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天川魔法使い協定

初回掲載:2026年7月5日

登場人物紹介

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《天川魔法使い協定》(2)‐2

  時刻は四時三十分。それでも真夏はまだまだ炎天下であった。

  天川第一小学校は丘の上に建つ校舎であった。北と南に一棟ずつ四階、三階の大きな白い校舎が並び、渡り廊下でつながっていた。北校舎の並びに体育館。それからプール。校庭は、これら全てから見渡せる下の段に広がっていた。二十段以上の階段の上り下りがけっこう子供も大人もきつかった。

  春人さんは学校の南側にある職員駐車場へと愛車を勝手に止めた。こちら側からも学校へ入っていける。しかも職員駐車場が設置されているので、門が設けられていない作りになっていた。

「でもさ。二人はどうやって侵入するの?」

  朝倉桜佑くんは自分の学校だから入っていくことには問題は無い。日直の先生に「夏休みの宿題を忘れてしまいました」とでも言って、怪しまれないように校舎へ入り込もうと考えていた。

  しかし。春人さんにしても、香川さんにしても、ものすごく目立つ。二人共、容姿が異常にキレイだったりかわいかったり。そんな意味でも目立つ。

「えー。親戚のお兄さんと一緒です、とかで良いんじゃないですか~?」

「うんうん。今日から親戚になったんだねっ。了解したよっ」

  どう考えても無理があるような気がする。と、桜佑くんは思ったのだが。まあ、自分もあの父さんの子供だから、この二人ほどのスゴさは無いにしろ親戚は通用するかもしれない。似てないけど。

「じゃあそうします。でも二人とも。騒いだり、意味不明な事をぼくの前以外で言わないでよ」

「もうっ。ボクは誰よりも常識的な王様なんですよ。大丈夫です、朝倉君」

「うんうん。了解したよっ。意味不明な事なんて、意味不明だからねっ。言う方が難しいよっ」

  心配過ぎる大人たちの返事を聞き桜佑くんは不安に思うが、来たからには行くしかなかった。

  三人は車を降り、校舎へと続くアスファルトの坂道を上り始めた。

 

  そもそも。朝倉桜佑くん自身もおかしな事だと思っていた。ゴロタロー、こと三橋慎太クンが急に体がやせ細ったことについては。

「なんかさ、ゴロタローってヤバくないか?」

「うん。変だとは思う」

「病気かも知れない」

「けど言える雰囲気でもなくね?」

「だよな。なんだかちょっと恐いモンな」

  彼がいつもつるんでる五人グループのメンバーに三橋くんは所属してはいない。けれど夏休み前には、最早クラス中で彼のことは話題になっていた。

「呪いじゃね?」

「こわいこと言わないでよ、太ちゃんは」

「子供でも何かの病気に罹れば、痩せていくこともあると思う」

「太一の言ってることも満更じゃないかも知れないよな。だって急すぎじゃん?」

「呪いか、びょーきか。分からないけど、でも、呪いで病にかかった、とか。大体、顔、暗いし」

  七月半ば。もううだるような暑さが連日続き、梅雨の湿度も相まって、最悪の環境だった。だから自分の感知能力では、病気か呪いか、が桜佑くんにはいまいち掴めなかった。と、いうより。自分の力――魔力――を元に戻してまだ三ヶ月しか経っていない。彼は魔力の自己制御すら未だに巧くできなかった。だから攻撃をする魔法、治癒をする魔法、浄化をする魔法、などの様々なものに挑戦もしたいけれど、その到達までには道のりが遠かった。

  以前に、桜佑くんが初めてその身に魔力を戻し宿した時。光と大地の力を借りて、凄い魔法を使った。けれどそれは暴走とも言える発動の仕方で、大魔道士である父親がいてくれたお陰で、制御されて、挙句、納める事もできた。もし、あの時、父である朝倉昊さんがいなかったら「天川市が無くなっていた」と後から聞かされて、その晩は怖くて眠れなかった。

  以来。しっかりちゃんと、宿題と同じくらいに、彼は魔力の制御と魔法の使い方の修行をし始め、励んでいたのだった。

  そんな状態の桜佑くんだったので、クラスメイトが異変にみまわれても、一人では動くことは「意味が無い」と考えた。そもそも原因の特定なんてどうやって探れば良いのか分からない。そしてもし、何か特異なものが原因だと分かったとしても、対処が自分では出来ないだろうと予測ができた。

  だから次に、不可思議現象に対して、理解があり力もある人へ相談することを考えた。が、そんな人たちに時間と手間を掛けてもらうことが憚られた。父親はケーキ屋さんで忙しいし、西園寺クリニックの是鷹医院長もお医者さんで忙しい。この二人はまともだから相談したかったが、だからこそ遠慮する気持ちが湧いた。一方で、西園寺さんちのお手伝いさんみたいな春人さん。彼は善い人でオヤツをくれたりもするが、考え方がニンゲン界風ではなくて、まず学校のクラスメイトについて説明する事にも苦労しそうだった。たぶん一日くらいかかりそう。だから協力者になってもらうことは断念した。

  そう考えあぐねているうちに、夏休みの三日前。ついに三橋君が入院することになってしまった。更に暮坂亞未さんというクラスメイトも、なんだかおかしな状況になっていた。

「はあ。もうこうなったら……」

  そこで。彼も彼なりに考え、西園寺クリニックへ行く機会を作り、ラッキーなことに魔法でなんとかしてくれそうな人たちが集まったところで、現状の話をしてみた。

  でも。

「なんか違うんだよねぇ……」

  思惑とは少しずれた人物たちが調査へと協力してくれることになった。

  本当は、この人たちじゃない二人、の方がよかったのに。

「うう。なんだか昼間なのに。もうオバケがでそうですぅ~」

「オバケ。それはキュウタ・ローとオウジ・ローという兄弟でオバケをしている子たちのことかいっ。会ってみたいねっ!!」

  絶対、この人選、ヤバいって。

  そうは思うが。

「父さん。ぼくと一緒に学校へついて来てよ」

  なーんて。恰好悪いことは、死んでも言いたくはない。そういうことが人命よりも重大に思える桜佑くんだった。だからもう。この人選でいくしかなかった。

  うん。もう。頼れるのは自分だけ。魔法が必要になった時だけ二人にやらせよう。そう思うしかなかった。

  午後五時に近い北校舎。西日は完全に壁で遮断されていて薄暗かった。

  日直の先生には念のため声を掛けて校舎に入った。今日は六年生を担当している年配の先生通称「川ジィ」だった。先生は温厚で滅多なことで怒らず、頭の良い、けっこう桜佑くんにとっては話し易い先生だった。そんな先生だから「めずらしいね、朝倉君が忘れ物をするなんて」と笑っていたが、すんなり校舎へ入ることを許可してくれた。ついでに親戚のお兄さんたちも。勿論、川ジィもさすがにその二人には少々面食らってはいたが、しかし親戚ならいいよ、と軽く言ってくれた。

  こうして三人は職員室のある北校舎二階から、渡り廊下を通り南校舎へ入ると、不可思議現象者が出ているという桜佑くんのクラス、五年一組へと向かった。

  教室はさらに階段を上った三階にあった。

「この〝す・りっぱ〟という履物は歩くたびにパタパタと音が鳴るねっ」

  春人さんのこの緊張感の無さが少し救いであり、でもちょっとイラッとはした。桜佑くんは実際に恐がりであった。魔法を使えるようになる前は、誰よりも臆病だったし、友だちが肝試しをすると言うと全力で家に帰ってしまう子だった。

  だから三階へ続く長い方の階段を折れ、距離の短い階段を上る時。たしかにゾクッとした感覚がすると、怖さと嫌な予感がした。

「この右側の一番奥が五年一組だよ……」

  階段を上りきると、目に飛び込んでくるのは薄暗い踊り場だった。そのまま直進をすると、給食のコンテナを上げ下ろすエレベーター室がある。

  教室は階段を上りきったところから左右へのびている廊下を行くとある。目指す自分のクラスは右側の一番東にある教室。

「ひんやりしているね、この階層は」

「オバきゅ、とは違うのがいそうですぅ」

「ええっ」

  二人のその言葉を聞き、右側の方へ折れると。

「ひっ」

  桜佑くんは小さく悲鳴を上げ、手近な春人さんの背後に思わず身を隠した。

  一番奥の教室の廊下。まだまだ明るかった。壁に嵌め込まれたサッシの窓からも薄い青空の光が射し込んでいる。

  しかし。そこには。ひた。ひた。べた。べた。と、真っ黒な汚泥で出来ているような人の形をしている何かと。廊下の一番奥の壁際に、紫色のべだあーーーっとしたグチャグチャのこんもりした何かが、むにゃぐにゃと蠢いていた。

「な、ななななーーにーーっ。あれっ」

  桜佑くんは予想もしていない物に遭遇し、気絶する寸前だった。

「思った以上のモノが潜んでいたね」

  春人さんはそんな桜佑くんを庇うように前へ出た。尚、そんな彼らの後ろで、香川さんが「きゃーっ。もう怖くて目も開けられないですぅー」と、しゃがみ込み、どこからか取り出したのか正方形の座布団を被っていた。

「ちょ、ちょっと香川さん。正義の味方で、ぼくよりすごい魔法を繰り出すんじゃないのっ」

「ま、まま魔法は今日、お休みなんですぅ~。てへっ」

「もう。連れてきたのに使えないなぁ」

「なんて口の効き方する子供なんですか~。びえ~ん」

  そうしている間に、紫のグチャグチャのこんもりも形を変え始めていた。

『……願い……。叶えましょうか?』

  濁りの無い女の声が正面の方から聞こえてきた。

『アナタ方はとても清らかな心の方々。ワタシはそんな生命の願いを叶えることが……幸せなのです』

  やがて紫のこんもりしていたものが、人の形となって姿を現した。

「お、女のヒト……?」

 紫色の長い髪をした色白の若い女が立っていた。しかも着ている服装も紫色の着物姿だった。

「おばさんは誰なのっ」

 桜佑くんは率直な言い方をした。相手は見るからに二十代だった。しかし十一歳にはおばさん、なのか。

『ふふ……元気の良い子供だ。そして一番、そそる、魂をもっている』

 相手はやはり普通の人間ではないので怒り出しはしなかった。彼を見て、むしろ喜んでいた。

「桜佑君。君はあまり無茶はいけないよっ。ケガをしたり苦しんだりすると、カルス君がとても心配するからねっ」

 前に立ちふさがってくれていた春人さんは、いつの間にか両手を広げ、白色の光玉を作っていた。

「こんな所にこんな物が落ちていたなんて。僕は驚いたよっ」

 春人さんは光玉を足元へ両手から投げ放った。すると彼を中心に白い光る文字と円陣が描かれた。どうやら結界のようだった。

『……ふふ。邪魔なモノを排除したら……いただきますをしないと』

 色白の女性は繊細な顔立ちに微笑みを浮かべた。同時に、結界の周りへ無数の黒い汚泥の人型がざざっと現われ、ぬらぬらと囲んだ。

「うわぁぁ~。なにこれーーっ」

「脱出するのが一番良いね。でも、この現象と根源を収めないと、学校が、いいや、天川市全体が非常に危険な状況になりかねない」

「えぇーーっ。そ、そんな大事件だったのーーーっ」

「そうだね。……こんなものが現われたから、大事件であったことも、ここに来なかったら分からないことも、当然なんだ」

 そう言った春人さんの全身が青色にパッと輝いた。すると姿が一変。紫のフワッとした髪を白い大ぶりのリボンで結んだ、真っ黒の丈の長いジャケット、ズボン、ブーツを身に着けた、とても美麗な青年になっていた。春人さんの本来の姿。妖魔の姿へ彼は戻ったのだった。手には美しい漆黒の大剣が握られている。

「だ、大丈夫……なの?」

「うーん。自信を持って大丈夫、とは応えにくいね。でも頑張るよ。君は守るからね」

 明らかに多勢に無勢という状態に思えた。黒いぬらぬらの人は、春人さんが張ってくれた結界へ体ごとぶつかっている。どうやら体当たりで結界を壊そうとしているようなのだ。気持ち悪いのと、もしかして壊されたという恐怖心に、桜佑くんは「で、でも……」と呟き、心臓はバクバクしていた。

 

「――大丈夫です、朝倉君」

 

 恐怖心に駆られる彼の背後から、スーッと冷たい空気、風が流れた。

「……そうですか。確証が得られなかったから出向いてみれば。やはりこんな所に潜んでいたのですね」

「え……?」

 さきほどまで頭を抱えてしゃがみ込んでいた、一見、貧弱そうな青年だった彼が、いつの間にか姿勢正しく堂々と立っていた。

「か、香川さん?」

 表情は怜悧で冷たい。ともすれば冷酷、とも見えた。

「小さな欠片ですね。しかし人間にとっては非常に猛毒」

 彼はそういって、つかつかつかと前へと進み出ていく。

「レゼッタさん。ボクが先に行きます。貴方は朝倉桜佑君を守ることに徹底して下さい」

 声色もそれだけが透き通って聞こえるように凛としていた。春人さん、基、レゼッタさんもそれに対して「分ったよ、陛下」と静かに答える。

 その次の瞬間だった。

「滅びよ。聖光浄化破(ファルシー・ンリ)っ」

 バリンッと大きなガラスの割れて爆ぜる音が響いた。

「うわーーっ」

 桜佑くんは思わず自分の腕で顔を覆った。

「影の引き金(シャドー・トリガー)。ボクの目の前に現われては滅びの一択です」

 目の前で大きな黄金の光が大きく弾けていた。それを遮るには両腕で防ぐしかなかった。空気も、まるで電流が流れ込んでいるようで、肌に触れるとパチッピリッとダメージを与えてくる。

「すまないね、朝倉君。陛下の力は僕の遮蔽結界でも防ぎきれないほど強力なんだよ」

 いつの間にか桜佑くんは青白い光に包まれている。それがレゼッタさんの言う『身を守る結界』のようだった。それに守られているはずなのに、香川さんの放った力がすり抜け当たっている、ということなのだろう。

「それだけ相手も強力なんだ。リドール神め……」

「りどーる、神?」

 と、呼ばれる存在。さっきまで紫の着物姿の女のヒトだった。でも今、目の前にいるのは肌が紫色になっている人の形をした何かだった。

「ひっ」

 しかもその皮膚は爛れていた。頭に生えていたはずの髪も全部抜け落ちて、頭皮も溶けてドロドロなものが下へと流れている。

『……こ……こんな……所に……わざわざ天上の……』

「そうですよ。こんな所でも、ボクはわざわざ出向きます。お前のような滓が現れれば、誰よりも何よりも先に。そして誰よりも何よりも先に滅ぼします」

 傷んでドロドロになっている怪物にしか見えない存在の前には、白金の髪をした白い衣の姿に戻った天界の王が立っていた。桜佑くんには背を向けているので表情は見えない。でも、この冷たい空気と時々肌に当たるビリビリと感じる電流のような力。おそらく、彼の顔は溶けかかっている怪物なんかよりよっぽど怖ろしい表情を向けているに違いない。

 それだけ天界王は静かに怒っている。

 桜佑くんは、そんな風になった時の香川さんを見たことがあった。あの時もこんな冷え冷えとした空気が流れ、怒りの波動が頬に当たって痛かったことを思い出した。

「さあ、これで。とどめです」

 香川さんの右手に、いつの間にか刀身の長い白銀の剣が握られていた。

「神聖浄化風斬(ル・ファリュー・ス)ッ」

 その言葉と同時に彼は剣を振り上げ、右から左へとざざざっと斬り払った。

 瞬間。

『――たぁ~から、さがしぃ~。おぉ~はずれぇ~』

 紫の怪物を切り裂いた場所から、ぶわぁぁぁーっと真っ黒な風が吹き出した。

『油断、してるぅ~。風神の負けぇ~』

 さっきからずっとしゃべっていた女の声が、頭上から降ってくるように聞こえてきた。実際に、廊下の天井すれすれに菱形をした紫色の手鏡が浮かんでいた。

「あ、あれは……」

「菱形はリドール神を象徴する場合があるんだ。この元凶はあの物体だろうね」

「鏡が?」

「リドール神はね、無機物でも有機物でも無い。なんでもリドール神であり、なんでも無い存在でもあるんだよ」

 レゼッタさんの答えに桜佑くんはまったく理解が出来なかった。でも、その答えが正解なんだと直感した。

「小賢しい害悪がっ」

 目の前の人の形だった残骸を斬り伏せ、その剣を今度は天井の鏡へと投げ放った。

 剣は翠色に発光し、一条の光となって紫色の鏡に切っ先が到達した。瞬間。ドワンッと大きな衝撃が空気、空間、あらゆる生き物を襲う。

「あわわぁぁぁっ」

 桜佑くんの体も強い衝撃波をゴンッと喰らい、脳味噌や心臓までが大きく揺れ、定位置からずれた気さえした。

 そんな衝撃だった。当然、廊下の天井などは消し飛び、壁も崩れ、わらわら襲い掛かってきていた黒い泥人形みたいなものも塵のように細かくなって霧散した。

 桜佑くんはレゼッタさんの結界と、そのレゼッタさん自身が覆いかぶさるようにして身を守ることができていた。きっと結界だけで、生身のままだと彼自身も耐えられなかったのだろう。

『キキキッ……ダン……ダユテ…………シにウ……ゆよ…………』

 女の声が、何かの声と重なって聞こえてくる。

『…………イアも……変わらずだ。天界王よ』

 そしていつしか声が全く別のものへとなっていた。男の声だった。

「……第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)……」

 香川さんの声もまったく抑揚のない冷たい声色だった。

『こうして自ら出向いて来たということは、少しはお前たちに危機がある。そう感じているようだな』

「それは」

『解に興味などは』

「無い」

 一体、何が起こっているのか。レゼッタさんに庇われている桜佑くんは、彼の肩越しに天井を見上げた。すると白金の髪をした天界の主が、自らの手に紫色の手鏡を持ち、それを中空へと放ったのだった。

 そこには赤黒の空が広がっていた。天井なんてすっかり無くなっている。三階の上は屋上になっているが、だからといって校舎の東側が術で吹き飛ばされてしまっている。しかも鏡は不気味な紫の色を放ち、禍々しい空に投げ放たれたのだ。

「ど、どうなっちゃうの……」

 駆け出しの魔法使いでもある桜佑くんは、この状況で何も出来ないことはわかっていた。それどころか怖さで心が押し潰されそうなのだ。目にした光景に「世界が終わりそう」と、ますます心臓が早く鳴った。

 

「莫迦、見っけ」

 

 しかしであった。邪悪な紫色の光を放つ手鏡に対し、美しくも気持ちがスーッと晴れやかになるほどの聖い朝焼けの空のような薄紫色の強い光が、ドンッと当たった。

「わぁーっ」

 光の強さに腕で視界を桜佑くんは遮った。でも、この光が輝く寸前に聞こえた声は。今日から通い出した家庭教師の先生、の口調だった。でもなんだか若々しい。

「お前さ、のこのこ出てきて御託を並べてるの~? 相変わらず、莫ぁ~迦、だよねぇ~」

 配置的にこのしゃべり、間違いなく。

「ルートヴィッヒさん。制限の範囲で行動なんですから、あまりおしゃべりに夢中にならないでくださいね」

「いいじゃん別に~。ほら。だって、もう、粉砕できたよ」

「はぁ。粉砕だけではなく、消滅です」

「んじゃ、それは君に譲るよ~。君、神様だから」

「はぁ」

 家庭教師の先生と。

「カルス君たちも来てくれたんだねっ」

 レゼッタさんも声の方へ顔を上げた。桜佑くんももう一度、顔を上げた。

 空は赤黒いまま。でも、そこには袖や裾を豪奢な黄金の刺繍で縁どり、朝焼けの空のような薄紫色をそのままローブにした若い魔法使いと、水色の長い髪をポニーテールにし、紅いローブの元の姿に戻った父の姿が中空にあった。

 父は目の前に浮かんだ禍々しい紫の光に包まれた粉々の物体へ、ピンク、緑、白色の宝玉が付いた杖を向けて「では、神なので」と少しため息交じりに見えなくもない様子で「さっさと済ませましょう」と、目を瞑り、念を込めた。

「地聖浄化高法(トリィ・スティル・ス)」

 その言葉の直後には、三つの宝玉は黄金色に輝きを放ち、一気に光を大きくすると粉々になっている物体を飲み込んだ。

『……ほう。六源がこれほど人世に居たのか』

「はあ。しかしそれを知らずにここへ現われたとも思えませんが」

『……そうだな。これで我れもしばらく退屈せずに済むというものだ。そうは思わぬか、カルスよ』

「はあ。今はちっとも思いません。私も多忙なんです」

『そうか。それなら、そこのお前によく似た小さい人間で戯事を』

「はあ。うちの子供を標的にした場合、私が死力を尽くしてお前を滅ぼします。だから止めておいた方が良いと思います。遊ぶのであれば別の玩具を使ってください」

『ほほう。お前の死力か。それは少々分が悪いな。では別の何かを見つけ、しばし逗留してみよう』

「いえ。ですから、うちの子供はダメですが、他所のありとあらゆる生命に危害を加える事自体、止めてくださいと申し上げているのですよ」

『それではこの世に出てきた甲斐が無い。まあ、楽しみにしているがいい。其の方の子には何も仕掛けん』

「あ、ですから。こういうものでも……」

 黄金色の光の中で、粉々になった物体は霧散し跡形もなくなった。

「第一番目の引き金(ファースト・トリガー)っ」

 建造の上空では珍しく大きな声で呼び掛ける父の姿が見えた。その上空も、赤黒い色はまるで幻であったかのように晴れていく。けれど代わりに広がっていたのは、綺麗な夕焼けと眩しい太陽の輝きだった。

「これなら安心だね。サクラ君の安全は確保できたよ~」

「まあ親としては一安心。しかし六源神としては。良かった、のでしょうか……?」

 上空から降る会話。桜佑くん自身も、良かったのか悪かったのか、判断が出来なかった。しかし、あんな怖そうな奴から狙われ続ける事は、正直、嫌に決まってる。だからやっぱり自分的には良かった。

「もーーーっ。良っっくないでーーーすっ」

 けれど、桜佑くんの前方で空に向かって叫ぶ人がいた。香川さんだった。

「もーーーっ。第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)にトドメを刺して、カッコ良く決めるの、ボ~~クだったのにぃ~っ」

 彼はプンスコしながら空へと飛び出した。そして父と、なぜか若くなっている是鷹医院長(の口調をしている誰か???)に猛抗議を始めた。

「どうして後出しカルスさんが最後のキメを決めちゃうんですかっ。そんなのズッこいですぅ~~」

「いえ。それはそのタイミングだったからとしか言えません。第一、文句があるなら貴方も手加減などをせず、とっととささっと倒せば良かったのでは?」

「そうだよ、坊。そういう『なぶり殺し』みたいな趣味全開させてるから、あんな奴にも逃げられるんだよ~」

「ボクはそんな趣味は持ってませんっ。よ、ゆ、う、の『見せつけ』なんですよーだっ。もう、良い所だったのにぃーーっ」

「はあ。しかし、もう居なくなってしまいましたから。もし次に出てきたら、その時は貴方がおやりになればいいでしょう」

「もうっ。今が良かったんですーっ。はー。あ~も~次はヤル気なんて出ません~~」

 うん。やっぱり、自分の身の安全確保が出来ただけでよかった。桜佑くんは「はぁ~」と、ため息が何だか漏れる。

「おやおや? どうしたんだい、朝倉君っ。君はもう第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)からの脅威に怯えなくて済んだんだよっ。よかったね」

「は、はぁ。そ、そうですね」

 さっきまで自分のことをしっかりと庇ってくれていたレゼッタさんも、すっかり春人さんに戻り、その美しい顔に夕陽が照り映えた。そこに浮かぶニッコニコな笑顔。それを見たら、もうまあ何でもいい。そんな気に桜佑くんはさせられたのだった。

 

 それから破壊された校舎は父の魔法で修繕され、職員室に居た川ジィ先生は「朝倉君は宿題を持って、五分後に退出。親戚のお兄さんたちは異様にイケメンだった」と、香川さんが術を掛けておいた。又、その他の不都合が起こり得そうな点は、紫のローブ姿の金の短髪で碧眼の若い男の人がやってくれた。

 夕陽が傾く眩しいオレンジ色の光の中。春人さんが運転してきた車の脇で、一同が会する事となった。時間は意外に経っていて、校舎の時計は午後十八時二十分になっていた。

「あの……。ところで、その姿は何なんですか? 是鷹医院長なの?」

 桜佑くんは紫のローブ姿の金の短髪で碧眼の若い男の人がとても気になっていた。でもその碧い瞳に宿る鋭い眼光。端正な顔立ちからして、十中八九、是鷹医院長としか思えない。紫のローブも腰でキュッと締めている紐は金色で、結び目は大きなリボンが付いている。しかも手にしている杖は細くて黄金色。杖の頭飾りは、その細い杖がそのまま金細工の薔薇を編み上げている。凄まじく、高貴で品のある容姿端麗な魔法使いが立っていた。

「ルートヴィッヒっ!! いつの間に若返ったんだいっ」

 そんな彼の隣には、すごく嬉しそうな春人さんがルートヴィッヒさん、つまり、医院長が天界で暮らしている時の本名で呼び掛けていた。ついでに春人さんは若返った医院長の頭を「ぽんぽんっ」とした。勿論、直後にめっちゃ抗議された。

「なーにすんだよっ阿呆春人っ。私はね、第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)が出てきてるかもしれないから、少し神力を寄こせって魔道士君に言ったの。そしたら体も神力で若返っただけっ」

「そうなのかいっ。いいねっ。明日の診療も、その若々しい姿でやってみたらどうだいっ。ご近所のみんなも大喜びだよっ」

「はっ!? あいつら全員、腰抜かしてそれこそ病院送りだよっ」

「んんん??? クリニックは……病院だよっ」

「そーゆーンじゃないんだよっ」

 なるほど。と、桜佑くんは納得した。それくらい強い力が必要かも知れないことが、途中で分かったからそんな手段までとったのか、と改めて感心した。

「すみませんね、桜佑。私も気づくのが遅くなって。しかし香川さんもレゼッタ君もいるから大丈夫、と思っていたんですけどねぇ」

 と、父も申し訳なさそうな顔と、困った笑みも浮かべていた。

「ぼくは平気だよ。少し驚いたけど」

 本当のところは言わない。怖すぎて、二度とゴメンだと。そう。魔法の修行を始めた頃から、こういう危険な目にはよく遭っている。まずは自分の魔力を体に戻した途端に、超常現象的な何か、つまりオバケや幽霊、妖怪、果ては神様に属する者たちまでを見ることが出来るようになってしまった。そして会話もできる。しかも自分の意思とは関係無く、話しかけてくるわ、時に襲い掛かってくるわで、桜佑くん自身はすごく迷惑だった。

 だから彼は、自分の魔力の制御と魔法を扱う実践と、そういう者たちとのコミュニケーション能力を高める修行が必要、と父に言われた。無用な戦いをせずに、穏便に済ませられるならそれが一番。安全で賢いやり方だ、と。

 けれどもともとが、そういった超常現象的なことが大っキライだった桜佑くん。幼児のころ、絵本の「三枚のおふだ」のオニババに追いかけられるシーンを見ただけで大泣きをし、その夜、熱まで出した。そこまでオバケや幽霊が本当は大っキライな子供なのである。いまだ見慣れないし、出来れば見かけたら魔力で全部やっつけてしまいたいくらいだった。

 しかし、そこはもう十一歳になったし。いつまでも怖がっているのも格好悪い。挙句に見えるようになってしまって、話まで出来るようになり、親からは「桜佑は頭の良い子ですから、ね?」と、何もかも見透かされたニッコリ笑顔をされてしまった。だから「……本当はすごく嫌だけど、頑張ってみる」と返事をせざるを得なかった。

「でもさ。第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)のやつ、閑だから余所に行って迷惑を掛けてやるぞ、みたいな戯言を言ってたけど。いーの?」

 ひとしきり春人さんに抗議をし、気が済んだ金髪の魔法使いの是鷹医院長が、今度は父や香川さんの方を見た。

「よくはありませんよ、勿論。しかし奴はその気配を完全に消し去り、その上、他種の力へ変化を自在にできます。完全変化です。ですからそう容易く見つけ出すことは不可能。現に今回も、ただの低級悪霊のような真似をして現われたじゃないですか」

「そうです。それを食いしん坊の朝倉君のおかげで万歳になったんです。次はある。それ以外のことはまだ分かりません。すぐに何かが起こるのか。それとも忘れた頃に起こっていたことを目の当たりにするのか。こればかりは六源神である我々も想像がつかないです」

「ええ。ですから、警戒は怠らないこと、という結論しか出せない状況でしょうか。不甲斐無いとも言えますが」

「しかしそれが実情です。下手に動けば、かえって罠に掛かるかも知れませんしね。そういうことをするのが第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)の常套手段。おじさんもわかってるでしょ?」

 大地を司る神と風を司る神は、それぞれいつになく表情が硬く見えた。笑顔が無い。それだけで冷たい表情だと感じる二人に、桜佑くんは相手にしている者が単なるオバケや幽霊ではないと、怖くなった。しかも校舎の中であった時、そいつは彼をターゲットにしていた。

(今回はぼく、見逃されたみたいだったけど。次にあったら気が変わって……?)

 そう思うと身震いがした。それに自分ではない誰かがターゲットになる可能性だって十分あった。いや。二人の話しぶりだと、たぶん、絶対に誰かがどこかでターゲットになる。そんな口ぶりだった。しかもそれを未然に防ぐことができない。そう聞き取れた。

「危険な状況だね」

 さすがに春人さんも真剣な顔つきになっていた。

「僕らで解決をすることは出来るかも知れないけれど、それに至るまでの過程や方法で生命が傷つく可能性が高いと思うよ」

 彼はかつての同朋である桜佑くんのお父さんを見た。すると父親も頷く。

「レゼッタ君の言う通りです。しかし出来る事と言えば静観です。毎日の生活を静かに見守ることですね。そして小さな異常を見逃さない。とは言え、そんな小さな異常ですらそれが現われた段階で、もう手遅れかも知れませんが。そこは何とも言えません」

 彼も表情に険しさが増した。

「しかしそういうヤツだからね。迅速な対処をするしかないんだ。六源神たちが悪い訳ではないよ」

「難しいところです。こちらも事前に何か講じられれば良いのですが……」

 そう言って桜佑くんのお父さんは沈黙してしまう。

「ま、そりゃそうだと思うけど。ふーん。じゃ、それまで私も危ないから、この恰好でいよっかなぁ」

 若返った医院長は右手をスッと顔の前に持ってゆき、指をパチッと鳴らした。すると焦げ茶色い髪、瞳、そして上品な白いワシシャツとグレーのスラックスに白衣を身に付けた姿に変わった。

「このままの方が神術も扱いやすいからね。なんせ大地の神の神力を充填したままでいられるし」

 彼は左側の髪の毛をフワッと掻き上げた。ちらっと見えた左耳には、小さな金色に輝くピアスが覗かれる。

「是鷹医院長にも、まあご協力というか。なにかあった場合の戦力としては心強いですから」

「でっしょ~。いざという時の私だよ~」

「しかし、いざという時以外は迷惑というか。英雄者様からおかしな協定を出されるような人物ですからねぇ」

「ちょっと。一言多いんだよ、魔道士君は」

「はぁ。まあ、すみません」

 こうして、是鷹医院長は「じゃ、私は今から私の息子の弟ってことで過ごすから」と、人間界でいる設定を変更した。名前も「是鷹」を「夏鷹・ナツタカ」とした。理由は「え? 今が夏だから」だそうで。特に深くは無い名前の理由が明かされた。

「ふふ。うちの子に教えてあげたら驚くよね」

「うんうん。楽しみだねっ」

 夏と春の陽気な西園寺組の会話に、ますますオレンジ色が濃くなる周囲は少し和んだかのようだった。

 しかし桜佑くんの心境には、これからどうなるのか、とじわじわとやって来る夜の闇のような一抹の不安が過ぎっていた。見上げた西の空には一番星がもう輝いている。銀色に強く明るく。

「大丈夫ですよ、桜佑」

「父さん……」

「私がいますし、医院長たちも何だかんだと言って、第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)に対しては真剣に挑んでくれます」

 何もかもを見透かしたような父の言葉。普段なら「平気だよ」と言ってしまう所だった。でも今はさすがにそうはいかない。

「第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)は有言実行です。君のことは狙わない、と宣言をしたからには、その通りにはするのです。そういうヤツなのです」

「でも。……じゃあ、他の人が」

「それも、その通りです。しかし第一番目の引き金(ヴィ・エ・アースト)が出てきて、やはりそれを宣言した以上、それは覚悟が必要です。けれど君が狙われない理由は私が傍に居て分が悪い。それもその通りであり、それ以上に、分が悪くあろうとヤツが『楽しみ』と感ずるものを見つけ、標的にすればそちらへ気が向くのも奴の特徴なんです。だから君が標的にならないことへ罪悪感を抱くことも、卑屈に思う必要も無いのです」

「父さん……」

 自分の気持ちを父は全部汲み取ってくれていた。やはりそういうところが、まだまだ自分は大人に追いつけない。そしてこの人が父親で良かったと素直に思えるところだった。

「いいですね~、朝倉君。たまにはそんな可愛らしい善い子の一面があると、ボクも君のお守りをしてあげてもいいって思いますよ~」

 そして脇でニコニコと茶化してくる大人には全然なりたくないとは思った。

「しかし、ボクもこのまま人世を見捨てて帰る訳にはいきません。結果を出してから、お家に帰るしかありませんね」

 それでも、やはりこういう人ですらただの笑顔ではなく、瞳の奥に鋭い光が宿っているのが垣間見れた。夕陽でただただ光が強く反射しているだけ。香川さんの目の奥の輝きは、そうとは思えなかった。

「じゃ、そろそろ帰らない? いつまでここにいても何かが変わる訳じゃないんだし」

「そうだねっ。夕ご飯の支度をしないと。今夜は……」

「冷やし中華がいいですーっ」

「私、胡麻派」

「了解っ」

「ボク、お酢とおしょーゆ派ですーっ」

「了解っ」

 夕暮れの中。いつも通りといつも通りにいかなくなるこの先々が、オレンジ色の光と暗闇の混じった空そのもののように桜佑くんには見えた。

「ぼくは、冷やし中華じゃなくて素麺がいい」

「では帰ったらそうしましょうね」

 朝倉家と西園寺組は、駐車場でそれぞれ別れ帰途へと就くのだった。