を下げた。
 桜の木の木陰で木刀を持っている女性は「こんにちはー」と元気よく挨拶をし、一方の青年は「こんにちは、風のお使いの方。お元気ですか」とにこやかな顔でこちらを気遣ってくれる。ランベルセはそれに対して「皆さまも御健勝の事お慶び申し上げます」と、さらに礼を述べ頭を上げた。
 彼の目の前に立つ二人。一人は量販店で売られているTシャツにハーフパンツ姿をした黒髪のハツラツとした若い女性。もう一人は本当に綺麗な容姿をした知的でややシニカルな印象の青年だった。青年の方は灰色がかった髪色に白いシャツとグレーのスラックスを身につけている。その上にヒヨコのイラストが描かれたピンクのエプロンを着けていた。しかもそれが良く似合っている。
「ところで今日はどうしたんですか~。こんな田舎に」
「聞くに及ばず、また風神さんの無理難題を処理する面倒事の為にやってきたのでしょうか」
「もうカルスったら。天界王様は天界の王様だけあってエライんだから、そーゆーふうにイヤミったらしく言っちゃダメだよ。わかってないな~」
「主様の方が分かってないと思われますが」
「もうカルスったら。誰、彼、構わずイヤミったらし~」
「本当の事を言ったまでですけど」
 笑いながら怒るという器用なマネが出来る女性。見た目は平べったい顔にコロコロとした感じのパンダのような愛嬌がある人で、かなり多くの生命から好かれ愛されている。
 だが彼女こそが悪神を倒せる力の持ち主で、貴き神というか、ランベルセの主である天界王から「輝星剣士」という称号と特別な力を賜った三代目の人間で朝倉奏といった。現在は都内の大学に通っている三年生で、しかし夏期長期休暇のために実家である天川市へと帰省中だった。
「しかしせっかく来ていただいて申し訳ないのですが。ただいま主様はサボった分の特訓を進めている最中なのです。お力添え出来ないかも知れませんよ」
 そして綺麗な青年の方。人に言わせると氷の女神、と称されるほど落ち着き払った美しい姿をしている。だが現在の姿ではそうに見えない。それもそのはずで、彼はこの人間界の出身ではない。もう一つ存在している人間界である所のにん裏界りかいからやって来ている魔道士だった。
 そして人間の魔道士ではあるが、その有する魔力が甚大な為、ランベルセの主同様に六源神の大地の神を拝命している特別な人間だった。そんな彼でも過去に大変な窮地に陥り、それを救済してくれたのが三代目輝星剣士だった。彼、紅の魔道士と異称を取るカルスは、その時から朝倉奏に対して大変な恩を感じ、それに報いる為、彼女が大幅な自由時間が取れる時期になると魔法訓練のためにこうして人世へとやってくるのだった。たしか今年でもう五年になると主の風神から聞いている。
「私の方こそ突然の来訪申し訳ございません。しかしお手間やご迷惑を掛けるつもりはありません。本日は我が主、天界王の使いでやってきたのではございませんので。私個人が少々お伺いしたい事がございます」
 ランベルセも彼らとは三代目輝星剣士が数年前に悪神と戦いを挑んだ折、加勢する機会があった。その時以来、何度か顔を合わせていた。互いに同じ敵と戦う宿業があるため、それに関わる事で往来があったりする。事に触れて大地の神とは風神を介し面会する機会がたびたびあった。
 それに三代目輝星剣士に至っては天界執行役たちと交流がある。特に現在所在不明となっているプレンティスや、彼女の部下のマリアンヌなどとは、なぜか個人的に親しく付き合いがあるという。と、いうより朝倉奏が執行役達から大変に好かれ、死神の素質があるなどとも言われているほど。ランベルセの知らない所でかなり親交が厚いようだった。
「え? なになに? 天使さんは何か聞きたい事があるんですか?」
「一体どのようなことでしょう」
 三代目は興味津々の表情でランベルセを見る。一方の大地の神も不思議そうな顔をした。
「はい。この数日の間、人世において人間以外の波動を感じたことなどはございませんでしたか」
 この時期である意味幸運だった。三代目輝星剣士、朝倉奏が夏休みに入っているお陰で大地の神もこの人間界にいる。プレンティスは人間界で消えたという。しかも彼女はケガを負っているという話。ということは、そうなるに至るまでは少なからず人間界で彼女が神力を使い応戦したと思われる。そんな神力が何かとぶつかれば痕跡が残るはず。まずはそれを足掛かりに調べていくしかなかった。
「人間以外のハドウ? ってどういう意味?」
「波動とは字の如く。波のような動きのことですよ、主様」
「波の動き? 人間の波ってこと?」
「そうではなく、この場合は簡単に言うと、人間以外の力の流れなどを感じなかったかということでしょうか」
「ふーん。なんだ。それなら感じたよね、三日くらい前に」
「ええ、確かに。一昨日の夜でしたでしょうか」
「そうそう。雨が降ってて、リムズが〝雨の中でこそ剣士としての精神が鍛えられる〟とか言って剣持って外に出て行こうとしたのをユルーナさんが止めたんだよね。で、その時、雷も鳴って……」
「はい。更にリムズさんは〝雷鳴がオレを呼んでるぜ〟などとおっしゃって、ますます元気にお出かけしようとしたからユルーナさんの雷が落ちました。そして停電になった。その直後でしたねぇ。近くで大きな雷鳴と共に轟音が響きました。その時に大きな神力のようなものも感じたんですよね」
「そうそう、ビックリしたよね~。だから何事かって、やっぱりリムズが出て行っちゃって。でも近くのケータイ基地局の鉄塔に雷が落ちちゃっただけみたい。お陰でこの地域のスマホの電波が微弱になっちゃってるんだけど」
 そう言って三代目は自分のケイタイ電話を見せてくれた。その画面のアンテナは確かに一本立つか圏外になるかの不安定になっていた。
「そうですか。ではその際に感じた神力というもの。お分かりになる範囲で構いませんので、どのような特徴があったか。覚えていらっしゃったら教えていただけませんか」
 しかし雷と一緒に神力の気配を感じた、というにも拘らず。こちらの二人はさして慌てても驚いてもいない様子だった。いや、雷の音や威力に三代目は興奮しているようだが、しかしそれはランベルセの疑惑が持った部分とは少し違う。まさか人間界であっても、神力が頻繁に感じる事があり珍しい事ではないのだろうか……?
「えー。神力のとくちょー? そんなのあった?」
「そうですねぇ。あの日は夕刻に雨が降り出したら、あっという間に豪雨となり、それからすぐに大きな雷鳴が轟きました。しかしそれに対して不自然な点はありませんでした。この世界、地球の大気による自然現象でしたので。久々に自然の驚異というものを感じたくらいです」
「だよねー。ゲリラ豪雨どころじゃなくて、ナイアガラの滝だったもんね」

「はあ。ないあがら、というのがどういったものかは分かりませんが」
「ふっふーん。おっくれてるねぇ~スゴイ魔道士のわりに」
「はあ。まったくもって関係無いと思いますが」
 どうやら二人は気象状況の方があまりに強烈だった為、そちらが記憶に残っているようだった。
「では神力の事についてはあまり印象が無かったのでしょうか」
「あたしは特に」
「そんな事はありませんよ。あの力はおそらくゼンルさんでしょうね」
「ええっ!? そうだったのーっ!!」
「はい」
「な、ななんでカルスには分かるのっ!?」
「それは私がスゴイ魔道士だからですよ。ないあがら、というものを知らなくても。神力の識別くらいは出来ます」
「えーーっ。じゃあなんでその時に言ってくれなかったの!!」
「そんな事を言ってしまったら、主様は好奇心に駆られてリムズさんと一緒に豪雨の中へ飛び出して行くでしょう? リムズさんだけでも止める事が出来ずにユルーナさんはカンカンでした。そこに主様まで加わったら面倒が倍。更にゼンルさんなんかに関わってしまったらその一〇倍は苦労をする。目に見えて分かっていたので黙っていました」
「ひっどーい。あたしがいつカルスに面倒を掛けたっていうのさっ。それにゼンルが居たからって、あたしだって安易に近づきませんよーだ。だって、ゼンルってばすぐにあたしの頭を鎌の柄でポカって殴るんだモン。もう、鬼上司だね、あれは」
 何という事なのだろうか。大地の神はプレンティスが人世にいた事を知っていた。だがそれを放っておいたという。
「でもなんでゼンルがこんな所に居たんだろうね」
「わかりません。しかし夏場は幽霊さんたちも多く行き交う、というお話でしょう? あの方はそういった事に関わるお仕事をされている訳ですから。お忙しいのでは」
「そっかー。きっと魂を食べようとした物の怪とかを追っ払おうとしたんだろうね」
 なるほど。二人の認識は確かに間違いはない。プレンティスの本来の職務はか弱き死者の御霊を天上へ連れて逝くことにある。そこで起こる厄介な案件を処理する特殊行動班に属しているのが彼女だった。まあ、大地の神が取り立てて言わなかったのも〝死神が神力を使っても不思議はない。むしろ近くにプレンティスが居ることをしゃべる方が面倒になる〟という判断によるもの。一方、輝星剣士の三代目は神力を感じた事にはさして問題意識が低い(関心が無い?)ようだった。しかしこれがプレンティスだ、というと話が別になってしまうらしい。と、いうか。知人が近くまでやって来ているなら関心が向くのは当然だろう。
 だが大地の神としては三代目がプレンティスに近づく事を快くは思っていない。その辺は何度となくこの方と接する機会があり、雰囲気で分かるようになった。死神と三代目輝星剣士が一緒になると、確かに面倒事や厄介事、いつしか事件がこじれて大きくなってしまう。そんな事が一度や二度ではなかった。そう主である風の神から聞かされている。
「そうですか。二日前の晩にプレンティスの力を。確かこちらの風習ではそろそろ旧盆がやってきますね。そして里へと帰ろうとする死者の魂が地上へやってくる。それに乗じて彼らを餌として狙う物の怪・深蓮水蓮も現れる。彼女たちの班はそれらの退治を請け負っていますから」
 ランベルセは話の流れから、それに合わせる形の会話をした。人間界ではこの時期、真夏の盛りだった。現在は七月三〇日。通常この頃になると、旧盆という文化風習の特例で死者の魂が一時帰省が許される場合がある。プレンティスたち特殊行動班はそれらの魂たちを影で見守っている。そして彼らを狙う怪物が現われた場合には武力を持って対処していた。
 その事情は大地の神も三代目も知っているらしく、だからこそプレンティスが神術を使った事にも不信感を抱かなかったようだ。
「では彼女の他に、何か気になる力などは感じられませんでしたか?」
「そうですねぇ。ゼンルさん以外では……特に」
「リムズも強い力を感じて出て行ったけど、行った時にはもう誰も何もいなかったって言ってたよね?」
「はい。掛けつけたら大きなテットウが黒焦げになってシューシュー音を出していた。その後すぐにショウボウシャという赤い車とぱとかーという車がやって来て、大騒ぎになったとおっしゃってましたね」
「なるほど……」
 と、いうことは。プレンティスのみが大きな神力を使ったという事は、相手が不意を突いたのだろう。彼女の戦闘能力は非常に高い。だからこそ風の傍仕えでもある。そんな彼女に正面から挑むものはそうそういない。本来ならば人質にするリスクが高すぎる。それでもプレンティスを連れ去りたいとあらば、もはや彼女の不意を突いて、または彼女を大人しくさせる為の人質を取るといった方法しかないだろう。
「あ。でもさ。そう言われてみると、雷が鳴った時に二回目と三回目は普通のやつとはちょっと違ってた気がする。音が異常に大きくて普通はバリバリッっていうけど、メリメリッっていった……そうっ。それこそ地面が揺れるくらいの奴だったよっ」
「そうですね。おそらくそれがゼンルさんの術だったと思われます。結構、強い物の怪と戦っていらっしゃったんですかね」
「耳がぶっ飛びそうな音だったよね~」
 そこまでの術を彼女が放ったというのか。しかも相手はそれをかわすなり、無効にするなり、威力を軽減させられたというのだろうか。
「天使さんはその雷の調査に来たの?」
「いえ。雷かどうかというより、地上において異常と思われる力について調査をしているのです。しかし天界執行役が物の怪退治に使用した神術であれば異常ではなく通常。しかしそれほどの轟音を鳴り響かせるとあらば、一応調査の為に現場へ行ってみようと思います」
「そうなの? うーんとね、ケータイ基地局の鉄塔は水沢山の麓にあるよ」
「そうですか。ありがとうございます」
 この場所からやや西にある森と隣接している山だったはず。人家も無ければ、その一角に緑地高原と仏閣があるような自然が広がっている場所だと記憶している。
「しかし風のお傍仕えさん。それならば直接、ゼンルさんにお聞きすれば良いのではありませんか?」
「はあ。そうしたいのはやまやまなのですが、彼女は特殊班として天上にいないのです。彼女が居れば私もこうして地上まで出向き、皆様のお手を煩わすこともなかったのですが……申し訳ありません」
「いえいえ。嗜めている訳ではないんです。と、いいますか。貴方は本当に貧乏籤を引いてしまう人ですね」
「はあ」
 大地の神は鋭いのか三代目輝星剣士が言う通りただのイヤミな人なのかは分からない。しかし内心ランベルセは、ちょっと自分の父のような人だな、と思った。
「では皆様。貴重な時間にお邪魔を致しました。ご協力大変感謝します」
 そして長居をするとロクな事にはならないと直感した。いつボロを出すか自分が不安だった。ランベルセは二人に向けて深々と頭を下げるとササッと夏空の下へと飛び立った。


「しかしそうなると……」
 彼は青空で翼をはためかせながら西の方へ向け飛んだ。
 先程の二人の話からするとプレンティスが襲われたのは二日前の夜。しかも応戦したらしい。神術を使った主が彼女であるということは大地の神の証言によって間違いないと思われる。
 だが、誰に対して、という所までは具体的に分からなかった。そこをもう少し詳しく根掘り葉掘り聞き出したいところではあった。しかし大地の神を相手に誤魔化しなどは通用しない。何かを隠しながら話を聞き出すのは至難の技。下手な小細工をしていると、あっという間に嘘が露見してしまう。そうなる前に引き上げなければならない相手でもあった。ここはとにかく次の手掛かりとなる雷が落ちたという現場へ行ってみるしかない。

 ランベルセは眩しい日光を手で遮りながら少しスピードを上げ飛び続けた。
 それから程なくすると人家やコンビニエンスストアーなども無くなり、眼下には深い緑の森が広がってきた。
「あれか」
 そして濃い緑の山の麓にぽっかりと出来た窪みが見えた。彼はそこを目指しながら段々と高度を下げていく。それからもう一度望遠拡大鏡を喚び出しそれを覗き込む。
「かなり損壊しているな」
 近づくにつれ思った以上の状況が見えてきた。携帯電話の基地局とされる鉄塔は真っ黒に煤け、土台から一、二メートル辺りでぽきりと折れている。その先の部分は脇に転がっていた。更にその鉄塔が立っていた所を中心に半径五メートルの針葉樹林が軒並み燃やされ、根元を残して焼き尽くされていた。地面の草花も同様に焼かれ焦土と化していた。更にその上にはオレンジ色のショベルカーやダンプカーなど数台の工事車両もあった。
 ランベルセは森の窪地まで着くと、一旦高度を少し上げ、上空を旋回して全体を見渡した。金属の頑丈な塔を倒し丈夫な木々を燃やし尽くしている。そんな事が出来るのは、やはり大地の神や三代目輝星剣士が言った通り大きな神力が使われたから。プレンティスならばこれくらいの事は出来る。
 それから心を沈め周囲の様子に集中した。合わせて感能力を高めると光の神を源にした神力が微かに残っているのが分かる。これはプレンティスのものに違いなかった。彼女は光の神の娘でもある。その為、彼女の神力は光の力を強く影響し、その上、浄められた神聖さも宿っている。
 しかし不思議な事に彼女の神力以外はまるで感じられない。あとは森の木々やそこに住んでいる生命らの気配のみ。
 彼は上空から観察出来る事を終えると、ゆっくり地上へ舞い降りた。途中、人の目には映らないように術を掛け、焦土と無事である部分の境目に降り立った。
「なんだ……?」
 地面に着地をしたのとほぼ同時くらいだった。周囲に異様な空気が流れ込んできた。少し湿り気があるようなじっとりとした生暖かで粘りのある風。丁度、真夏の雨上がりの湿度が異様に高い状態に近い。しかしそれを感じるのはランベルセが人間に変化をし、地上で活動をする時にしか感じないもの。人間を装うためには彼らとほぼ同じ感覚でいないと不審がられるために、その時だけは感度を人間に合わせている。しかし今はその術を使ってはいない。
「どういうことだ」
 彼は注意深く鉄塔の方へと歩き出した。
 本来ならば本当に良く晴れた湿度も低い快適な日といえる。人間ならばそう思うだろう。周りも静かで申し分が無い。もうすぐ正午になろう時間であり、ここで弁当などを広げればかなり有意義な昼休みとなるだろう。しかし昼食を取るにはまだ少し早い。そして。
「その彼らは一体どこにいるんだ?」
 流れてくる生温かな空気。おそらく人間であったならもっと強烈に嗅覚を刺激する物理的な何かが漂っているのかも知れない。その中で工事関係者が炎天下で作業するのはかなり厳しいと思われる。ではその具体的な漂っている物とは……。
 ランベルセは嗅覚と味覚を人間に添わせた感覚になる術を施した。
「う……。な、何だこの臭いは」
 尋常ではない強烈な臭いが鼻を容赦なく突き抜けた。何かが腐った臭いと焦げた臭いが混じり合っている。あまりに強すぎる生臭さと焦げ臭さに彼は眩暈を起こしそうだった。
 しかしそんな状態の彼の耳に「あー」という唸り声が聞えてきた。
「ど、どういうことだ」
 思わず手で口と鼻を覆う。その彼の周りでいつの間にか作業着姿の数名の人間がよろよろと近づいてくる。だが彼らの様子は普通の人間ではない。頬や首、手などの皮膚が溶けて爛れている。それから目なども窪んで眼球が今にもこぼれそうな状態。むしろ片目が無い人さえいた。
「これは腐肉屍体アンデット……!?」
 なぜそんなモノがここに突然現れたのか。しかも作業着姿でヘルメットなどを被っている。つまりここで働いていた作業員たちである可能性が高い。だが彼らが腐肉屍体アンデットになってしまったということは……。
 ランベルセは「氷冷凍結術ウォル・シーヴァルっ」と叫び、両手を地面へ向けた。その手には蒼い輝きが溢れ、それからすぐにその光が足元へ流れると一気に彼を中心にして地面へと広がった。そしてよろよろと彷徨っている腐肉屍体アンデットたちへ到達すると、彼らを包み込み次々と氷漬けへとしていく。そして木々や草花が生えている所まで到達すると光は止まった。
「どうなっているんだ」
 彼は周囲を見渡した。工事重機なども所どころ凍りついている。だがその周辺には数名の人間たちが氷の中で身動き取れない状態になって立っていた。しかも彼らはランベルセを襲うとした様子は無かった。理由は分からない。今の彼の状態が人の目には映らないようになっているからなのか。どこから現れたのかも不明。よろよろした動きをしていただけに見える。強いて言えば、凍りついた彼らのうち三、四名ほど森へ向いている者がいた。
 ただ生暖か空気もほとんど消えていた。彼の神術によって浄化されたのか。それとも腐肉屍体アンデットを氷に封じたための相乗効果なのか。または。
「やはり何か良くない事が起こっているようですね」
 軽やかな魔力が少し離れたショベルカーの後ろから感じた。
「貴方がなぜここに」
 突然現れた人物にランベルセは少し驚いた。しかし現われた当人は何の事もなくランベルセの前へと姿を現した。

夜送舟艇のプリン艇団 第2章の挿絵
「実は私も少し気になる事があったんです。それを付け加えるために来ました」
「気になる事ですか……?」
 重機の影から現れたのは長い水色の髪を頭の高い位置で結った美しい人だった。面差しは冷たく、髪と同じ色をしたマリンブルーの瞳は澄み怜悧さを保ち煌いている。そして紅い色の身動きが取り易い工夫の凝らされたローブを召している。彼こそが。
「大地の神。それはつまり三代目がいらした所では話しづらい内容だった、という事でしょうか」
「はい。さすがに天上の偉い方は優秀ですね」
「ありがとうございます」
「しかし私も時間があまりありませんから、どこまでお役に立てるか分かりませんよ」
「いえ。少しでも手がかりさえ得られればそれで良いのです」
「そうですか」

 先程、三代目輝星剣士と共に一緒に居た人物。三代目の六源神大地の神、そして彼の住む世界では世界三大魔道士の一人に数えられる紅の魔道士カルスが現われたのだった。
 彼は穏やかな雰囲気を纏いながらも笑顔はなく、ほぼ真顔だった。その上、賢しさの光が秘められた瞳はランベルセでさえ臆するところがあった。
「貴方から詳しいお話を聞いてしまえば、私も必要な事をしっかり話せるでしょう。しかし深くかかわり合いになり、面倒を負う事にもなりかねませんからねぇ」
「おっしゃることは御尤も。斯く言う私もなりゆきでこの調査を始めましたので。しかし腐肉屍体アンデットまで出てくるとは、少し難航しそうで今から頭が痛いもの」
「お気の毒ですね」
 カルスはそう言って周囲をざっと見渡した。
「おそらく植物や昆虫などの小さな生命体では反応しない、ある程度の生命力を感知したら出てくるように制御された腐肉屍体アンデットのようですね」
 それから彼はしゃがみ込んで、地面に手のひらを当ててしばらく目を瞑る。
「この焼けてしまった一帯自体が呪術の陣になっているようです。そこに生命体が侵入し、陣が感知すると発動する。しかし貴方は天上の方であり、今は人間の視覚に反応がされない状態を作っている。腐肉屍体アンデットは一応、自分に搭載されている眼球で生命の居場所を捕えるようにしているみたいですね。だから生命体が侵入したがどこにいるか分からない。だから陣の中を徘徊するに留まった、という状況でしょうか」
 そしてカルスは目を開け、手についた土を掃いながらゆっくりと立ち上がった。
「あの晩はこのような仕掛けは無かったんですけどね」
「あの晩? と、おっしゃいますとプレンティスの力を感じた日の話ですか」
「ええ」
 紅の魔道士はもう一度周囲を見回し、それからランベルセの方を向いた。
「あの日はさすがに私もここへ赴きました。何か善からぬ事が起こっては後々、大事になっても困ります。ですから深夜。一人でここへやってきました」
「何かありましたか?」
「いいえ。雷が落ちた直後にはリムズさんが行ってくれましたので、その時の話は先程申し上げた通りで、誰の姿も気配も無かったそうです。そしてしばらくするとこちらの世界の対処をする人たちが集まってきたとのことです。
 ですから私は深夜。雨が小降りになってから闇にまぎれてやってきました。しかし特別おかしな様子はありません。警察の方や消防の方も夜のうちに出来る事も無いようだったので引き揚げていました。ですから目に見えて、の部分は落雷直後とあまり変わらない。木々や草などが焦げた臭いが立ち込めている火事場後、といった状況でした」
「なるほど。では目に見えない部分については」
 そう言いかけると、大地の神はニコリと微笑み「勿論。そちらの方が少々問題なんですよ」と言った。
「私も不思議だと感じたんです。落雷直後、というより雷を落とすような術を使うほど術者は強敵と戦ったのか。しかし相手は応戦した跡も無ければ、その痕跡すら見当たらなかったんです。普通は強力な術を使う時は相手、又は対象となるものがそれを使わねばならないほどの存在ですよね? しかしそれが居たという微細な証拠となる跡がない。ではゼンルさんが雷を落としたくなったから勝手に一人でやったのでしょうか? いえ、そんなことはしないものでしょう。人間界で神術を使う事は必要があってこそ、やって良いものです。自分勝手にやりたいからやった、という事は禁止されています。そうでしょう?」
「はい。執行役として必要があれば神力を使用しても可。天上の決まりとしてございます」
「そうですよね。と、なると尚更、無闇に術を放つことはあり得ません。では。あの方が一体どうして雷を落としたのか。と、堂々巡りになってしまうので、私は数時間前の経過映像を術を使い呼び起こしました」
「過去映像をですか? しかし誰の……」
「この周辺の植物さんたちです」
「ですが彼らの記憶はカラダに伝わってきた空気感のみで、決して視覚的なものは」
「はい。でもどんな力が彼らの体にあったのかは分かるでしょう? もしかしたら魔力や神力、妖力などが残っている事さえあるかもしれない」
「そうですが……」
 ランベルセもこの辺りを見回った後で何も得られなければ、苦肉の策としてそうするしかないと思っていた。けれど周囲には記憶を留める媒体が無かった。草木もその全身から感じた触覚しか残していないだろう。だが現状は手掛かりが皆無。些細な事でもいいから何か得られるのであれば藁をも縋る。そんな心境だった。
「でも。貴方のご期待に添えるものは無かったんですよ。何も」
「は? と、おっしゃいますと」
「敵と認識してよい存在なのでしょうか? ゼンルさんが相手にした者。その存在もなかなかやるものです」