YASOU SHUUTEI NO PURIN TEIDAN

夜送舟艇のプリン艇団

TEXT ONLY EDITION

榛名 暒

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初回掲載2026年9月4日

第1章

(一)

 空の全体が深い青と透明な紫を混在させた色に変わり始めていた。宵の始まりだった。

「今日のように毎日が順調であれば……」

 上着の内ポケットから取り出した銀の懐中時計も、終業時間を大して超えてはいない位置で針が時間を指示していた。天界という生命の高位者たちが住まう場所で、そこを統治している王の補佐官として日々を送るパルティシオン・ランベルセはホッと小さく息をついた。普段ならば、その自分の上司が残した(サボった)書類仕事の尻拭いやら、彼の仕事が終わったところを見計らい相談事を持ちかけてくる役人たちが現われたりする事もしばしばだった。しかし今日はそういったこともなく、平和で本当に彼自身が実感するほどに仕事を終える事が出来た。

「これならアンナと夕食も一緒に取れる」

 そして新婚さんなので、頭の中はもう奥さんの顔が思い浮かび、楽しい食事の時間が待っていると気持ちも完全に緩んでいた。そこで彼は瞬間移動術を使いとっとと自宅である公爵邸へ帰ろうと準備を始めた。ここで表の廊下に出たら、再びまた誰かに声を掛けられ時間が取られてしまうかも知れない。最後まで順調を通すためには、決裁済みの書類はひとまとめにし、筆記具をしまい、明かりを落としたら、仕事場である天界本神殿からさっさと消える。これに尽きる。

 彼は書類を整え明日の引き渡しに備え、筆刺しに羽ペンを戻す。それから一応、執務室全体を見渡し、帰宅前にやり残したことが無いかをチェックする。今日は天界王補佐官である自分の所へ来訪したのは、王の息子ウェリレント王太子が内政業務の確認のためにやってきたのみ。仕事話と王子が趣味にしているニホンのカルチャー・ニンジャについて語られただけだった。だから下手な忘れ物が残されている事も無い。自分もほとんど執務席から動いてもいない。

 彼は振り返った一日に過不足がない事に納得がいったので、いよいよ部屋の明かりを術で静かに落とした。これでようやく安穏な夜が訪れる。小さくなっていく明かりを見ながら、様々な束縛からの解放を染み入っていた。

 そんな彼の耳にドアが叩かれる音が聞こえた。コンコンコンッと確かに三回した。

 途端に心がざわついた。今日はこれで帰れる。解放された。それを心から喜び、もう気持ちは自分を待つ妻の笑顔しか思い浮かばない。そんな状況の自分の元に。そんな状況なのだから、もう今日は誰とも会いたくは無し、話も聞きたくはない。

 しかしドアのノックは更に三回された。

「……」

 彼は消えかかった明かりをそのままにして「どうぞ」と、声を掛けた。

 もしこれが唯一上司と仰ぐ尊きあのお方だった場合は、問答無用に「出て行け」といって追っ払えば解決。他であっても「今日の業務は終了しました。明日は午前九時から午後五時までです」と丁重にお断りを入れる。そうランベルセは心に決めた。

 しかし一体、こんな時間に誰がやってきたのか。そう構え注意深くドアを見据えていると、扉はゆっくりと開いた。

「終業時間を越えての面会、大変申し訳ない。ランベルセ公」

 厳かで静かな男の声がした。その声には聴き覚えがある。

 だが開かれた入り口に立っていたのは裾丈の長い真っ黒なローブ姿の女性だった。彼女は両手を下腹辺りで軽く重ね、畏まった様子でやや頭を下げて目を瞑っていた。

「どうされた、レイモンド統括長」

 声の主が誰であるのか察しがつき、入り口で立っている女性の右肩へとランベルセは視線を向けた。そこには体長三〇センチほどの茶色い毛並をした丸く愛らしい顔の小動物が、女性の肩の上で後ろ足のみで直立していた。

「いや。ここに来て、九割以上の用件は済んだとも言えるのだが」

 小動物、人間界ではイタチ科のフェレットという哺乳類に近い人物は、つぶらな瞳を向け申し訳なさそうな口調で言った。そう彼は本来、人の姿をしている。しかし彼の一族、大地の神に直々に仕えた〝大地一族〟が、過去に敵対する邪悪な存在から呪いを受けた事により、現在でもその効力が絶えることなく宵の口辺りになると動物の姿へとなってしまう因果を負っていた。レイモンドの普段は、青髪の銀縁眼鏡を掛けた少々冷たくも見える気難しい印象の男である。又、生命の往き来を、すなわち生死を、等号で結び管理している天の役人、てんかいしっこうやく。その序列高位に立つ、一〇〇〇といる執行役を総統括している貴人だった。

 だが呪いが掛けられた状態の「じゅ姿」と呼ばれる姿で現われると、人の姿であった時の威厳さ、沈着冷静さとのギャップに、どうしても戸惑いがランベルセには生じてしまう。本来、気の毒な事である。彼のように呪姿を負う一族は他にもあって、彼らも猫やサボテンになってしまったりする。しかしレイモンド統括長に関して言えば、愛らしい小動物が厳つい言葉を使い、女性の肩で申し訳なさそうにしている一つひとつの動作に、どうしても面白みを感じてしまう。

 しかもその小さな顔の眉間に皺を寄せ、腕を組む仕草をさせるとますます見ている方は、余計に気が引かれてしまう。可愛らしい姿かたちをした動物が、次はどんな言葉を繰り出してくるのか。

 ランベルセは帰る気をほとんど削がれレイモンドの言葉を待った。

 しかしなかなか彼から喋る気配は見受けられなかった。

「何か問題でも?」

 喋る気が無いならさっさと屋敷へ帰る気持ちがランベルセの中にぶり返してくる。妻のアンナが待っている。夫たる自分も彼女の笑顔が楽しみで仕方が無い。

「いや。ある方を探していたのだ。だがここには居ない事がひと目でわかった」

 茶色い小動物は腕を組んだままランベルセを見上げた。

「ある方――」

 そう言われてもすぐには想像がつかない。レイモンドがある方、と称すくらいなのだから探しているのは彼より位の高い人物だろう。王族か貴族階級。または彼より上位の執行役。レイモンドの上には三人いる。だがそのうち一名はレイモンドと同時期に執行役となり同じ師の元で一緒に修行をしていた。だから彼にとって実質、上官に当たる執行役の最高責任者、及び最高責任者補佐官の二名が上位者といえる。

「いや。ここに居ないからといって行方をご存じないとも限らんが。しかしランベルセ公は本日、執務室以外に他の部署へと赴かれましたか」

 そう問われランベルセは「陛下の執務室のみ」と答えた。今日は本当に順調な一日だったので、それ以外は休息を取る為に神殿の中庭へ行ったくらいのものだった。そこでも王太子に会ってしまい、ニンジャからサムライの話をされ、あまり休息にならなかったことくらいしか覚えていない。

「ではウォルシオム侯がどこにいらっしゃるかご存じではありませんか」

「ウォルシオム? アレックスを探しているのか」

「はい」

 アレクサンドロス・ウォルシオム侯爵。ランベルセとは幼い頃から交流がある、ニホンでいうところのチクバノトモ。彼は天上界の王家を古くから支えてきた名家、ウォルシオム侯爵家の現当主。そして貴族の中でも彼ほど見た目も所作も、とにかく存在自体の雰囲気が華美で豪奢で優雅な男はいない。だが最も取り上げるべき点は、あらゆる全ての生命に深い慈悲の心を寄せている情け深い人物、という所だとランベルセは常々思っていた。それゆえにアレックスは大貴族であっても天界執行役の上位者、天界執行役最高責任者補佐官を命ぜられていた。それも王が直々に与えた役職だった。

「ウォルシオム侯爵に面会し、明日の終業時までに署名を頂かなければならない書類がある。しかし一昨日から侯爵は神殿に現われず困っているのです。それなので旧知の間柄であるランベルセ公ならば、所在、もしくは直接お会いになられているやもと、ここを訪ねたのです」

「そうか。しかしアレックスが二日も姿を見せていないのか?」

「はい。それなので御心当たりはないかと」

「いいや」

 アレックスに限って自分の職務を蔑ろにする事はまずもってない。それは貴族であっても、いや、王であっても自分の仕事をサボるヤツはいる。しかしそれは限定的な話であって、自分の上司以外はサボる事などほぼ誰もやらない。特に友人は勤勉であり、真面目で聡明、そして仕事は卒なくこなす。

 しかしそのような彼が二日も神殿へ出仕していない。おかしな話だった。

 天界執行役最高責任者補佐官という職は、本神殿の隣にある巨大な同じく白亜の神殿・東殿の最上階の執務室で業務を主に行なっている。人間同様に管理者階級なので現地へ行って死者の魂を迎えに行ったりはしない。だからどこかへ出かけて作業をする事は考えられない。

「プレンティスには聞いてみたのか」

「いいえ。アレは特殊行動班の業務遂行中とのことで、ここ一〇日ほど天上を離れていると彼女の部下から聞きました」

「なるほど」

 アレックスの妻、プレンティスも天界執行役を担っている。夫婦で貴族でありながら生命を尊ぶ役人として働いているウォルシオム侯爵家。アレックスに関しては幼少の頃から尊敬できる人物であったが、その彼が得た妻もまた他の生命に心を砕き寄せる強く優しさあふれる素晴らしい人物だ、と本来は思える人物。そのため執行役としても難しい任務へ赴くことが多々ある。だから夫婦は時としてすれ違う事も多いが、アレックスは大層な愛妻家でもあるため、それもまた何も問題がない夫婦。その妻も天界から何らかの生命のため不在になっている。

 となれば、現状のようにアレックスの友人知人に話を聞いて回って地道に探すか、それこそウォルシオム侯爵邸にでも行き、屋敷仕えの者から話を聞くしかないだろう。もしくは。

「いや。ここに居ないのであれば、それが確かめられただけでももう結構です。終業後に時間を取らせてしまって申し訳ありません、ランベルセ公爵」

 そういって小動物は律儀に頭をぺこりと下げ、自分を乗せている肩の主に部屋から出るよう促した。

「レイモンド統括長。陛下には尋ねてみたのか?」

 ランベルセは入り口から立ち去ろうとする女性、正確にはフェレットに声を掛けた。

「どうしても、というのであれば王陛下に頼んで所在を伺ってみてはどうだ」

 するとレイモンドはくるりと体ごと振り返り「いえ。陛下を頼ることは……」と、目を細め、口ごもる。そして何か考えを巡らせているのか沈黙する。しかし彼はそれ以上は何も言うこともなく、ランベルセへ会釈をし女性と共に去って行った。

「まあ陛下に頼むという事は……」

 冗談として取れば余計な面倒事を巻き起こす、と想像ができる。だがレイモンドのように真面目な人物がこの意見を聞けば「畏れ多い」と、当然なる。

 しかし少々気になる話だった。アレックスの所在がつかめない。

 だが彼にも、アレクサンドロス・セム・ハルト・ウォルシオム侯爵にも、負うべき本懐がある。

 天界王は創造を司る存在から数多とある世界の守役を仰せつかっている。つまり自分が王として治める天界の他、あらゆる生命を見守るという大役も担っていた。

 そしてもう一つ。現天界王は、創造を司る存在と敵対する生命すべての災厄となる世界法則のがいがい、なる〝存在しない存在〟と戦う神々のひとつを継ぐ者でもあった。王は六つの力の源、六源神のうち風の力を司る風神でもあった。

 風神である天界王は〝存在しない存在・リドール〟から生命を守るため、又は、奴を滅ぼすためにあらゆる手を尽くす冷徹さを持つ神でもあった。その尽くす手段の一つとして、風神は〝風の傍仕え〟を用意した。それは風の神と共に誰よりも何よりも命を懸けてリドールと戦う「供」。戦場の最前線に立ち、己が命の尽き果てるまで戦い抜く者。

 アレックスはその役を受け入れ、天界貴族としての立場がある一方、大いなる本懐を負った武人でもあった。ランベルセも同じではあるが。

 ただその傍仕えというものは、戦場で武器や術を限界まで使うのは勿論であるが、風神の命令で暗躍するリドールを秘密裏に調査、探査することもある。それは同じ傍仕えにさえ箝口令を敷き、単独で任務を与える事もある。ランベルセも過去に幾度となく密かに動く事があった。ゆえに現在七名存在する風の傍仕えが所在不明となっていたとしても、さして気に掛けることは無い。無論、その本人の安否は大いに心配ではあるが。

「しかし傍仕えとして動くとして。普段であるなら周囲に気取られないように配慮するものだが……」

 急遽、必要な伝令でも下ったのか。まあそれもありえないとは言い切れない。

 王は天界王として命令をする時も、お願いをしてくる時も。一方の風神として傍仕えに伝令を下す時も。大概、大胆且つ突発的なものが多い。あのお方の一番近くで仕えている自分がそれを強く感じるのだから間違いない、はず。

「今日発売の雑誌、コンビニに行って買って来てください」

 とか。

「あ~あ。もう疲れちゃったから帰りたいですぅ。あ、でも本神殿ここがボクん家だし。どうしよ~」

 だとか。

「存在しないはずなのに。影を仕立てて向かってくるなんて図々しいです。本体共々死ね」

 などなど。

 時と場合で様々な御発言をされる。そのどれもがとにかく予測不可能で彼に仕えている補佐官である自分さえ把握しきれない事が多い。色々な意味で。

 ランベルセは王の考えなど想像しても考えてもすぐに行き止まりとなる事が分かっているので、親友の身を案じながらも消しかけていた室内の明かりを完全に落とした。そして術を使い屋敷へと戻った。

 天上の空はすっかり黒々しい帳に包まれていた。


  **  **  **  **  **


 漆黒に覆われた空。夜が訪れただけで〝天上こそ平和。故に平和こそ天上〟と王が自ら導くこの世界がまるで闇に落とされてしまったかのようだった。

「統括長。このままでは時間がありません」

 天界執行役を総取りまとめている統括班に宛がわれている執務室。中央の奥には統括班に所属する者全員が見渡せるように部屋の長の執務席が堂々と置かれていた。その机の上から呪姿の姿になってしまった主が、さっきからずっと窓の外を見上げていた。

「一刻も早く動くしかない。そうしないと代行が本当にヤバいですよ」

「ミッチも今回はそうした方が良いと思うなぁ。しゃくだけど」

「……しかし行方自体が分からないのが現状。それにアレックス様もいらっしゃらない。正直、解せない事ばかりなのだ」

「でも元は我々の不手際から生じた件。多くの命もまた危うい事になっている」

 背を向けている方からは、同僚、部下、それから上司までが各々の主張をしていた。彼らの言っている事は天界執行役統括長として、またレイモンドが個人的にも思うものばかりだった。

「ランベルセ公爵はまだ何も御存知無いようだった。だがもしもあの方が何かに気づいてくだされば……少しはこちらに分があるかも知れない」

 フェレットの姿でも、直立をし、ため息を吐くと肩が落ちるものなのだなと一層自分を情けなく感じた。今の姿では他人に頼らざるを得ない。そこが口惜しくてならなかった。

「だったら統括長っ。もったいぶらないでランベルセ公爵に全部言っちゃいましょうよ。そうすればこっちはかなり有利になりますっ」

「私もそれが良いのではないかと。もう、命に関わる事になっているのです」

 レイモンドの言葉を受け、気骨のある男の声と低くもの静かそうな女性の声がした。

「えー。でもそこはでもダメじゃない? すぐに行動した方がいいのは賛成だけど、他所の人を堂々と巻き込むのはナシってミッチは思う」

 この声はレイモンドの真後ろ辺りから。未だあどけなさの抜け切れていない少女に近い声。

「……私もミランダの言っている事を支持する。ましてランベルセ公へ話してしまっては王との約束を反故した形になる。と、なればこの件に関わる執行役、いや、最早全執行役に責任が及ぶ。私やアレックス様が口添えしたところで陛下はお許しにはならないだろう」

「ユーディア最高執行役のおっしゃる通り。元々これは我々、執行役が引き起こした事。もしこの場にプレンティス様が居れば〝解決は己が導き果せ〟と代行自身もそう仰るはず。他者に手を借りてはいけない」

 そしてレイモンドの間近からは静かな声で全執行役の頂点を担う人物と、この天上で一番の博学者でもある執行役の声もした。本来ならばレイモンドもこの二人が言った意見を軸にした形で話を進める。この発言は執行役として客観的であり、最優先事項に基づいた的確なものだった。

「はーっ。じゃあ何かっ? 代行を見捨ててもいいってのかっエドワードは。それでも特殊行動班の一員か、お前っ」

「イシュール補佐官。そうは言ってない。私も代行を見捨てる事などしたくはない。しかしその代行がもしこの場にいたらどうされるか。何を判断し、どう行動されるか。まずはなにより己が本懐が何であるかを一番に考え、おそらく執行役であることを第一とした判断と行動をされるに違いない。そうではあるまいか」

「そりゃそうかも知れないけど。じゃあ代行の命がどうなってもいいのか? 俺は違うっ」

「私とてプレンティス様をこのまま放っていいとは思わないっ。しかし執行役としての、いや、全ての執行役の事を考えて代行自ら判断し行動されたのだ。そして姿を消された。探すにしてもそれは不可能というもの」

 レイモンドを挟んで左右から熱と氷のせめぎ合いのような言い争いが聞かれた。熱い言葉をまくし立てる男も、凍れるような冷たい言葉を放つ男も、真意の中には身を案じている人物が心配でたまらずにいるのは分かっていた。

「二人とも、直属の上司を案ずることは大いにわかる」

 レイモンドは全身を室内の方へと向けると、左右逆転した声の主たちをそれぞれ見た。

「そしてここで争う事こそ意味が無い。そうではあるまいか、イシュール補佐官」

「でも統括長っ。代行が」

「ああ、わかっている。プレンティス最高執行役代行の状況は時々刻々と悪い方へと向かっている。それは我々もわかっている。そして君と同班であるエドワードも同じくプレンティス執行役を心配している。それもわかっている。両者、同意見なのは大いに理解できる。だがその先は、君らが心配をし、且つ、信頼をし付き従っている上司がここに居たら取るであろう判断、行動を考えるとエドワードの意見を取るのではないかと思う」

「けど統括長っ」

「それにまだプレンティス執行役は死んではいない。状況はかなり悪いが生きてはいる。彼女を救う手立てとから死者の魂を奪還させる方法を一刻も早く、考え、行動しなければならない。そしてやはりそこに他者の手を借りることは……駄目だ。私もそう思う」

「けどっ統括長。苦しんでいる生命は、何を差し置いても救う事が我ら天界執行役の役目じゃないんッスかっ。それは代行も日々おっしゃってることですよっ。勿論その為なら手段も道具も何でもアリとまではいいませんっ。でも今回はっ」

「だからこそだ、イシュール補佐官。今回の発端は我々が引き起こした問題。だから執行役のみで解決をしなければならない。それはユーディア様が王陛下へ報告をされた時点で明々白々となっただろう」

「それは……そうですけど」

「仕方のない事なのだ」

 そう。今回の件が発覚した時点で、すぐに天界執行役を直接配している天界王へと最高責任者が通報した。だが王は「そうですか。大変な事になってしまいましたねぇ、ユーディア」と一言だけ声を掛けられたそうだ。それ以上の指示を陛下が一切与えない。その意味するところは明白だった。

 つまり、すべては天界執行役の最高責任者を以って解決せよ。それは全執行役を動員してでも自分たちで解決に導きなさい、という思し召しだった。

「……私の力が及ばなかった。お前たちには本当にすまないと思う。陛下にもこれ以上は進言しても事態は変わらぬ。プレンティス様……いやプレンティス執行役にも申し訳が立たない。だからレイモンドが言う通り、ここはもう我々が出来る事を出来る限りの迅速さを以って当たるしかない」

 左から二番目の着物の人物が全体を見渡すように静かにしゃべった。彼こそ一〇〇〇といる天界執行役の頂きに位置する最高責任者ユーディア執行役だった。彼は水色地の「げんたん」という人間世界の中國周代の頃に礼服として着られていた物を身につけていた。それは彼が天界の東に位置する仙人岳の出身であり、水を竹筒を使い酒に変える仙術を操る仙人であるがゆえ。そこに住む仙人たちは中國文化を取り入れた生活様式を好んでいる傾向があり、天界執行役の最高責任者に就任して以来、衣服の自由が認められている上位執行役となった彼は日々玄端で過ごしている。そして青い長い髪を頭の高い位置で一つに結わえ、品を備えた風格で日々全執行役を見守っていた。だがその端正な顔立ちに今は苦悩を抱えた厳しい表情を浮かべていた。

「……兎に角。今は事情を知る者、ここにいる特殊行動班と統括班で事態の把握と対策を立て迅速に行動する。それまでは徹底的に箝口令を敷く」

 あらゆる角度から見て最高責任者ユーディアの方針が最善としか言えなかった。

「で。情報を集めに行った者たちは?」

「マリアンヌが昼間のうちにランベルセ邸へ。現在はウォルシオム邸を訪ねている。アーチスとジェーンは本神殿内とその周辺へ出てる」

 レイモンドの問いにユーディアの隣でブラウンの髪の男が抑揚のない声で応えた。先程の言い争いをしてた冷静な男の方だった。彼は特殊行動班に所属している執行役、エドワード・コルウィット。彼は言葉同様に表情も無に近く必要な事のみだけをしゃべった。

 だがエドワードが冷血漢で情が無い人物といったらそうではない。彼と言い合いとなった真逆の性質、熱血漢のイシュール特殊行動班長補佐官とは同じ班に所属していて仲は良い。そして二人の直属の上司が現在、大変な状況に陥っている事をなにより一番案じているのもこの二人。そしてもう一人特殊行動班に所属しているマリアンヌ・ルトフェ。誰より尊敬の念を抱いている人物の危機的状況に、彼らは気持ちが高ぶり動揺しているのだろう。

 そしてレイモンド自身も彼らの上司である特殊行動班長の事を大いに気にかけていた。プレンティス執行役最高責任者代行。彼女は自分より上位にいる執行役ではあるが、同師に学び、共に執行役の心得を切磋琢磨した言わば同期の同僚。性格上は気に入らない所は多々あるものの、やはり他の執行役とは違う、今でも自分が執行役として個人的に競う存在だった。決して憎い仇というわけではない。

「では三名が戻るまで、こちらで持っている情報の整理をする」

 そう言ってレイモンドは稼働できるホワイトボードを術を使って喚び出した。人間界で見つけ、便利なものということでつい最近これを取り入れた。そこに付随している黒いペンも術を使って浮かせ、まだ何も記載されていないボードに天上界で使用している言語をサラサラと書きはじめる。

 そこには『天界最高責任者代行監禁及び、連続死者略取発生事案について』と一行目に書いたのだった。


  **  **  **  **  **


 本日の夕食には間に合った。

「まあ旦那様。おかえりなさいませ」

 ランベルセを出迎えてくれたのは、彼が最も大切に想い、慕い、愛してやまない妻アンナだった。

「た、ただいま……」

 やっと彼女の元へと帰れた。アンナは笑顔で夫を迎えてくれた。夫である彼もまたこの笑顔の元へ帰る為に今日を我慢強く過ごしたようなものだった。今、この瞬間が本当に幸せだった。

 ただ彼女は食事の支度をするために白いエプロンを掛け、食堂と炊事場の往き来をしているところだった。普通の貴族の感覚ならば、当主の妻が食事支度を自らするなど考えられぬ事だった。しかしランベルセ公爵家では、前当主である父が母の手料理が食べたいが為(母は元々公爵家の料理番侍女だった)、家族の食事は家族が用意から片づけをする事、と決まりを作ったのだった。その為、ランベルセは幼い頃から母が作った料理を自分たちで並べ、家族団欒で食卓を囲み、それを終えるとまた自分たちで食器を片づけ洗い物までやっていた。それを聞いた幼なじみなどは「楽しそうだね」と喜んでいたが、成長すると自分の家の方が風変わりという事がわかった。

 しかしアンナもこの決まりをやはり「楽しいです」といって受け入れていた。

 彼女は天上界の西に広がる「幻夜の大森林」という場所を管理するメイベリス男爵の一人娘だった。しかしメイベリス卿は男爵といっても名ばかり貴族のようなもので、彼の日々の営みは、森の手入れをし、広大な森林の中へ迷い込んでしまった者の捜索隊を指揮管理するなど、野外へ出て業務をこなす森の番人だった。しかも見た目も人間界の北米辺りに住むグリズリーのような風貌で、実に大柄で風格のある巨人のような大男。可憐で小花のような、可愛らしく小動物のようなアンナと親子とは到底見えない(とは絶対言えない)。そんな一見恐そうで、そういう人から一人娘を攫ってきてしまったようなランベルセは、今もって義父が怖ろしい……ではなく、ちょっと苦手であった。

 そういった家業をし、素朴で簡素な生活様式を好むメイベリス卿は家事全般を補う為にも家仕えが二人、年老いた夫婦だけだった。そして彼の妻も天上界の一般家庭出身で、一人娘と家族同様の老夫婦の五人、大森林の西端の石造りの館で慎ましやかに暮らしていた。だから必然的にアンナも子供の頃から家事全般を手伝い、森の管理へ出かける父について回っていたという話だった。

 だから「何も出来ないお嬢ちゃん」ではなく、「何でもやりこなす女の子」として育ってきた。そのお陰でランベルセ家へ嫁いできても、義母が自分のレシピを教えればすぐに覚え、手際も良いから侍女たちからも評判が良い。まさにこの屋敷に迎えるべくしてやって来てくれた最高の女性だった。

 そしてなによりアンナの料理はとても美味しい。深みがある優しい味付けに、心が解かされ癒される。そんな彼女の料理が今夜も食べられる。もうすぐにでも。

「きょ、今日は。その。夕食に間に合ってよかったよ」

「はい。今日もお忙しいものと思っておりました。あっ。でも。あの、旦那様。今日はうっかりお鍋を焦がしてしまったので、おイモが黒焦げになってしまったんです。申し訳ありません……」

「お……イモ? が、黒焦げ」

夜送舟艇のプリン艇団 第1章の挿絵

「はい。だからお義父様が〝カレーにしちゃえば分からないよ〟とおっしゃって。急きょカレーになりました」

「カレーに……。いや、でも。ま、アンナにケガが無ければ……その。よかったよ」

「ケガですか? 特にわたしは何もないです。おイモさんが真っ黒になってしまいましたけど」

「イ、イモは……。その。黒い方が美味しいから。う、うん。黒いのが私は好きだよ。全部、食べたいくらいだよ」

「そ、そうなんですか?」

 目の前の妻は目を大きく見開いてランベルセを見上げていた。その姿、顔もとても可愛らしく彼には映る。ちなみに彼は焦げたイモが好き、などという事実は今まで聞いたことが無い。こんな発言は彼が未だに妻へ対する想いが『初恋のように見ただけでとても緊張し、会話をするにも舞い上がってしまう為』である。

 よって。

「ふーん。君って、黒焦げのイモが好物だったんだ。知らなかったよ」

「はっ? え……」

「じゃ、君に全部、真っ黒なイモを進呈するよ。遠慮しないで食べて」

「ち、父上」

「アンナ。良かったね、そういう人がいて」

「はい。旦那様に食べてもらえるなんておイモさんも幸せだと思います」

「いや。まあ。よ、良かったよ、私も……」

 コロコロとカートを押し、やって来た人物がニヤリとした顔で夫婦の間へ入ってきた。その人の顔はランベルセとほとんど同じ。しかし皺の数や皮膚の張りの違いで歳が上だとわかる。それ以上に性格が似ても似つかない。加えてカートを押してきた人には、背に翼もない。この人と有翼族の母から生まれたから自分にはあるだけで、しかし紛れもない親子。やって来たのは前ランベルセ公爵をしていた父ルートヴィッヒだった。