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天川魔法使い協定

初回掲載:2026年7月5日

登場人物紹介

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《天川魔法使い協定》(1)‐1

《天川魔法使い協定》


 天川市に拠点を置く(住んでいる)魔法や妖術、神術が使える者で、違反行為が目立つ特定の人物達に対し、発令された決め事である。

対象者

・その1 天界 貴族 元公爵 ルートヴィッヒ・ランベルセ

・その2 妖魔界 王族 王兄 レゼッタ・ガレジィートェ

 又、天川市への出入りが頻繁にある以下の人物にも注意を払いたし。

・三代目 風の神 天界王スタリート


 尚、彼らに発令された決め事が滞ることなく行われているか。以下の監視の下、確実に遂行されたし。

・三代目 大地の神 カルス・フォーファン


 以上の特定危険術使いを常に確認し、ニンゲン界の安全を確保すること。


                    発令者 英雄者 ノア 光神 リバード

(一)


 昨今の天川市における奇怪な事件は、大体、この二人のせいだった。


「ちょっと。失礼だなっ。私が、いつ、どこで、どんな風に、ニンゲンを困らせたっていうのさっ」

「いえいえ。ですから、人間を困らせた、のではなく。人間界におけるありとあらゆる生命に迷惑が掛かったんです」

「うーん。……身に覚えがないねっ!!」

「いえいえ。ですから、お二人が覚えがないと主張をされても、ですね。実際に榛名山が大爆発をしかかったのです。それを大地の神である私のおかげで制止ができたのです」

「は? 自慢? 神だっていう」

「いえいえいえ。ですから、そういう話ではなく」

「さすがカルス君だねっ。大魔法使いのうえ、大地の神としても地上を救えるなんて。友人としてとても誇りに思うよっ」

「いえいえいえ。ですから、地上を救わなければならない原因をお二人が作ったのです。いいですか? 原因が無ければ、私がわざわざ榛名の麓へと出向き、神力で火山活動を鎮める、という結果に繋がることもないのです。それを分かって欲しい、と申し上げているのです」

「却下。そもそも一番の原因はこの妖魔が悪いの。私にいちいち楯突くのが気に喰わないの。分かってないよね、君」

「んんん??? 楯を突く。僕は最近、ルートヴィッヒ・ランベルセに武器を持って攻め入った覚えは無いよっ。毎日、囲碁や将棋、チェスを一緒にやって、楽しく有意義に過ごさせてもらっているんだ」


 七月も後半に入った頃。梅雨が明けた途端の話だった。

 天川市で「星の丘」というケーキ屋さんをしているご主人が、近所の内科クリニックへ病気や怪我もしていないのに、足を運ばざるを得ない出来事が起こった。


「でも、コイツが変なタイミングで将棋盤をひっくり返したりしたから。せーーーっっかく勝っていたのにっ。もうっ。あれは絶対に自分が負けたくないから、春人。ズルしたんだろう」

「違うよっ。あれは事故だったんだ。火にかけていたお鍋を忘れていて。焦げ臭くなったから慌てて台所に立ちあがったら、うっかり躓いてしまったんだ。あの時は本当にすまなかったと思っている」

「いーや。あれは絶対、わざと、だねっ」

「そんなことをしないよ、僕は」

「は? では私はやるとでも?」

「百三十五時間前にやっていた将棋の三百八十五手目と、六十八時間前にやっていた囲碁の九十九手の場面でやっていたよっ」

「はぁーーっ。あれこそ急患が来たから慌てたのと、出前が届いて立ち上がったタイミングに起こった不慮の事故なのっ」

「しかし少し不自然な動きが入ったように――医院長のいう、態(わざ)と、のように――見えたよ」

「は? そんなの気のせいだよ、お前の」

「んーーー???」

「そうなんだよっ」

「うーん。医院長を信じたいけれど、僕の視覚認知は違うねっ」

「はーっ!? 私が嘘つきとでもっ」

「嘘を吐いているのかいっ」

「お前も見ただろうっ。急患の腹痛の子供と、テンセイ飯店の出前が来たのは。子どもはぴーぴーうるさくて、今にも腸が捻れそうな声を上げていたし。出前はお前がラーメンなんかを頼むから、のびるとウザいからすぐに対応してやったんだろうっ」

「たしかに……。医院長は子どものため、僕のため、行動をして……うーん」


 結局。わざわざ炎天下にここへやってきたところで、事情聴取は上手くいかなかった。いや。もともと上手くゆくはずはない。ケーキ屋さんの御主人はそれも分かりきっていた。


「ですから。もうこの際は事実確認など結構です。しかしですね。その結果、私は非常に面倒な事を、最高神である英雄者様から仰せつかる羽目になったのです」

 クリニックを尋ねたケーキ屋の御主人は、なぜか診察室へと通されていた。午前中なのにお客、基、患者が一人もいないクリニックだからなのだろう。しかしなぜか自分は、診察用のベッドに座らされている。その向かいには、豪華な皮張りの黒い椅子とパイプ椅子にそれぞれ並んで座っている友人ら。そんな彼らへケーキ屋さんは一枚の紙を提示した。

「お二人の所業が目に余るそうです。と、いうか、おちおち人間界で暮らせない。だから私に監視して欲しい。そうおっしゃりたいのでしょう」

 と、ため息を吐いた。

「なんなのなんなのっ。この失礼な文書はっ」

「いつでもどこでもカルス君に見守ってもらえるなんて……安心だねっ」

「いえ。そういう事ではないんですよ」

 非常に高飛車で高貴な老人と、非常に穏やかで品位のある青年が、一人は怒り、一方は歓喜した。

「気に入らないなぁ。坊の弟は細君の言いなりなのっ!? シンフォリュース様にそっくりのくせにっ」

「うんうん。シンフォリュースと似ているなんて、本当に羨ましいよ」

 話をまともにとりあってくれない人物達。そんなのを、現在、天川市でケーキ屋さんを経営している一介のパティシエ、を装って生きている、本来は別の人間世界を故郷とする大魔道士であり、全生命の敵とされる最悪神と戦う神を継承した実際は人間、であるところの自分。そんなささやかな「か弱き生命」が、こんな〝巨人ら〟に、正しい行いをしてください、などと言い聞かせる。

 朝倉昊(あさくらこう)、こと、本名カルス・フォーファンは、心底、無理ですねぇ、と困っていた。

「大体さ。私はニンゲンに対し医療活動をしてあげる為、わっざわざこんなニンゲン界に降りてきてあげているんだよ? 魔道士君。君だって自分の息子が食べ過ぎで腹痛になった時や、ひきつけを起こした時に私を頼ったでしょ?」

「それは貴方が〝好きで〟お医者様をやるため、天界からいらしたのでしょう。そして医者をなさるなら、病人を診ることは当然の義務です。私が貴方の医療行為に対し、それを引け目に感じる必要はありません」

「もうっ。なんなのさ、君はっ。君も英雄者の言いなりなのっ」

「いいえ。私が言いたいのは、人間界へやって来て生活をされるというのであれば、この世界へ迷惑を掛けたり、住んでいる生命らに脅威や危害を与えないでください、ということです。第一、貴方の御令息は、そういった他世界へ過干渉や侵害を取り締まる役人ではありませんか。そういった観点からも、ルートヴィッヒさん。他所の世界へ来るのであれば、もう少し、住まわせてもらっている、という謙虚さを示して欲しいのです」

 とは言うものの。目の前の白衣を纏って、ぶーぶー言っている老人に、こんな話をしたところで。この人物に理解されるとは到底思えない。格が違い過ぎる。

「ホント、ムカつくなぁ英雄者は。自分が創造を司る神だからって、彼女も今は単なるニンゲンとして生きてるんでしょっ。あそこン家の子だって、インフルエンザになった時、ウチに駆け込んできたじゃないっ。なんなのっ」

 白衣の老人は、元天界公爵をしていた貴族。しかも医術師、つまり医者、としての技術も持っていた。しかし、こーゆー発言をするので、ヒポクラテスもやれやれ、の人物端でもあった。

 そんな人が何を思ったのか、もうすぐ寿命が尽きるからといって、その医術を学ばせてくれたニンゲン界には恩がある、死ぬまでにその恩義に報いる。と、言い出し、しばらく前からニホン国のド田舎県天川市へやって来た。そこで人間を装い、西園寺是鷹と名乗り、西園寺クリニックを開設して、日々、内科医としてくらしていたのだった。

 そんな志だけはご立派、さすがノブレスオブリージュ。だが、性格は天上界で二番目に怒りん坊、と言われていたお方。こんな有り様だった。

「そうだねっ。医院長は残りわずかな寿命にも拘らず、か弱き人間のために使って毎日を生きているっ。本当に尊敬の念しか僕は湧かないよっ」

 そして、そんな怒りん坊の隣には、此の世に二人として存在しないほど見目麗しい男性が、これまた此の世に二人として存在しないほどのニッコニコの笑顔で、ホクホクと嬉しそうにしていた。彼の出で立ちは、深蒸し色の作務衣姿をしている。亜麻色の長い髪をゴム紐で結い、白の三角巾を頭部へ着用していた。だがその顔は、もう繰り返しの此の世に云々なほど美しかった。白肌、目鼻立ちはガラス細工のような繊細な構造をし、薄い唇は艶やかなサクランボのような色をしていて、美の神が最高傑作として世に送り出したような存在だった。

「うんうん。そんな医院長の素晴らしさを英雄者は分かっていないようだね。実に残念だよっ」

「いえ。ですから、ルートヴィッヒさんの医療行為と志については、誰も文句はないのです。尊ぶべきことだと。寧ろ、光神さんの方は高く評価をなさっていましたよ」

「そうなのかいっ。さすがシンフォリュースの息子だけあるねっ」

「あの子はね、私が教えた生徒の中で一番出来が良かったからね~。坊とちがって、文字も学問も教えたら、す~ぐに覚えたし。応用力のある子だったから。賢いんだよ、基本的に」

「んんんっ。本当に素晴らしい子だねっ」

「でも残念なのは、シンフォリュース様と顔がそっくりって所なんだよね~」

「んんんっ。それはすごく威厳のある、とても格好が良いという顔だねっ。いいねっ」

 尚。医院長と美麗な作務衣の人が話しているのは、前・天界王をしていた人物の顔について、である。前王様の御顔は九十九.九パーセントが「魔王だーっ」「恐いーっ」「逃げろーっ」という構造をしてた。だが、〇.一パーセントの例外で、彼の息子の一人と、作務衣を着ているこの人だけが「この世の中で一番カッコいい」「素晴らしく良い顔だよっ」という評価をしていた。この評価。よそでは一切、聞いたことが無い。彼の妃になった女性でさえ「シンフォリュースを初めて見た時は悲鳴を上げたわ。ああ、とってもこわかった」と言っていた。

 そのような人物に、身内以外で憧れを強く抱く存在。彼の名は。

「春人」

「ん。なんだい? 医院長」

「お前も残念な妖魔だね」

「ん」

 彼の名前はレゼッタ・ガレジィートェ。妖魔界の王様のお兄さんだった。

 数多ある空間のひとつに妖魔、と呼ばれる種族が棲む世界があった。そこに棲む彼ら、彼女らは、根明で陽気、非常に楽観的、といわれる妖精族の次くらいに大らかな種族でもある。そこに容姿端麗さと非常に高い妖力、戦闘能力の高さが加わっている生命だった。

 そして妖魔界の王族は、その全てが群を抜いていた。だから同種族からは尊敬と憧れの的であった。更に王族の中でも、ピカイチで最早神々しく思われる存在といえば、現王の兄である王兄殿下。レゼッタ・ガレジィートェであった。彼は並々ならぬ美しくも優れた容姿をし、頭の良さは頭脳明晰という言葉を飛び越える叡智の持ち主であり、なにより温厚でどんな生命にも親切で平等に接する素晴らしい人柄の人物と、思われていた。

 たしかに、剣技も妖魔の中で一番の達人で、つまりそれは各世界の剣豪の頂点を意味していた。誰も彼の足元にも及ばないほどの剣の使い手。加えて、緻密で絶大な妖術を甚大な妖力を以って操ることができる術使いでもあることには間違いはない。

 ゆえに。王兄殿下、レゼッタ・ガレジィートェは、妖魔界の誰もから慕われ、尊敬され、絶大な人気があった。

 だが。最近、オトモダチである天上人、ルートヴィッヒ・ランベルセ(是鷹医院長のこと)の所へ遊びに行き、そこが気に入ったという理由で、そのまま勝手に西園寺さんの家へと棲みつくようになってしまったのだった。

「囲碁や将棋、チェスをいつでもルートヴィッヒと出来るよう、同じ棲家で暮らすことはとても合理的だよ」

 とかなんとか言って。しかし医院長は一人暮しを気ままにしたかったので追っ払おうとした。だが根明で陽気、非常に楽観的な種族の長一族で最も能力が高い妖魔。

「医院長が医院長としてクリニックで人間を救っている間、僕は棲家の手入れやお買い物、お洗濯をしておくよっ。お布団干しも忘れないからねっ。あとお料理もがんばるよっ」

 別にそんなことをしなくていいから、とっとと帰れ。と、いう医院長の意思も言葉も攻撃神術も、この最強妖魔にはなんにもきかなかった為。クリニックのお隣に建つ築六〇年のオンボロ木造母屋で、妖魔界の王族レゼッタさんは、家政夫を、これまたニンゲン界で不自然にならない恰好をし、やっている日々を送っていたのだった。

「妖魔はね。最高神である英雄者から、他所の世界で暮らしてもいいよ、と言われている種族だからねっ」

 たしかに妖精や妖魔は争いごとを好まない穏やかな種。だから創造を司る神も、他世界での共存共生をある一定の条件――あくまで他世界を侵略したり過干渉したり、もっと平たく言うと、迷惑をかけずに共存することが出来るのであれば、という条件。つまり他人へ、他種族へ迷惑をかけない。余所で迷惑行為を行わない。それができなければ他世界に行ったり、住んだりしては駄目――の下に許可をしていた。

 だが。しかしで、お菓子で、案山子である。レゼッタさんはたしかに、このニンゲン界で浮かないように「滝沢春人(たきざわはると)」と、医院長に偽名も付けてもらった。本人もそれを大層、気に入ってそう名乗りはし、服装や、本来紫色の髪色なども亜麻色にして調えた。

 が。その言動や行動が、ある条件、を逸脱していた。それが頻発していた。

 しかし残念なことに、条件を侵している自覚が本人には毛頭ない。ちゃんと立派に、善い心で生きている。そんな正しい心掛けで毎日を穏やかに生きている。そう。彼の心はどんな生命よりも清らかだった。

 だが。しかしで、お菓子で、案山子なのである。なんか、こう、なんというか。言葉では説明できない、曖昧な、違反というか、迷惑というか。を、しょっちゅう起こしている。ような、ないような。気のせいのような、気のせいで無いような。そんな人物であった。

「あー。もう。いいよ。わかったよっ。わかりま~した。君が個人的に私へイチャモンつけてるワケじゃ無い。君は単に、文句の多い創造主の使いっぱ、ってことでしょ? でも六源神はさ。邪神を倒す時に、英雄者の下で戦いを手助けする。それが本懐じゃな~い? でも今回のこの御遣い。邪神退治とは無関係。個人的な使いっパシリで出向かせてな~い? いいの? そ~れ。少し横暴だと私は思うけど。第一、文句があるなら、文句がある人が、直接、私達の所へ言いに来ればいいじゃない」

「そうだねっ。僕達と直接、話をした方が、本人の意思がより強く僕達にも伝わると思うよっ」

「はあ。まあ私もそう思いますよ。しかし、英雄者は現在、ただの人間へと転生をしています。まあ、あの方は神であった頃でも大して頭が良い神ではありませんでした。それが神でもなくなった状態の今です。それ以上に輪をかけて、ということなのです。そんな彼女が、貴方のような人物を説得できるかと言ったら、おそらく無理。火を見るよりも明らかでしょう。ですから、六源神の中で、一番まともで頭の良い私を御遣いへ出したのです。無論。私だって、貴方のような大人物の説得など初めから出来るはずはない、と分かり切っていました」

「でっしょ~。それなのに、ただ失礼な事を聞かされた私は、じゃあ聴き損?」

「なんということだろうねっ。医院長が損をしてしまったのかいっ。それなら、この、茶色いお札の束を幾つか工面するよっ」

 春人さんは妖力で帯に巻かれた茶色の紙幣をポンッと一束出した。

「そーゆーんじゃ、ないんだよっ。阿呆妖魔」

「んんん??? では一体、どんな損害を被ってしまったのかな」

「英雄者が私に文句があって、その文句の内容が失礼だって話。もう。一介の庶民風情が、この大貴族である元ランベルセ公爵に楯突くなんて」

「英雄者も君に攻撃を仕掛けて来たという事なのかいっ」

「ああ、そうだよ。そうだよ、ソースだよ」

「なっっっんてこと、なーんだーいっ。それは一大事だよっ」

 いつの間にか。大魔道士で、大地の神もしているカルスの目の前では、なんだかおかしな方向へ話が転がり始めているように聞こえた。

「もうっ。ビンボー人はこれだから困るねっ。すぐに金持ちだ、と思い込んだ相手を攻撃したがるっ」

「可哀相なんだね、人間に転生をした英雄者は。僕のお札の束を何個かあげた方がいいのかい」

「貧しいニンゲンの僻み根性爆裂だよっ」

「今ならお札の束は、ええと、あと三十七個。出せるよっ」

 茶色の札束が三十七個。そして春人さんの手には一個ある。つまり三千八百万円。普通に家が建てられる金額である。

「いえいえいえいえ。そうではないのですよ、お二人共」

「何が違うっていうのさ」

「ですから。私、はお二人に文句を述べたいだとか、行動を改めろだとか、今後お二人の監視をしますだとか、を言いたいのではありませんっ」

「んんん??? どういうことだい、カルス君」

 大魔道士で、大地の神で、パティシエをしている、ご近所からやって来たケーキ屋の御主人は落ち着き払って、二人を改めて見た。

「いいですか? 私は、英雄者からの通達と言伝(ことづて)をお二人にしっかりとお話をしました。命じられた事はこうしてしっかりやった、と言いたいのです」

「は? どういうこと?」

「はい。私はこうして、伝令が記された紙までお二人にお見せしました。しかし。それを実行なさるかどうか。それはお二人の心掛け、判断の結果です。私は大地の神であり、頭も良い人間です。しかし、それでも出来る事と出来ない事がある。頭が良いのでその判断もつきます。ですから、お二人にこのような伝令を出し、実行不能な事を命じる我らが主、英雄者の方が悪いのです。先程申しました通り、彼女は頭が悪い。私より、というよりも、群を抜いて頭の良い私などと比べたら、アリンコさんの方がまだ賢く感じられるほどの頭の悪さ。アリンコさんは、しっかりと判断をして餌を巣穴へと運び、決められていた行動以外は取りません」

「たしかに……そうだねっ。アリンコくんは利口だよ」

「はい。しかし一方のニンゲン、に転生などした英雄者は、不可能であると分りきっている事を、それを分かっている私に、わざわざ不可能な命令をしてきたのです。できないものはできない。それをしろ、と。笑えないほどの判断力、決断力です。以上のことで、誰が悪く、おかしな生き物であり、生き方をしているのか。聡明な方々ならばお分かりでしょう」

 と、いうことである。命じられた伝令は無駄な時間、無駄な労力、ということなど分かり切っていた。しかし莫迦である者はそこが理解できず、もしかしたら上手くいくかも、とか、俺様の命令は絶対なんだ、とか、理屈の通らない世迷言を声高に宣言してしまったりする。

「ですから。私が言いたい事。それは私の最善は尽くした。それだけです。これ以上、私へ主が頭の悪い事を言うのであれば、後はご自分でおやり下さい、としか言えません。それが言いたかっただけです」

 カルスは立ち上がった。そして渡されていた伝令書を是鷹医院長へと預ける。

「すみませんね、お医者様をしている途中にお邪魔をしまして。私の言いたかったことと、やりたかったことはこれで済みました」

 そう言うと、彼は「失礼します」とにっこり微笑み、静かに西園寺クリニックから立ち去ったのだった。

「たく、あの子もつくづく」

「お人好しだねっ」

 残された天上界一の神術使いと、最強の妖力を妖術にして操っていた曾て白き妖魔と呼ばれた術使いは、友人が置いて行った紙を見つめていた。

  ** ** ** ** **

「父さん、おかえりなさい」

「おや? 桜佑。今日は……終業式だったのですね」

「そう」

 ケーキ屋の御主人、朝倉昊さんがお店に戻ると。事務所の奥にある休憩室として使っている和室に息子の姿があった。

「見てよ。4が一個と3も一個」

「社会と体育ですね?」

「そう。あとは全部5。だからごほうびのケーキ、ちょうだいっ」

「やれやれ。これだから君の食べ過ぎた時の腹痛を引き合いに出されてしまうんですよ」

「え? なに? どういうこと?」

 と、通知表を両手で持って広げている我が子に対してため息を吐いた。

 しかし彼は調理室の方へ行き、業務用の冷蔵庫から小さなホールケーキを取り出した。真っ白いふんわり生クリームと、オレンジ色のジュレでデコレートした特製ケーキだった。

「では。約束通り、体育が3になるよう努力をした君にはご褒美ケーキをあげましょう」

「やったーっ」

 四畳半の畳部屋に、テレビとサイドボード、それから四角いローテーブルが置かれている休憩室へケーキをもっていくと。彼の息子は飛びつくようにケーキの乗ったお皿を受け取り、テーブルへ置いて、すでに自分で用意しておいたフォークを使って「いただきまーすっ」と、すぐにパクパクパクと食べ始めた。

「あら? オウちゃんたら~。もうケーキ食べだして。昊さんに通信簿、見せたの?」

「褒められたから、ケーキを食べてるんだけど」

「でもお昼ゴハンは食べてないでしょ?」

「食前にケーキ。常識だよ、母さん」

「非常識よ。もう。ホント、困った子ね~」

 店の方から彼の妻も姿を現した。しかしその表情は言葉と裏腹で、楽しそうな笑顔をしていた。

「おかえりなさい、昊さん。医院長先生たちは元気だったの?」

「はい。まったく何もお変わり無さそうで」

「あらまあ。じゃあ、凛ちゃんが御冠であることがちゃんと伝わらなかったのね~」

「はい。ですから、私の考えをしっかりお伝えし、あとは自己判断、自己責任で行ってください、と言って帰ってきました」

「そっか」

 昊さんの奥さんも是鷹医院長たちの事情を知っている、又、その理解も出来るニンゲンであった。彼女もその昔、世界を救った実力の持ち主。輝星剣士という称号を天界の神様から賜って邪神と戦っていた一人だった。

 彼女は朝倉奏。高校生の頃に邪神の復活と友人の危機を救う為、自ら輝星剣士となる選択をした人物だった。そこから艱難辛苦。仲間と共に数年間、様々な経験――邪神と戦う事以外にも死神をやったり――をした。それから時が流れ、現在はそこそこ平穏で無事な生活を送っていた。彼女は元は普通の人間であったが、邪神退治の時に仲間になった大魔道士のカルスと結婚して、一人息子を授かり、仲良くケーキ屋さんをやっている。

 そんな境遇でもあるから、是鷹医院長のことも、自分の旦那さんが榛名山の爆発を未然に防いだことも知っていた。で、その結果。大地の神もやっている旦那さんがお仕えしている創造神からのお願いも「確かにあのまま榛名が爆発しちゃったら、ウチは潰れていたわね~。あぶないあぶない」と、賛同していた。でも夫のこともよく理解もしているので「昊さんが医院長の所へ行っても……。うんっ。MU・RI確定だよね~」と言っていたのだった。

「まあ、そういう事ですので。厄介なことは片付きましたから。今夜は私が夕食を作ります」

「やった~。父さんのハンバーグとオムライスは絶品だから楽しみだよ~っ」

「まあ、オウちゃんたらよくばりね~。でも、あたしも昊さんの特製ドレッシングのミモザサラダ、大好きっ」

「困りましたねぇ。食いしん坊ばかりの我が家は」

 大魔道士で大地の神で、パティシエでもある彼は。お菓子作り以外にも、お料理全般が得意であったのだった。